イレギュラーエッセー GO AHEAD! 002
『オペレーション・トモダチ』
「そんなん偽善やんか」
C先生は担任室に戻ってくると、そう言われましたと寂しい顔した。
あしなが育英会の募集をホームルームで紹介したところ、一人の女生徒が、きっぱりと「そんなん偽善やんか」と噛みついてきたのである。
C先生は、こう言い返した。
「それが役に立つならいいじゃないか。そりゃ偽善的要素はゼロじゃないかもしれないけど、いくばくかの善意があって、それで助かる人がいればいいじゃなのか?」
女生徒は、そっぽを向いてしまった。
この女生徒と、赤信号でいっしょになった。
「センセ、休みの日になにしてんのん?」
わたしは、クラスの生徒が家出したので、休日返上で自転車で校区を見まわっていた。
「いやあ、センセ大変やねんなあ……!」
そう感動してくれて、家出した生徒に関する情報をあれこれと教えてくれた。
わたしが家出した生徒を探していたのは担任としての心配や義務感からではあるが、学校の体面を保つためという、正面だっては言えない要請からでもあった。
つまり100%の善意ではないのである。
でも彼女は、いたって真摯に感動してくれた。
人には、この二面性がある。
☆オペレーション・トモダチ
5年前の大震災直後に、米軍は自衛隊などと協力して2万4000人の将兵、190機の航空機、24隻の艦艇を投入して、初期的な救援・復興活動をしてくれた。
壊滅状態にあった航空自衛隊の飛行場は24時間で離発着ができるように復旧整備され、仙台空港は普及に半年はかかると言われたが、オペレーション・トモダチによって、わずか一か月で使用可能になり、航空自衛隊の飛行場とあわせて震災復旧の拠点になった。
オペレーション・トモダチによって、直接救助されたという記録は寡聞にして把握していないが、復旧や輸送に大変役に立ち、間接的・精神的な貢献には計り知れないものがある。
これを偽善、あるいは震災の政治利用だという人やマスコミがある。
日米同盟の緊密さの内外へのアピール、在日米軍基地の必要性の宣伝という内容である。中には「米軍は、いざとなったら、簡単に日本国内に展開される。米軍は恐ろしい」というものまである。
20年前の阪神淡路大震災においても米軍から救援の申し入れがあった。
横須賀の空母を神戸沖に派遣して、救助救援活動の拠点にすることを筆頭に様々な協力の可能性をしめしたものであった。
ときの村山内閣は、一言のもとにこれを拒否した。自衛隊への災害派遣要請も遅れ、組織的な救助救援活動は、ほぼ翌日以降にもちこされてしまった。
結果、6000人の生命が奪われた。後の関連死を含めると万余の数になるであろう。
『オペレーション・トモダチ』
「そんなん偽善やんか」
C先生は担任室に戻ってくると、そう言われましたと寂しい顔した。
あしなが育英会の募集をホームルームで紹介したところ、一人の女生徒が、きっぱりと「そんなん偽善やんか」と噛みついてきたのである。
C先生は、こう言い返した。
「それが役に立つならいいじゃないか。そりゃ偽善的要素はゼロじゃないかもしれないけど、いくばくかの善意があって、それで助かる人がいればいいじゃなのか?」
女生徒は、そっぽを向いてしまった。
この女生徒と、赤信号でいっしょになった。
「センセ、休みの日になにしてんのん?」
わたしは、クラスの生徒が家出したので、休日返上で自転車で校区を見まわっていた。
「いやあ、センセ大変やねんなあ……!」
そう感動してくれて、家出した生徒に関する情報をあれこれと教えてくれた。
わたしが家出した生徒を探していたのは担任としての心配や義務感からではあるが、学校の体面を保つためという、正面だっては言えない要請からでもあった。
つまり100%の善意ではないのである。
でも彼女は、いたって真摯に感動してくれた。
人には、この二面性がある。
☆オペレーション・トモダチ
5年前の大震災直後に、米軍は自衛隊などと協力して2万4000人の将兵、190機の航空機、24隻の艦艇を投入して、初期的な救援・復興活動をしてくれた。
壊滅状態にあった航空自衛隊の飛行場は24時間で離発着ができるように復旧整備され、仙台空港は普及に半年はかかると言われたが、オペレーション・トモダチによって、わずか一か月で使用可能になり、航空自衛隊の飛行場とあわせて震災復旧の拠点になった。
オペレーション・トモダチによって、直接救助されたという記録は寡聞にして把握していないが、復旧や輸送に大変役に立ち、間接的・精神的な貢献には計り知れないものがある。
これを偽善、あるいは震災の政治利用だという人やマスコミがある。
日米同盟の緊密さの内外へのアピール、在日米軍基地の必要性の宣伝という内容である。中には「米軍は、いざとなったら、簡単に日本国内に展開される。米軍は恐ろしい」というものまである。
20年前の阪神淡路大震災においても米軍から救援の申し入れがあった。
横須賀の空母を神戸沖に派遣して、救助救援活動の拠点にすることを筆頭に様々な協力の可能性をしめしたものであった。
ときの村山内閣は、一言のもとにこれを拒否した。自衛隊への災害派遣要請も遅れ、組織的な救助救援活動は、ほぼ翌日以降にもちこされてしまった。
結果、6000人の生命が奪われた。後の関連死を含めると万余の数になるであろう。