CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ワイルドな野郎ども

2022年12月11日 | AMERICAN ROCK/POPS

元々は60年代中期、カナダのトロントでスパロウズとして活動し、その後アメリカに移住。そして1968年、セルフ・タイトルのSteppenwolfでアメリカ・デビューを飾る。

大きかったのはピーター・フォンダとデニス・ホッパー主演のニュー・シネマ、イージー・ライダーにBorn To Be Wild(ワイルドで行こう!)ともう一曲が取り上げられた事ですね。

それによってデビュー・アルバムからシングル・カットされたこの曲は大ヒットし、バンドも一躍有名になった。

芸風はアメリカン・バンドらしくハード・ロック、フォーキーやブルージーな曲など色々やっていて、またデビューが60年代末と言うことで、お約束とも言える当時流行りのサイケデリックを取り入れた曲、Magic Carpet Rideなんかもヒットさせた。

日本じゃワイルドで行こう!の一発屋って感じのイメージで、彼らの人気もそれほど浸透していなかった様な気がする。かく言う私も彼らのアルバムを1枚も所持していなかったので、1999年に出た彼らのダンヒル・レーベル時代のベスト・アルバム、The Best Of Steppenwolf-The Millennium Collectionを遅まきながら購入するに至った。

当時、明日なきワイルドな野郎どもって感じの出立ちの彼らだったが、一発屋と言われようがBorn To Be Wild(ワイルドで行こう!)はいまだにその輝きを失わず印税を確実に稼ぎだす。

実は堅実な野郎どもなのね。


逆輸入のバンド

2022年12月10日 | AMERICAN ROCK/POPS

70年代後半のアメリカン・パワー・ポップの寵児、チープ・トリックでも。

1977年の彼らのセカンド・アルバム、In Color. (And In Black And White)。

直訳すればカラーでとか色に染まってって感じのタイトルだが、邦題は“蒼ざめたハイウェイ”と何か物々しさを感じさせるのはいつもの様にご愛嬌。

シングル・カットされたI Want You To Want Me(甘い罠)もチャート・インしなかったし、アルバムも米73位だったが、日本ではオリコン30位でシングルもそこそこ評判良く、ブレーク一歩手前の彼らだった。

クイーンやボン・ジョビらのように日本から人気に火がついて、それに引っ張られた形で本国でも大成功を収めたのは少しばかり誇らしい。

複数回聴いた展覧会の絵のお口直しには、さらっと弾けるポップがお奨め。


展覧会の絵、3本立ての弊害

2022年12月10日 | PROG ROCK

昔親によく映画に連れて行ってもらった。

確か特撮怪獣物、若手歌謡スターが主人公の青春物に漫画の3本立てだったような記憶が…

今住んでいる最寄りの駅の近くにも確か映画館が2軒あったようだが、パチ屋やオフィス・ビルに姿を変えてかなりの年月が経ち、もう映画館で3本立て見ることも無くなってしまった。

てな事で、本日はロックの3本立てでも。

1971年、ELPが2作目のアルバム、Tarkusを制作中に行ったライブ公演の海賊盤対策として、ライブ・アルバム、展覧会の絵が正式に3作目として出て、当時このアルバムからシングル・カットされたナット・ロッカーを購入し結構気に入ったことから、後日このLPの購入に至った。

スタジオ録音と比べると粗削りだけれど、エネルギッシュな演奏はライブならでは。

時は過ぎ去り、2008年には2枚組デラックス・エディションなるCDが発売され、オリジナルのニュー・キャッスル公演だけでなく、ワイト島とロンドンのライシアム・シアターでの公演の3本立てのライブ音源がまとめて聴ける優れものだった。

オォ~ これぞ3本立て! 本日は週末なのでLPではなく、CDで2回鑑賞してみた。

でもこれだけ回数聴くと、展覧会の絵のキーになるPromenadeが何度も登場してそのメロディーがしばらくは頭にこびり付いてしまうね。

 


もう直ぐお正月

2022年12月09日 | AMERICAN ROCK/POPS

1973年にザ・バンドはオールディーズのカバー・アルバム、Moondog Matineeを発売。

買った当時はあまりピンとこなかったのだが、時は過ぎ去り大人になって、改めて聴いてみると、何故かヘビロテとなるほど楽しいアルバムに思えた。

このアルバムの一曲目に、Clarence “Frogman” Henryが1956年に歌ったR&B、Ain’t Got No Homeをカバーしている。オリジナルの3番目の歌詞ではClarence Henryはカエルの声を真似て歌うことから彼は“Frogman”とも呼ばれたらしい。

I ain’t got no home

No place to Roam

I ain’t got no home

No place to Roam

I’m a lonely boy

I ain’t got no home

 

I ain’t got no sister

I ain’t got a brother

I ain’t got a father

Not even mother

I’m a lonely boy

I ain’t got no home

Boo~ Boo~ Boo~ Boo~ Boo~ Boo~ Boo~ Boo~ Boo~ Boo~

Boo~ Boo~ Boo~ Boo~ Boo~ Boo~ Boo~ Boo~ Boo~ Boo~

 

早いものでお正月がもう直ぐやって来る。金欠故、悲しげにこの歌を歌って何とか切り抜けたい。

親戚の子ども:おじさん、お年玉よろしく~

私:I ain’t got no home~♪♪

親戚の子ども:それはセコイ~ 友達いなくなるよ~

私:I’m a lonely boy~♪♪

親戚の子ども:仕方ないね~ じゃ、あるだけでいいよ!

私:カエルのモノマネでゲロゲロゲロ、否!ゼロゼロゼロ (お金ありません~)

ってわけにはいかないか。

ザ・バンドの世界、ノスタルジックな雰囲気でいい感じ。


フェアバーンの置き土産

2022年12月09日 | PROG ROCK

ブルース・フェアバーンといえば80年代から90年代にかけて数多くのハードロック系のバンドの作品のプロデュースを手掛け、成功に導いたカナダ人の売れっ子プロデューサーだった。

著名なところではボン・ジョビ、エアロ・スミス、AC/DC、ヴァン・ヘイレンやキッスなどなど。

その彼が何とプログレ界の親玉だったイエスの1999年の作品、The Ladderのプロデュースを引き受けた。

トレバー・ラビンとトニー・ケイが去り、新生イエスとして1997年に出したセルフ・プロデュースの作品、Open Your Eyeが見事ずっこけ、何かバンドに変革を!と考えていたところに、フェアバーンと出会いニュー・アルバムのプロデュース頼んだのだった。

イエスの過去から培われてきた伝統的な良さは残したものの、複雑に絡むアレンジは上手く解きほぐし、印象に残るフレーズを強調しリスナーとの融和性を構築しようとした結構緻密な作業を施したかのように思える。

出来上がった作品は、これがイエス?と思わせるような前作にはない非常に親しみやすいイエスに生まれ変わったのではないだろうか?

因みにアルバムの完成間近にイエスの面々がフェアバーンの自宅を訪問した時、フェアバーンは既に亡くなっていたそうな。(病死だったのか?)

70年代初頭のプログレ全盛時代から四半世紀以上が過ぎ去り、かって栄華を極めたプログレが忘れ去られた世紀末、英36位、日本38位と米99位のチャート・アクションはかなり健闘したと考えてもいいのではないか。

フェアバーンの遺作となったイエスのThe Ladderは21世紀のプログレの在り方の指針となる置き土産になったように思える。

フェアバーンのトラック・チャートを元にイラスト・レーターが過去の作品のアート・ワークをイラスト化して作成したもの。

個々のイラストの意味がよくわからないが、クリスがフィッシュと呼ばれていたのはよく分かった。


久々にフォーカス

2022年12月08日 | PROG ROCK

壁に掛かったカレンダーを見上げると、早いもので12月も3分の1が早過ぎ去ろうと....

