ライトノベルセレクト№41
『基礎代謝』
わたしは、いま事務用のジャンパーを着てパソコンに向かっている。向かいに座っている息子はTシャツである。我が家は三階建てで、なぜか二階が一番暑い。今日は三十度になったので、一階に非難してきている。
で、なぜか中間考査の中休みというのがあって、平日にもかかわらず家にいる息子と、心ならずも、同じ座卓を向かい合わせで、それぞれのことをいたしている。で、息子がエアコンを点けたから驚いた。
勉強しているのかと思いきや、家内のパソコンで、なにやらJとかKとかが頭に付くポップスを聴いている。
「R介、ちょっと寒ないか……」
遠慮がちに聞いてみた。
「ちょっとの間、我慢して」
いささかムッとした。しかし、ただでも多感な高校生である。まともに言ってもコミニケーションは成立しない。息子は、気持ちだけ設定温度を下げた……たぶん一度だけ。またたくうちにエアコンはアイドリングになり、室温を下げるのをやめた。
リモコンをチラ見すると二十六度を指していた。
別に、息子は働きの悪いオヤジに(ここで不覚にも鼻をすすってしまった)意地悪をしているわけではないのである。
基礎代謝が、十七歳の息子と、還暦になりたてのわたしとでは大きな開きがあるのである。十七歳の基礎代謝量は1580キロカロリー、六十歳のわたしは1400キロカロリーである。
その差、わずかに180キロカロリーであるが、午前中三階の自分の部屋でエレキに絞り声で元気いっぱい張り上げていた息子と、朝の六時から、ただ座ってパソコンを相手にしているわたしとでは、エネルギー消費は倍近く違うであろう。
しこうして……この間、わたしは靴下を履きにいった。
しこうして、Tシャツのアゲアゲニイチャンと、ジャンパーに冬用靴下のオッサンが同じ部屋で同居のはめとなった。
基礎代謝は、バカに出来ないもので、感受性などにも影響してくる。
息子はヘビメタとまではいかないが、かなりハードなポップスにはまっている。ビーズ、カンジャニ、スマップ、ゴールデンボンバー、いきものがかり……ぐらいまでは分かるが、あと目を輝かせて教えてくれたミュージシャンは、まるで分からない。わたしは、アイデアを喚起するために入り込んだAKBを時たまに聞くぐらいで、どうかするとナット・キング・コールの「LOVE」や、ジュディーガーランドの「オーバーザレインボウ」を聞いている。初音みくが歌う「軍艦マーチ」を聞いていたときは、母子揃って、ゴキブリを見るような目で見られた。
息子は、大阪市内の男女共学の私学でケイオンをやっている。昔のようにチマチマしたものではなく、部員百余名、ケイオンの国体と言われるスニーカーエイジでは次代の優勝候補と目されている……そうである。
三時過ぎに授業が終わると、三時半には家に帰ってきて……といっても、近鉄で十個も向こうの駅から準急で帰ってくる。そして私服に着替えると、心斎橋や大正区のスタジオに通いバンドの練習に余念がない。
なぜ、正規の部活としてのケイオンをやりながら、そんな外のスタジオを借りているかというと、とにかく部員の多さである。遮音性のある練習場所は学校に三カ所しかなく、したがって、一度にレッスンできるのは部員の一割程度で、あとの九割は自分で都合をつけてくる。こういう根性は、わたしが応援している高校演劇からは概ね失われた。
息子の帰宅時間は、日によっては十時を回る。それでも明くる日にはカミサンに叩き起こされて、遅刻、欠席もせず。欠点もとらず……スレスレはいくつかあるが、毎日を過ごしている。
