大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校ライトノベル・志忠屋繁盛記・6『雨上がりの奇跡』

2013-05-21 23:06:39 | 志忠屋繁盛記
志忠屋繁盛記・6
『雨上がりの奇跡』
       


 通り雨が過ぎた跡の香りに夏を感じるのは、もう六十になろうかという歳のせいかもしれなかった。

 今夜は晴れて、けっこう繁盛するかと思ったが、案に反してディナータイムは坊主であった。
 予想に反して、イレギュラーな土砂降りになってきた。まだ、こういう勘が当たるほどの歳でもないかと苦笑して、片方の尻をあげて放屁しても笑う相手も居ない。パートのトモちゃんは娘(坂東はるか)のテレビ出演に、若手俳優の母ということで、バラエティーに出演中である。まあ、夜の入りはしれているので、自分一人でもこなせると、トモちゃんには見栄を張ったが、正直、この土砂降りには少し感謝でもある。
 それにしても、完全な坊主ではオーナーとして業腹である。
 自分の身から出た臭いに閉口して換気扇を強にしにいくと、それがスイッチでもあったように客が入ってきた。
「いらっしゃ……」
 そこまで言って、マスターは驚いた。レインコートを脱いだその下は、新しいともクラシックとも言える青と白の大柄なギンガムチェックのワンピ。それが若いプロポーションによく似合っている。
「マスターおひさです。とりあえず、白のワイン。で、覚えてたらいつもの」

 この子は、以前悪友の大橋が、よく連れてきた、大阪の高校演劇の名門(マスターも大橋も認めないが)R高校出身の君子である。けして名前を訓読みした君子(くんし)ではなく、取り扱いの難しい娘であるが、マスターほどのオッサンには面白い子である。たしか、この春に短大を卒業して就職したはずである。ワインを出しながら、マスターは思った。
 
「今日は、二重の意味で珍しいなあ」
 マスターの意地悪な言い回しに、君子は一睨みしておいた。このマスターを睨みつけられるなんて、わたしも大人になったもんだと、君子は思った。
「へい……チーズセットとサラダ」
「嬉しい、覚えていてくれたんだ!」
「ベッピンさんの好みは忘れへん……君子なあ、ワイン一気のみするやつあるかあ」
「ハハ、つい喉ごしいいもんで」
「おかわりか?」
「とーぜん、もう二三杯」
「一杯だけにしときや、まだ若葉マークやで」
「わたし、お客なんですけど」
「……突然変な天気になりよるし、君子はブスッとしとるし」
 カエルの面になんとかで、マスターは、完全な業務用の笑顔。この肉厚な笑顔に対抗できるだけのボキャブラリーは、二十歳の君子にはない。
「彼とは、あんまりけえへんけど、どないやねん?」
「ノーコメントです!」

 実は、昼間、君子には、あいつから電話があった。仕事が早く終わりそうなので、「今夜会わないか」というのだ。君子は、二人にとって恒例になっていた週末デートを二週続けてキャンセルしていた。最初のは、都合をつけられないこともなかったが、職場の女子会があるからと断った。二度目は本当にウザかった。
 理由は、その男の距離の取り方だった。

 成人式の日、家まで送ってきたやつにキスされた……させてしまった。

 成人式のアゲアゲのムードもあったし、ほどよく……少し度を超したアルコールも入っていた。
 でも、これは、その場限りの、成人式にありがちな、君子としては限度一杯の飛躍でしかなかった。
 それを男は、勘違いしている。もう恋のカリキュラムを一つ進めて良いような気になっている。その独りよがりな距離の詰め方が、君子にはウザかった。

「まあ、男て、そんなもんやけどな……」

 気づいたら、君子は喋らされていた。どうもオッサンというのは油断がならない。
「なんやったら、試しに彼読んで、テストしたろか?」
「はあ?」
「そやかて、ここは志忠屋やで」
「うん、シチュ-とパスタのお店」
「こういう書き方もでける」
 マスターは、メモ用紙にこう書いた。
『試チュー屋』
「もう!」
「君子のそういう顔は、高校生のときのままやな」
 そう、オチョクッて、紅の豚のポルコのように豪快に笑った。
「そういや、このお店来るようになってから、足かけ四年目かな……」

 君子はマスターの毒消し笑いで、昔の思いにふけっていた。

「このごろ、大橋とは会うてないんか」
「あ……ご無沙汰してます」
「まあ、ええけどな。あいつちょっと苦戦しとるで」
「え……?」
 マスターは、店のパソコンを大阪高演連のサイトに合わせて見せてやった。あいかわらず大橋ののブログは、ヤフーでもグ-グルでもトップのあたりにあった。トップのブログを見て、君子は悲しくなった。

 どうやら、大阪は曲がり角にきているようで、この三月には臨時総会を開いている。総会の内容は、定例なら明くる日にはアップロードされるが、これについては、連盟のオフィシャルには、なにも書かれていない。それも含め、先生は、この一年の大阪の不始末を列挙し、大阪の後退をラディカルに訴えて、三月の総会についても、いろんな資料から類推し、幹部の先生にも確認をとって書いていたが、見事に外れていた……もう、大橋には、君子たちのような存在がいないようだ。
「これって、卑怯です!」
「せやろ、さんざん確認させて、答えもせんとひっくり返す。連盟も大人げないなあ」
 君子は、スマホを出して、大橋にメールを送ろうとした。
「やめとき。大橋は、そういうの一番嫌がりよる。打つんやったら、還暦祝いぐらいにしとき」
 で、デコメいっぱいつけて、ちょっと月遅れのハッピーバースデイを送った。