今年のイメージって個人的にはマスクとつい先日受けた5回目のコロナの予防接種ぐらいかな。マスク着けて外食も面倒臭いし、どこかに出掛けて買い物って気もしない。

まあその分、自宅にてレコードやCDを鑑賞する時間が増えたので良しとすべきか...

オランダのプログレ・バンド、フォーカスの1973年のライブ盤、At The Rainbowを久々に手に取る。

(観音開きの特殊ジャケット)

ジャズとロックが融合したようなうねりのある長尺曲もいいけれど、このアルバムの売りはやっぱり彼等のセカンド・アルバム、Moving Waveに収録されていたHocus Pocus(悪魔の呪文)とサード・アルバムのSylviaの高速バージョンですかね。

ところで、5回目の接種会場で医師に聞いてみた。

もう5回目なんですけど、この予防接種って効果あるのですかね?

打っておいた方が、免疫力アップで予防効果あります。

でも、既に無症状で感染してるかも?

それはあるかも知れません。

むむ〜 もう何も考えずに、音楽鑑賞にフォーカスってことでいいかも?

 

 


久々にムーディーブ・ブルース

2022年12月07日 | PROG ROCK

出来るだけオーバー・ダビングをさけ、スタジオ・ライブ感覚でレコーディングされたのはムーディー・ブルースのバンド再編後から数えて5枚目のアルバム、A Question Of Balance。

1970年、全英1位、全米3位の大ヒット・アルバムとなった。

海外での人気と比べると日本じゃそれほどの人気はなかったけれど、じっくり聴けば彼等の良さが滲み出るアルバム。


今日気づきました

2022年12月06日 | BRITISH ROCK

先月の30日、元フリートウッド・マックの中心メンバーだったクリスティーン・マクビーがお亡くなりに。

60年代末、英バンド、チキン・シャックにクリスティーン・パーフェクトの名で参加。

後にフリートウッド・マックのベーシスト、ジョン・マクビーと結婚、彼女はクリスティーン・マクビーとしてフリートウッド・マックに参加。

人気低迷期のバンドに数多くの素晴らしい楽曲を提供しバンドを支えた。そして活動拠点をアメリカに移し、スティービー・ニックスとリンジー・バッキンガムらの加入によって新生フリートウッド・マックが誕生。その後の彼等の大成功は説明不要だろう。

本日は哀悼の意を込めて彼女の1982年のセルフ・タイトルのクリスティーン・マクビー名義では初のソロ・アルバムでも。

彼女の魅力がたっぷり楽しめるアルバムだ。

RIP


Grungeって?

2022年12月04日 | AMERICAN ROCK/POPS

博士:我がクラシック・ロック研究所も、世の中の潮流に乗り遅れないよう日々研鑽に励んでおる。自分の得意分野だけで苦手な分野も更なる探究を深めそれを克服していただきたい。

助手:ははぁ~

博士:ところで君の苦手な分野ってのは何かね?

助手:やはり、80年代以降のミュージック・シーンですかね? やっぱり、ヒップ・ホップ、ラップ、ユーロ系エレ・ポップにグランジあたりですかね。

博士:それでは、今日はグランジについて研究しようではないか。

助手:1980年代中頃、アメリカのワシントン州、シアトルを中心としたインディーズ・ロック、80年代のガレージ・バンドって感じですかね? Grunge、ちょっと小汚いって意味するようなラフなファションに身を包み、ギターやドラム中心のシンプルな編成でディストーション・サウンドを大音量で叩き付けるような印象...

博士:90年代になってから、パール・ジャム、サウンド・ガーデンやニルヴァーナなどが大ヒットを飛ばして一躍表舞台に飛び出した。ちょうど80年代の産業ロック、ヘビメタやエレクトロ・ポップなんかに飽きた人達が飛び付いたとも言えるかの...