やはり、基礎代謝が違う。
身長は、わたしより三センチほど高い。通知票で、それを知ったとき、同じ目の高さまでつま先立ちして見てみたことがある。わずか三センチであるが、見える景色がまるで違う。大げさにいうと七人のドアーフの家に入った白雪姫の目線になる。
ずいぶん長かったが、ここまでが前説である。
年齢とガタイからくる基礎代謝の違いは、他の感受性にも影響してくる。2011年11月11日という分かり易い日に逝った父の遺骨を家に連れて帰った夜のこと。親子三人葬儀の疲れでひっくり返っていると、急にガバッと起き出して「下におじいちゃんが居てる!」と叫んだ。本気で怯えるので、わたしは二階の祭壇を見に行くと、父はおとなしく骨箱に収まっている。
わたしは、一年余、父の遺骨と同じ部屋に居て、何度も父を感じた。晩年を施設で過ごした父は、我が家のダンマリときどきアラシのような家庭が気に入ったようで、息子とは違った父を感じていた。
先日納骨を済ませた。あきらかに人一人が居なくなった感じがある。気味悪がられるので、息子やカミサンには言っていない。
で、さっき靴下を履きに三階まで上がったとき、息子の部屋で気配を感じた。
わたしの家には、五十七年前に水子にされた栞(しおり)という十五歳の姿をした妹がいるが、普段は小説の中でいろんな役をやらせて、本人も、わりと、その生活に馴染んでいる。が、その妹の気配でもない。
そっと覗くと、目線が合った。
十六七の女子高生である。わたしでも知っている女子校の制服を微妙に崩している。白のブラウスは第一ボタンを外しているだけだが、リボンのストラップはやや緩めで、外した第一ボタンのちょい下。紺色のタンクトップが透けて見えている。スカートはお目こぼしギリギリの膝上五センチ。メイクはナチュラルだが、こういうのを長年チェックする仕事をしていたわたしには分かる程度。
こいつが、息子のベッドに後ろ手ついて両足を緩いハの字に開いてくつろいでいた。
「あ……」
目があった瞬間、自分の姿が見えていることに気づいたようだ。フェミニンボブの頭をクシャクシャ掻くと、照れ笑いで、こう言った。
「すんません……こないだまではオジイチャンいたんで遠慮してました……いけませんでした」
「自分が何者かは、分かってるんやろ?」
「はい、分は心得ています」
そう言って、ベッドの上に正座した。いちおう心得ているとは思えた。
「自分名前は?」
「え、あ、はい。サチって呼んで下さい。苗字とかは勘弁して下さい」
「……ほんなら約束。息子といっしょに風呂に入らないこと。夜は、オッチャンのパソコンの中に入ってること。あ、オレの妹が入っとるけど、500ギガあるよって、住み分けて」
「はい!」
「それから、息子に彼女ができても邪魔せんように」
「イエッサー!」
「真面目に」
「はい、承知しました」
「ほんなら、よろしく」
そう言って、ドアを閉めかけて、振り返った。サチは崩し掛けた足を正座にもどし、リボンまで直した。
「あ、なにか?」
「サッチャン、基礎代謝の良さそうな顔してるなあ」
「はい?」
「いや、独り言」
サッチャンには通じにくいジョークのようだった。後ろで、目玉を回して考えている気配がした……。
『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』
青雲書房より発売中。大橋むつおの最新小説!
