日本では60年代のシングル曲だった、ノンノン人形、悲しきマリー、ラブ・ミー・プリーズ・ラブ・ミー(愛の願い)とか70年代のシェリーに口づけやHolidays(愛の休日)なんかでフランス語で歌われる流行歌、フレンチ・ポップスのカテゴリーで一括りにされているミシェル・ポルナレフ。
その彼が日本では1972年(フランスでは1971年にリリースされた)にエピック・レーベルから非常にチャレンジングな3枚目のアルバム、Polnareff’s(ポルナレフ3)が出た。
日本ではSQ方式の4チャンネル仕様で発売された。
インスト曲数を含むロック、ジャズそしてクラッシックが融合したトータルなプログレ・アルバムと言えるのでは…
当時はちょっと難解に思われたのか残念ながらヒットには恵まれなかったがこれが彼の本質でありフレンチ・ポップスの枠は当然超えた作品だったと思う。
Polnareff’s(ポルナレフ3)よろしおます。
因みに日本のレコード会社のポルナレフのマーケティング路線とは異なっていたのか、同年ポルナレフ・ナウ(ポルナレフ4)のタイトルで1969年から1971年のヒット曲をコンパイルしたこれぞフレンチ・ポップス!って感じの日本独自の編集アルバムを発売しフレンチ・ポップスのスターとして彼の日本におけるイメージを強引に確立させた。