百聞は一見にしかずってことで、本日はニルヴァーナでも。1991年の彼らの大ヒット・アルバム、Nevermindも捨て難いが、全体を俯瞰する意味での2002年に出たベスト・アルバムを聴いてみようではないか。

助手:なるほどこれがグランジ・ロックってやつですか? 印象としては、芸風は違いますが何となく退廃さを感じさせる60年代のドアーズって雰囲気が...

博士:その通り!ロック・ミュージックはずっと繋がっていて進化と言うよりは同じ所をぐるぐる回っている感じで、その時の情勢とタイミングが合えば表舞台に浮かび上がってくるってことかのう。日陰ばっかり歩いてきたワシもグランジ・ロックにあやかって一度は陽の当たる表舞台に飛び出したかったのう〜

助手:博士、あなたのその出立ち! 色褪せて年季の入ったユニクロのネル・シャツに穴の空いたジーンズではないが安物のジャージ。まさにグランジ!

博士:これは単に新しいのを買う金がないだけ! 


ちょっと緩めのファンクでお願いします〜

2022年12月04日 | AMERICAN ROCK/POPS

日曜日の朝、寝起きにファンクって言ってもちょっと体がついていかない。

そんな時にはちょっとゆったりした目で行きたいものだ。

本日は元アニマルズのエリック・バートンと共にアメリカで1970年に結成されたWarでも。

中でもバートンがバンドから離脱した後、War名義の1972年の3枚目のアルバム、The World Is A Ghettoがいいんじゃないの。

芸風としてはファンクやソウルにジャズやラテンなんかが混じり合ったハイブリットな演奏を聴かせてくれて、時折混ざるリー・オスカーのハーモニカの演奏が癒しのアクセントとなっているのかな。リー・オスカーは80年代の化粧品のCMで彼の曲が使われたので日本でも少しは知られていると思う。

アルバムはシンプルでミディアム・テンポのThe Cisco Kidから始まり、なんと無く牧歌的なCity, Country Cityを経由してアフリカの宗教の御呪いのようなBeetle In The Bogでまったりと終了する。

これを聴いて寝起きの体をゆっくりと始動させる。

因みにこのアルバム、なんと全米1位に輝き、シングル・カットされたThe Cisco Kidも2位と大ヒット。

アメリカ人も当時はちょっとお疲れ気味だったのかも?


ここまでやるか~、Working for MCA

2022年12月04日 | Southern Rock

MCAとはMusic Corporation off Americaの略称でアメリカの巨大音楽産業を構成する一員だった。

Working for MCAって曲、本当にご当人の前で演れる?ってぐらいぶっ飛んだ歌詞のロック、チューンだ。

この7年の間全くツキがない。

フロリダの州境からテネシーのナッシュビルにやってきた。

どんなイベントにも顔を出しこなして来た。

そして、北部の詐欺師野郎が彼の求めているものが俺たちだって言ってきた。

契約書にサインを

今日にでもサインを

大金が稼げるぜ

MCAのために働けば

俺たちが得たのはたった9000ドルぽっち!

だけど南部の漢がするようにニャッて笑ってやったぜ

カリフォルニアに行ってスーパー・スターにしてくれるんだって

俺の金は全部払ってくれよ、アンタには大した額じゃないだろう?

ニューヨークで活躍していたミュージシャン、アル・クーパーに見出されMCAレコードの傘下のSound Of The Southと契約したサザーン・ロック・バンド、レイナード・スキナードが彼らの1974年の2枚目のアルバム、Second Helpingのレコーディングでそのプロデューサーであったアル・クーパーを前にして豪快に歌った。

前年のデビュー・アルバムが既にミリオン・セラーの爆売れだったのに、Second Helping(2度目の御奉公)と意味ありげなタイトルのアルバムに収録されたのはWorking for MCA。何かのジョークかそれとも本心(賃金闘争)を歌ったものだったのか…

