CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ちょっと寄り道、レッド・ブルの巻ってことで...

2016年07月27日 | 特になし
我々日本人にとって、エナジー・ドリンクと言えば、1962年、大正製薬から発売されたリポビタンDがやっぱりパイオニアであろう。

その存在を知ったのは、子供の頃、当時巨人軍の王選手がテレビのコマーシャルで宣伝していたためであった。

しかしながら、大人向けの医薬品に近い成分を持つ健康ドリンクとして販売されていたためどのような味をしていたのか確かめる事はためらわれた。

どんな味かが分かったのは、もう少し後の話で、高校生のとき風邪をひいて疲れたときや受験勉強をしている合間に、母親が買い置きしていたものをちょっと拝借って言う感じで飲みだした。

大正製薬のリポビタンDが非常に売れたので、同業者も同じような健康ドリンクってやつを売り出した。

例えば、中外製薬のグロンサン?もしくはグロモントだったけ?、田辺製薬のアスパラ(歌手の弘田三枝子が“アスパラでやり抜こう”と歌ってたような記憶が)、第一製薬のマミヤン(谷啓がテレビで、“マミヤン飲んで、行こうか~”なんて言ってた記憶がある、また小学校の同学年に、間宮って名前の子がいて、彼のあだ名は当然のごとく、マミヤンーだった)、その後チオビタ、アリナミンのドリンク、アルギンZ(タモリがコマーシャルに出ていたような?)、ユンケルなどなど、数多くの商品が出回って今に至っている。

その中では、やっぱりリポビタンDが一番印象に残っていて、特に勝野洋と宮内淳の太陽に吼えろコンビのコマーシャル、“ファイト~、イッパァーツ”は今でも思い出す。

個人的に残念だったのは、リポビタンDと同じ60年代に登場した大塚製薬のオロナミンCドリンクである。

そう! 関西の人気喜劇役者だった大村昆のきめ台詞、“うれしいとねぇ、めがねが落ちるんですよ~”と宣伝していたやつである。

このドリンクは炭酸で割っていたので、医薬品のようなイメージはなく清涼飲料として認識され、当時清涼飲料と言えばコカ・コーラやファンタなどで、子供心にそれらと比べると分量的に見劣りを感じたものだ。

また、“浪花千栄子でございます”のコピーで有名で、当時どんな皮膚疾患にも効果があるとされた万能軟膏、オロナインC軟膏とダブり、どうも飲料としてのイメージはあまり無かったような記憶がある。

此処シンガポールでも、健康ドリンクはよく飲まれており、70年代半ば頃からリポビタンDの現地生産が行われていて、リビター(利必大、LIVITA)と言う現地名で販売された。

ちなみに、私も80年代に此処に済んでいた頃は、仕事の合間によくお世話になった。

さて現在はと言うと、やっぱりレッド・ブルということになる。

もともとタイにあったローカルの健康ドリンクを、オーストリア人が見つけ、その海外販売権をタイの経営者から買って、レッド・ブルという商標でタイのメーカーと合弁事業を始め、当時ヨーロッパに無かった健康ドリンクを持ち込んで、この分野では世界一となり大成功を収めた。

此処シンガポールのスーパーでは、清涼飲料の棚に大まかに分けて2種類のレッドブルが置いてある。

一つは250MMLの細長い缶はヨーロッパのレッド・ブル社の製品で、もう一つの背の低い缶はタイのレッド・ブル社の製品となっている。

製造地によってその成分は異なるのだが、私としては価格の安いタイ製6缶パック(5.40シンガポール・ドル)、一缶あたり約72円のシルバー缶(25%シュガー・カット)なるものを愛飲している。

味はリポビタンDを参考にしただけあって、そんなに変わらないし、成分もビタミンB類やタウリン1000MMG配合とリポビタンDと同じようなものとなっている。

そして残念なことに、80年代によく見受けられたリビター(利必大)がいつも行くスーパーではまったく見かけない。

たぶん、レッド・ブルに此処10-20年の間にマーケットを奪い取られてしまったのであろう。

レッド・ブルは世界の数多くの著名なスポーツ・イベントに協賛したりして多くの広告費を投入し、後発ながらも一気にその知名度を世界的に広めた。

医薬関連の健康ドリンクは日本がパイオニアであったのに、海外での展開となるとその宣伝に派手さが欠けて、後手に回ってしまったことは否めない。

日本発の健康ドリンクを今後世界に広めるには、イチロー選手に50歳まで現役を続けてもらう事である。

そしてピート・ローズのメジャーでの最多安打記録を打ち破ってもらい、そこで一言、“サトーのユンケル飲んでます”とでも言ってもらうしか方法は無いのでは?