70年代の後半ごろからその人気に徐々ではあるが翳りが出てきて、1980年にChicago XIVを出した後にCBSの契約が切れ、ワーナー系のフルムーン・レーベルに移籍した。
そして1982年に新規一転、AOR系の売れっ子プロデューサー、デビッド・フォスターを迎え移籍第一弾のChicago16を出す。
デビュー当時のブラスを全面に出したアグレッシブなジャズ・ロックの芸風からAOR路線に転向したこのアルバムは全米9位、シングル・カットされたHard To Say I’m Sorryはチャート1位に輝き、見事カムバック。
そして、Chicago 16(1982)からChicago 19 (1988)までの4枚のアルバムから編集されたベスト・アルバムが1989年に出たChicago Greatest Hits 1982-1989だ。(シカゴのアルバムには公式ベスト・アルバムを含めて発売順にそれぞれ番号が振ってあって、このアルバムはChicago XXにあたる)
この間、オリジナル・メンバーだったピート・セテラがバンドから脱退し、Chicago 18からジェーソン・シェフが新規メンバーとしてバンドに参加したものの、AOR路線は継承されれシングル・ヒットをガンガン出していくことに。
(素直になれなくて、全米1位)
(忘れ得ぬ君に、全米3位)
(スティル・ラブ・ミー、全米3位、ピートはすでにバンドから脱退している)
特にChicago 16と17におけるピートの活躍は著しく、アルバムのキーになったヒット曲の作曲したり、もしくはボーカルで貢献したことがかなり自信になったようで、その後のソロ・デビューに繋がったのかもしれない。
その代わりに、初期にはほとんどの曲を作曲したロバー・ラムの露出が少なくなったのは往年のファンにとっては残念だったかも。
それから後日、「長い夜」を聴く機会があり、
同じグループだと知って、え?と思い感じた事。
いったい、現実を把握している者がいるだろうか?
そう言った点では、当時現実をよく把握して芸風を変えたのは正解だったかと...