 その時、にわかにカミナリがして、お店の電気が一瞬消えた。

「おいおい、昭和とちゃうねんで、こんなカミナリぐらいで……」
 マスターのボヤキの途中で、灯りが戻った。

「あ………」

 マスターが魂の抜けたような顔で、テーブル席を見た。つられて、君子も、そちらの方を見る。四人がけの席にソフト帽を被った、麻生副総理に、もっとスゴミをきかせたような、オッサンともオジイサンともつかない人がが座っていた。
「久しぶりやな。自分は山本高校で、ようゴネてた……コウチャンやな」
「まさか……四天玉寺高校の藤木先生……」
「今のカミナリで、二か月ほどはよ来てしもた。ちょっとロックで一杯くれるか」
 そういうと藤木先生は、帽子を脱ぎタバコを探した。
「切らしたなあ……コウチャン、朝日あるか」
「え、朝日ですか……あった……なんでやろ?」
 マスターは、そう呟くと、オンザロックと朝日というタバコを持って行った。
「君は、どこの演劇部やったんや?」
 鬼瓦のような顔に似合わない笑顔で、君子に聞いてきた。
「はい、R高校に居ました」
「ああ、あの道具に凝る学校やな。名前忘れたけど、顧問の先生は元気か?」
「あ……しばらく行ってないもんで。でもクラブの様子、ネットとかで見ていたら元気みたいですよ」
「コウチャン、そのパソコンで、R高校の顧問出してくれるか」
 マスターが、操作するとパソコンがオモチャのように見える。
「なんや、ガキチャレと格闘家しか出てきまへん……」
「あ、頭にR高校つけると出てきます」
 わたしの、アドバイスで、うちの顧問が出てきた。
「なんじゃ、難波の高演のリーダーがこれかい。RF高校のあいつは?」
「……九州の信用組合のえらいさん……ああ、二ページ目に出てきました」
「大げさな芝居やるわりには、しょぼいなあ……大の字は?」
「四万件出てきます。見ます?」
「ええわ、あいつも数だけやのう……」
 そう言いながら、藤木先生は老眼鏡を取りだした。
「ほう……そこそこには本も出しとるようやけど、こいつも口だけやからなあ」
 この先生にかかっては、蒼々たる先生達もカタナシである。

「芝居は、おもろないとあかん」
 そう先生が言ったころには、灰皿は『朝日』という強烈な臭いの吸い殻で一杯になり、マスターは手際よく灰皿を交換した。
「わし、沖縄戦の生き残りでなあ……斥候に出たとき、敵に囲まれてしもてなあ。撤収しよ思たら、隣の分隊長が撃たれてしもて……なまじ英語がでけるもんで、すぐに捕虜になってしもた。で、一年ちょっと捕虜生活。捕虜て退屈なもんでな。アメチャンの所長と相談して、収容所の中で劇団こさえた」
「え、ほんとですか!?」
「ああ、ウケタで。馬場の忠太郎、国定忠治、金色夜叉、松竹の舞台の真似もやったな。賢弟愚兄とかな。とにかく芝居は理屈やない。分かり易うて、笑うて、泣かしてくれるやつ。おもろかったなあ……」
「その間、奥さんは毎日大阪駅行って、『○○部隊の藤木はおりませんか!?』やってはったんだっしゃろ」
 そこで、先生は激しくむせかえった。
「コウチャン、それ、誰から聞いた?」
「大の字が、先人の体験を語り継がなあかんいうて、いろんな年寄りから話し集めとります」
「『戦争を知らない子どもたち』か……もう還暦のオッサンのくせして」
「でも、奥さんとは、感激の再会やったんでしょ?」
「それが、合うなり張り倒されてな」
「え、どうしてですか!?」
「わし、収容所でえらい肥えてしもてな。カミサンは栄養失調でガリガリや、そんなんが、汽車から降りてきて『よお、元気やったか!』……そら、張り倒したあもなるわな」
 先生は、ワケありげに体を傾けると放屁された。奇しくも、マスターが放屁した同じシートである。朝日の香りと混ざって、えも言えない空気になり、君子はは思わずファブリーズを探してしまった。
「今は、ケイオンやらダンス部やらが人気あんねんやろ?」
「ええ、参加団体では、去年ケイオンに抜かれてしまいましたわ」
 マスターは、また灰皿を替えた。
「いつまでも、とろくさい芝居やってたらあかんで、お嬢ちゃん、あんたも現役のころはハッチャケとったんやろ。せめて、今の気い抜けた高演、どないかしたってえや」

 それから、藤木先生とマスターの面白い話は続いた。そうやって、ボトルが一本空になったころ……。

「ああ、やっぱりここに来てたんか!」
 男が、店に入ってきた。
「あなたのこと呼んだ覚えはないんだけど……あれ?」
「どないした、君子?」
「藤本先生は?」
「え……そんな人おらへんで。オレと君子だけやったで」
 マスターはマジな顔で言う。
 姿は見えないが、まだ気配はしている……。
「マスター、おあいそ」
「へい、千五百円」
「じゃ、また……」
「今度は、オレに付き合えよ」
「ごめん、家帰って、メール打たなきゃならないから」
 それでも、男はは店の外まで付いてきた。
「あんまりしつこくすると、そこ交番だからね!」
 そんな若い二人の会話を聞いていると、フト記憶と藤木先生が戻ってきた。
 
 ブラインドの隙間から見上げた空には、すっかり上がった雨のあとに化かされそうな満月が浮いていた……。 
 この物語はフィクションであり、登場人物、団体は実在のものではありません


『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』        

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