お申込は、最寄書店などでお取り寄せいただくか、下記の出版社に直接ご連絡いただくのが、一番早いようです。ネット通販ではアマゾンや楽天があります。青雲に直接ご注文頂ければ下記の定価でお求めいただけます。
青雲書房直接お申し込みは、定価本体1200円+税=1260円。送料無料。
送金は着荷後、同封の〒振替え用紙をご利用ください。
大橋むつお戯曲集『わたし 今日から魔女!?』
高校演劇に適した少人数戯曲集です。神奈川など関東の高校で人気があります。
60分劇5編入り 定価1365円(本体1300円+税)送料無料。
お申込の際は住所・お名前・電話番号をお忘れなく。
青雲書房。 mail:seiun39@k5.dion.ne.jp ℡:03-6677-4351
大橋むつお戯曲集『自由の翼』戯曲5本入り 1050円(税込み)
門土社 横浜市南区宮元町3-44 ℡045-714-1471
『基礎代謝』
わたしは、いま事務用のジャンパーを着てパソコンに向かっている。向かいに座っている息子はTシャツである。我が家は三階建てで、なぜか二階が一番暑い。今日は三十度になったので、一階に非難してきている。
で、なぜか中間考査の中休みというのがあって、平日にもかかわらず家にいる息子と、心ならずも、同じ座卓を向かい合わせで、それぞれのことをいたしている。で、息子がエアコンを点けたから驚いた。
勉強しているのかと思いきや、家内のパソコンで、なにやらJとかKとかが頭に付くポップスを聴いている。
「R介、ちょっと寒ないか……」
遠慮がちに聞いてみた。
「ちょっとの間、我慢して」
いささかムッとした。しかし、ただでも多感な高校生である。まともに言ってもコミニケーションは成立しない。息子は、気持ちだけ設定温度を下げた……たぶん一度だけ。またたくうちにエアコンはアイドリングになり、室温を下げるのをやめた。
リモコンをチラ見すると二十六度を指していた。
別に、息子は働きの悪いオヤジに(ここで不覚にも鼻をすすってしまった)意地悪をしているわけではないのである。
基礎代謝が、十七歳の息子と、還暦になりたてのわたしとでは大きな開きがあるのである。十七歳の基礎代謝量は1580キロカロリー、六十歳のわたしは1400キロカロリーである。
その差、わずかに180キロカロリーであるが、午前中三階の自分の部屋でエレキに絞り声で元気いっぱい張り上げていた息子と、朝の六時から、ただ座ってパソコンを相手にしているわたしとでは、エネルギー消費は倍近く違うであろう。
しこうして……この間、わたしは靴下を履きにいった。
しこうして、Tシャツのアゲアゲニイチャンと、ジャンパーに冬用靴下のオッサンが同じ部屋で同居のはめとなった。
基礎代謝は、バカに出来ないもので、感受性などにも影響してくる。
息子はヘビメタとまではいかないが、かなりハードなポップスにはまっている。ビーズ、カンジャニ、スマップ、ゴールデンボンバー、いきものがかり……ぐらいまでは分かるが、あと目を輝かせて教えてくれたミュージシャンは、まるで分からない。わたしは、アイデアを喚起するために入り込んだAKBを時たまに聞くぐらいで、どうかするとナット・キング・コールの「LOVE」や、ジュディーガーランドの「オーバーザレインボウ」を聞いている。初音みくが歌う「軍艦マーチ」を聞いていたときは、母子揃って、ゴキブリを見るような目で見られた。
息子は、大阪市内の男女共学の私学でケイオンをやっている。昔のようにチマチマしたものではなく、部員百余名、ケイオンの国体と言われるスニーカーエイジでは次代の優勝候補と目されている……そうである。
三時過ぎに授業が終わると、三時半には家に帰ってきて……といっても、近鉄で十個も向こうの駅から準急で帰ってくる。そして私服に着替えると、心斎橋や大正区のスタジオに通いバンドの練習に余念がない。
なぜ、正規の部活としてのケイオンをやりながら、そんな外のスタジオを借りているかというと、とにかく部員の多さである。遮音性のある練習場所は学校に三カ所しかなく、したがって、一度にレッスンできるのは部員の一割程度で、あとの九割は自分で都合をつけてくる。こういう根性は、わたしが応援している高校演劇からは概ね失われた。
息子の帰宅時間は、日によっては十時を回る。それでも明くる日にはカミサンに叩き起こされて、遅刻、欠席もせず。欠点もとらず……スレスレはいくつかあるが、毎日を過ごしている。
