バッファロー・スプリングフィールドの最終アルバム、LAST TIME AROUNDが1968年に発売された。このアルバムはメンバー全員が一緒になって演奏したものでは無く、楽曲の作者が各々ボーカルを取り個別に仕上げたもので、契約消化をするため無理やりだしたコンピ・アルバムに近い代物だった。ジャケットの表にある写真も個別に撮ったものを張り合わせただけで、ベース担当だったブルース・パーマーは、表ジャケットに写真すら載せて貰えないというひどい仕打ちだった。
LAST TIME AROUND、左からスティーブン・スティルス、ジム・メッシーナ、リッチー・フューレイ、デューイ・マーチンとニール・ヤング(一人だけ反対を向いて反抗している?)
中心メンバーだったスティーブン・スティルスはCS&Nを結成することになり、ニール・ヤングはソロとなる。リッチー・フューレイは、彼の楽曲の制作を手伝ったジム・メッシーナとバッファローにセッション・ミュージシャンとして一曲だけペダル・スティールを弾いて参加したラスティー・ヤングの3人を軸にして新グループ結成を決めた。
オーディションでベースにランディー・メイズナーを決定し、ドラムにはラスティーと以前バンド仲間であったジョージ・グランサムが入ることになった。それが、1969年に出したファースト・アルバムでカントリー・ロックのパイオニアと言うべきPICKIN’ UP THE PIECESである(全米63位)。
ランディーは録音終了後、リッチーとジムにアルバムのミックス・ダウンに参加したいと申し出たところ、二人に却下されたことから、憤慨してバンドから急遽脱退した。そのため、ランディーがボーカルを努めたパートはジョージによって再録され、差し替えられたのだ。だから、アルバム・ジャケットには4人しかいないのである。表ジャケットを飾るバンドのイラストも急遽変更されて、ランディーが描かれていた場所には、犬の絵にこれまた差し替えられたのだ。
アルバムのジャケット内側、ランディーはいない。
アルバムのジャケット裏側、やっぱりここにもランディーはいない。
ランディーはしばらくセッション・ミュージシャンを続けたが、最終的に故郷に戻り別の職を得た。しかし、ミュージシャン仲間からの呼び戻しに従い再びロスに戻ったところ、そこで後にイーグルスを結成するメンバーと一緒に仕事をすることになった。人生なにが幸いするか分からないものである。
ランディーが脱退する原因を作った中心メンバーのジムは3枚目のライブ・アルバム、DELIVERIN’の後、ポコを脱退しロギンス&メッシーナを結成。リッチーも6枚目のCRAZY EYES制作後脱退し、結局二人ともポコに於いて大ヒットという結果を出すことは出来なかった。
言い方は悪いが、おまけみたいな形でバンドに参加したラスティーは、リッチーやジムがポコに在籍していた時は、ほとんど作曲にも加わらずまたボーカルをとることもなく 演奏のみに専念していたのだが、バンドの看板であった二人が脱退し窮地にさらされた。しかし、その逆境をはね返し、つい最近出された2013年の最終作のスタジオ・アルバム、ALL FIRED UPをもってポコの活動停止するまで、ポコの中心メンバーとして長年活動を続けたのである。しかもリッチーやジムがポコで成し遂げられなかった大ヒットを産むのである。
1978年のアルバムLEGENDが14位で、シングルカットのCRAGY LOVEが17位(アダルト・コンテンポラリー部門では1位)。 そして1989年のLEGACYからシングルカットされたCALL IT LOVEが18位(アダルト・コンテンポラリー部門では2位)
普段おとなしくのんびりした性格の人でも、リーダーが急にいなくなり追い詰められた立場に置かれると、自身の責任感が目覚め、今まで隠れていた力が発揮され難局を乗り切る力が出てくることがある。
そのため、ポコを聴くと、いつもラスティーの頑張りに勇気づけられる。
ところで、オレの隠された力はいつ出てくるのだー
そんなものは、ありゃせん。
やっぱり。
ラスティーのインスト・ナンバー。彼は、演奏するスティール・ギターでオルガンのような音色も自在に出すことのできる凄腕の奏者であります。
Poco - Grand Junction
最新の画像[もっと見る]
- ハード・ロックの王道 16時間前
- ハード・ロックの王道 16時間前
- ハード・ロックの王道 16時間前
- ハード・ロックの王道 16時間前
- 地味だけれど悪くない 2日前
- 地味だけれど悪くない 2日前
- 地味だけれど悪くない 2日前
- 地味だけれど悪くない 2日前
- 当時の問題作、マッカートニー 2日前
- 当時の問題作、マッカートニー 2日前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます