漆黒のブリュンヒルデQ
東京に住んでいる者すべてが東京に詳しいわけではない。
まして、世田谷の女子高生、土地勘のあるのは家と学校の周囲。あとは、たまに出かける渋谷と秋葉原くらいのものだ。
ブァルハラからとばされて来たのだが、そういう設定になっている。親父が設定したのか、親父に縁ある神々の仕業かは分からんけどな。
保育所以来、遠足などで、あちこちに行ってはいるが、先生に引率されてバスや電車で出かけるので、地理的感覚は、それほど優秀ではない。
あ、むろん保育所の頃から、こっちに来ているわけではないが、こちらに馴染むにつれ間尺に合うように記憶が生まれてくる。
「カーナビで走ってると道を憶えないからなあ」
祖父がこぼしていた。
現役の頃は、仕事の都合でよく車を走らせていたのだが、定年前の十年ほどはカーナビを頼りにしていたので、五十代半ばから行ったところは記憶があいまいなんだそうだ。それと同じだ。
というわけで、芳子と二人で京急に乗って、羽田を目指している。
アメリカへの留学を控えている芳子に付き合って、空港まで行くリハーサルをしている。
「やっぱり、足を運ばなきゃ分かりませんからね」
要所要所で足を止めて周囲の景色をスマホの地図と重ねて確認。
ノホホンとしているようで、こういうところに手を抜かないところが芳子の長所だ。
「要領悪いんですよね、小栗先輩とかはグーグルで調べたら、あとはぶっつけ本番で行ってますよ」
「いや、大事なことだぞ。自分の力を知って準備しておくということは。それに、スマホのナビじゃ分からないこともあるからな」
「あはは、ですね」
そう笑いながら、電車が来るまで今川焼を頬張っている。
乗り換えの為に階段を下りたら、いい匂いがしてきて、足を止めると新規開店の今川焼の出店が開いていて、オープン特価の今川焼を買って、ベンチでパクつきながら乗り換えを待っているのだ。
「あ、来ますよ!」
「おお」
急いで残りを頬張る。車両の中でモグモグするわけにはいかないからな。
一人なら座れる席があったけど、芳子と二人、扉の所に立つ。
「やっぱり景色見えるのは楽しいですね♪」
「そうだな、景色も運賃のうちだな」
芳子は、元来もの喜びする性質で、缶コーヒーを奢ってやっても、目を盛大にへの字にしてくれる。
横に立っていても、芳子の瞳はせわしなく左右に動いているのが分かる。
「あ、次の駅は『天空橋駅』って云うんだ!」
通過する駅の表示板を目ざとく見つけて感動を発する。
「空港にピッタリの駅名だな」
天空といっても、空中に浮いていてファンタジーが生まれるような駅ではない。川を渡って、空港につく一つ手前の小さな駅だ。
駅の開設に合わせて駅名を募集して選ばれた駅名であるらしいが、わたしも好きだな。
天空とくれば、一般にはアニメに出てくる空中都市を連想するんだろう。
わたしにとっての空中都市は、ブァルハラで、煙たい親父の顔しか浮かんでこないのだが、まあ、それもいい。
うん……?
芳子の姿が二重にボケる。
あ、例の……。
芳子を留学に急き立てたのは、自分の名前も忘れた女学生の霊だ。
いつもなら、名前を付けて昇華させてやるが、こいつは憑いたままにしてある。
いや、違う。
女学生の他に、別のが憑いている。巧妙に女学生の陰に隠れているが、車体の振動でブレるので分かってしまう。
男の霊だ……戦時中に撃墜されたアメリカの戦闘機乗りだ。
―― おい、おまえ ――
『Oh, you can see me?(え、見えているのか?)』
―― ああ、丸見えだ ――
『…………』
―― おまえは、ヘンリー・マクブライドだ ――
『Oh, yeah. ......(そ、そうか……)』
少しだけ悔しそうな顔をすると、スルスルと芳子から離れ、過行く天空の駅の駅名表示のところから立ち昇って行った。
駅の名前も、優れたものは、昇天のよすがになるのかもしれない。
☆彡 主な登場人物
- 武笠ひるで(高校二年生) こっちの世界のブリュンヒルデ
- 福田芳子(高校一年生) ひるでの後輩 生徒会役員
- 福田るり子 福田芳子の妹
- 小栗結衣(高校二年生) ひるでの同輩 生徒会長
- 猫田ねね子 怪しい白猫の猫又 54回から啓介の妹門脇寧々子として向かいに住みつく
- 門脇 啓介 引きこもりの幼なじみ
- おきながさん 気長足姫(おきながたらしひめ) 世田谷八幡の神さま
- スクネ老人 武内宿禰 気長足姫のじい
- 玉代(玉依姫) ひるでの従姉として54回から同居することになった鹿児島荒田神社の神さま
- お祖父ちゃん
- お祖母ちゃん 武笠民子
- レイア(ニンフ) ブリュンヒルデの侍女
- 主神オーディン ブァルハラに住むブリュンヒルデの父