ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
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ポタリングしてます。

旧奥州・日光道中ポタリング【2】

2018-12-28 | 道中
つづき




浅草神社(あさくさ)と浅草寺(せんそう)の呼び名の違い

中国から来たのは音読み、国内のは訓読み

起源はは628年とかなり古くからある

今まで寄ってきた神社は家康が来る前から存在する

古代道はココを通って墨田宿へ向かったと思われる





駒形堂から雷門へ

雷門は正式には「風雷神門」と呼ぶ

クランクして浅草駅前に出るのが本ルート





浅草寺に寄る

この日はクリスマスなのだが正月気分

晴着を着ている人のせいでしょうか


(神社はクリスマスツリーじゃなく門松)





駅周辺は「花川戸」

隅田川に咲く桜並木が由来だとか

花といったら桜をさすが、先端の鼻の意味もある





言問橋の左の方の『吉野通り」へ

(勘違いで今戸橋を渡ってから左折し南千住まで行ってしまいロス)


隅田川の向こうは、向島や寺島と嶋の地名が多い





『待乳山聖天』に寄る

関東平野に山

594年と浅草神社より古いが浅草寺系金竜山

大根が有名





山谷掘りを越えて少し離れるが

『今戸神社』にも寄る

古くは今戸八幡宮で1063年

源氏にゆかりがある

招き猫が有名





本線の戻ると道が空きだしす

元鳥越町はこっちに移転して新鳥越町

浅草の町名はよく変わる


昔は路面電車が通っていた





古くは山谷地区

ドヤ街(簡易宿舎)が多く並ぶ

今はバックパッカーの外国人に人気がある






『泪橋』を渡ると南千住駅

自転車は橋で渡る

泪橋の先には





『御仕置場』

橋の下の線路のあたり

この時代は豊島郡のくくりになる





『小塚原刑場跡』

奥州街道で2度も死刑場を通るなんて

何も街道になくてもいいのではと思うが

見せしめなんでしょうか







『回向院』

昔の罪人には墓がなくその辺に捨てられていたとか

その無縁仏を供養したのがこのお寺

その後の医学にも貢献することにもなる





通称コツ通りから4号線に出る

コツとは骨のコツ

コツが原から小塚原に

そんな死体だらけの道が参勤交代の道だったのか?

試切りが観光サービスだったりして





『素戔嗚神社』

八坂神社も須賀神社もスサノオを祭っていて

どれも天王さんとよばれる


795年とここも古い





神社の前の道は日光街道

昭和30年代はこんな感じ


この辺までが江戸と呼ばれる朱印内

関所はない

まだ武蔵国

つづく
コメント
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