やはり、基礎代謝が違う。
身長は、わたしより三センチほど高い。通知票で、それを知ったとき、同じ目の高さまでつま先立ちして見てみたことがある。わずか三センチであるが、見える景色がまるで違う。大げさにいうと七人のドアーフの家に入った白雪姫の目線になる。
ずいぶん長かったが、ここまでが前説である。
年齢とガタイからくる基礎代謝の違いは、他の感受性にも影響してくる。2011年11月11日という分かり易い日に逝った父の遺骨を家に連れて帰った夜のこと。親子三人葬儀の疲れでひっくり返っていると、急にガバッと起き出して「下におじいちゃんが居てる!」と叫んだ。本気で怯えるので、わたしは二階の祭壇を見に行くと、父はおとなしく骨箱に収まっている。
わたしは、一年余、父の遺骨と同じ部屋に居て、何度も父を感じた。晩年を施設で過ごした父は、我が家のダンマリときどきアラシのような家庭が気に入ったようで、息子とは違った父を感じていた。
先日納骨を済ませた。あきらかに人一人が居なくなった感じがある。気味悪がられるので、息子やカミサンには言っていない。
で、さっき靴下を履きに三階まで上がったとき、息子の部屋で気配を感じた。
わたしの家には、五十七年前に水子にされた栞(しおり)という十五歳の姿をした妹がいるが、普段は小説の中でいろんな役をやらせて、本人も、わりと、その生活に馴染んでいる。が、その妹の気配でもない。
そっと覗くと、目線が合った。
十六七の女子高生である。わたしでも知っている女子校の制服を微妙に崩している。白のブラウスは第一ボタンを外しているだけだが、リボンのストラップはやや緩めで、外した第一ボタンのちょい下。紺色のタンクトップが透けて見えている。スカートはお目こぼしギリギリの膝上五センチ。メイクはナチュラルだが、こういうのを長年チェックする仕事をしていたわたしには分かる程度。
こいつが、息子のベッドに後ろ手ついて両足を緩いハの字に開いてくつろいでいた。
「あ……」
目があった瞬間、自分の姿が見えていることに気づいたようだ。フェミニンボブの頭をクシャクシャ掻くと、照れ笑いで、こう言った。
「すんません……こないだまではオジイチャンいたんで遠慮してました……いけませんでした」
「自分が何者かは、分かってるんやろ?」
「はい、分は心得ています」
そう言って、ベッドの上に正座した。いちおう心得ているとは思えた。
「自分名前は?」
「え、あ、はい。サチって呼んで下さい。苗字とかは勘弁して下さい」
「……ほんなら約束。息子といっしょに風呂に入らないこと。夜は、オッチャンのパソコンの中に入ってること。あ、オレの妹が入っとるけど、500ギガあるよって、住み分けて」
「はい!」
「それから、息子に彼女ができても邪魔せんように」
「イエッサー!」
「真面目に」
「はい、承知しました」
「ほんなら、よろしく」
そう言って、ドアを閉めかけて、振り返った。サチは崩し掛けた足を正座にもどし、リボンまで直した。
「あ、なにか?」
「サッチャン、基礎代謝の良さそうな顔してるなあ」
「はい?」
「いや、独り言」
サッチャンには通じにくいジョークのようだった。後ろで、目玉を回して考えている気配がした……。
『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』
青雲書房より発売中。大橋むつおの最新小説!
お申込は、最寄書店などでお取り寄せいただくか、下記の出版社に直接ご連絡いただくのが、一番早いようです。ネット通販ではアマゾンや楽天があります。青雲に直接ご注文頂ければ下記の定価でお求めいただけます。
青雲書房直接お申し込みは、定価本体1200円+税=1260円。送料無料。
送金は着荷後、同封の〒振替え用紙をご利用ください。
大橋むつお戯曲集『わたし 今日から魔女!?』
高校演劇に適した少人数戯曲集です。神奈川など関東の高校で人気があります。
60分劇5編入り 定価1365円(本体1300円+税)送料無料。
お申込の際は住所・お名前・電話番号をお忘れなく。
青雲書房。 mail:seiun39@k5.dion.ne.jp ℡:03-6677-4351
大橋むつお戯曲集『自由の翼』戯曲5本入り 1050円(税込み)
門土社 横浜市南区宮元町3-44 ℡045-714-1471