まあ実力あっての事だったのは間違い無いだろう。

Working for MCA以外にも、ニール・ヤングのSouthern ManやAlabamaに対する回答とでも言えるアラバマ州讃歌、Sweet Home AlabamaやJ.J. Cale作の軽快なCall Me Breezeなど聴きどころ満載。

MCAと言えば、1990年日本の松下電器産業がバブル景気の影響もあって、家電のハードと映像・音楽のソフトの融合を夢見てMCA・ユニバーサルを買い取った。ジュラシック・パークが世界的大ヒットしたもののアメリカ企業を統率するノウハウも乏しく赤字に転落、バブルが弾け始めた中その5年後にカナダの酒醸造会社、シーグラムに株を買い取ってもらい清算と相なり、現在はMCAレーベルは消滅しユニバーサル・ミュージックが代わって運営している。

その点ソニーは1日の長があったのかな。60年代末CBSに請われて合弁企業CBS・Sonyを設立し、1988年にアメリカのCBS株を買取りソニーの名義で音楽、ゲームと映画などの娯楽産業を世界的に展開。有名なところではマイケル・ジャクソンからビートルズの音源の著作権を購入し現在まで所持している。

てな事を思い出した。

 


ひとりごと

2022年12月03日 | S&G and etc.

歳をとるとひとりごとが多くなる。

立ち上がる時でさえ、誰もいないのに”よいしょ”って自分に語りかけるが如くいつも声に出して言ってるね。

本日はポール・サイモンの1973年のソロ2作目, There Goes Rhymin’ Simon(ひとりごと)でも。

彼のつぶやく感じの歌唱が”ひとりごと”って言う邦題に繋がったのだろうか?

それはさておき、サイド−B

の1曲目の“アメリカの歌”を除いては、デュオ時代とは異なる芸風が確立したみたいで…  

プロデューサーにはS&G時代とソロ1作目のロイ・ハリーではなく、後のビリー・ジョエルのなどのプロデュースでおなじみのフィル・ラモーンを共同プロデューサーに起用し、マッシュル・ショールズ・スタジオの腕利きセッション・プレイヤーをバックにレコーディングを敢行した事からS&G時代のフォーク・ロックとは一味違う雰囲気のAOR風味の素晴らしいアルバムが完成したと言えるのでは。

アルバムからシングル・カットされた 某国営放送局の放送禁止歌 “コダクローム”と “母からの愛のように”が全米2位、アルバムも 同じく全米2位で更にグラミー2冠。と快進撃。

すげ~ってば、それじゃオイラもひとりごとでも。

まあ、オジンのひとりごとじゃ金にならん!って言われそう。

リラックス出来る曲ばかりで、捨て曲無しの好盤です。


イタリア語バージョンでお願いします。

2022年12月01日 | AMERICAN ROCK/POPS

60年代半ばから活躍した盲目の歌手でありギタリスト、プエルトリコ出身のホセ・フェリシアーノ。

1968年のドアーズのLight My Fireのカバーが大ヒット。その後もヒットを重ね活躍した。

でも一番印象に残ったのは1971年のイタリアのサン・レモ音楽祭で歌ったChe Saraですかね。

貧しいイタリアの田舎町、若者がそこでの退屈な生活に見切りをつけて街を離れる。

なるようになるさ、ケサラ、ケサラ、ケサラ~ ♪

日本でも翻訳されてヒットしたが、日本語の歌詞は何故か独自のバイアスがかかっていて平和とか自由のイメージを浮かばさせるような感じでちょっと違うかな?

(1992年、RCAから発売されたオリジナル音源収録の廉価版コンピCD。)

ドアーズだけでなく、バート・バカラックーハル・デビット、ビージーズ、ビートルズにディランらの秀逸なカバーも収録されていて中々よろし~

でもオススメはやっぱりChe Saraかな? 

そして聴く時はオリジナルのイタリア語バージョンの日本語訳をお供に聴いて欲しいね。