真凡プレジデント・82
犬にまで声をかけていく。
むろん通りかかった人には例外なく。
やあ喜六! これは作次! 清八! きい! くめ! よし婆! 塩じい! 与平! ポチ!
などと必ず相手の名前を付けて声をかけていく。目につくと犬や猫にまで声をかけるので、通り過ぎる人はクスクスと笑いが絶えない。
「なんじゃ、かめの爺さん具合悪いんか!?」
しげというおばさんに声を掛けると元気がないので、その表情から舅の具合が悪いと察し、道を曲がってしげさんの家に寄る。
「具合が悪いのかかめ爺?」
「おお、日吉(秀吉さんの元々の名前)か、大したことは無いんじゃがな……」
わたしが見ても分かる。かめ爺さんは栄養不良だ。
会話を聞いていると、息子さんが足軽奉公に出て討ち死にしたようで、わずかな貯えも底をついて苦しい生活のようだ。
「今夜は妹のあさひの婚礼じゃ。大したものはありゃせんが、さかなの残りなど届けるでしげといっしょに食べるがええで。それと僅かじゃが、米買うて食べるがええ、弱った時は精をつけることじゃ」
懐に手を入れると無造作に銭を掴みだしてかめ爺さんの枕もとに置いた。
「そのままそのまま(o^―^o)」
恐縮するかめ爺さんにとびきりの笑顔を見せると表に出た。
「さ、いくぞ」
それからも、あちこちに笑顔を振りまきながら目的の百姓家に着いた時は、すでに婚礼が始まっていた。
ビッチェ……いや、すみれさんは分かっていたようだが、途中の村人との会話で、今夜は秀吉さんちで目でたいことがあるんだと想像がついて、かめ爺さんのところで合点がいった。
あにさん! 日吉! 藤吉郎!
いろんな呼び方で歓待される秀吉さんだが、木下様と呼ばれた時は顔を真っ赤にして「それは御城中に居る時だけじゃ、勘弁勘弁((ノェ`*)っ))」と照れまくる。
「いやあ、婿殿、あさひは儂に似ぬ無口な奴じゃが気立ては良いし体は丈夫じゃ、幾久しくな、この通りじゃ」
そう言いながら、あさひさんの頭を押さえつけて兄妹そろって婿殿に頭を下げた。
「兄者人、もったいない!」
茂兵衛と言う婿さんは恐縮するばかりだったが、膝付き合わせて飲んでいるうちに、すっかり打ち解けた。
「日吉、おみゃー、かめ爺のとこにも寄ってくれたらしいにゃー」
にゃーにゃーみゃーみゃーと名古屋弁丸出しで、お母さんのなかさんが目を細める。
かめ爺さんの見舞いをしたことが知れ渡って来たようだ。
「ハハハ、うちだけが目出度いんじゃ申し訳にゃ~で~」
「いやあ、村のこと気にかけてくれて嬉しいにゃ~」
親子の会話に、暖かい笑い声が巻き起こった。
祝言もお開き近くになって、秀吉さんは後免こうむると、わたしとすみれさんを外に招いた。
「すまん、思いのほかかめ爺のところに置いてきてしまって、酒代もない」
「えーー、それはないですよ!」
「こ、声が大きい」
「だって、ねえ、かえでさん」
「そこで、相談じゃ、いっそ、木下家に仕えぬか? そうすれば、次の節季には給金込みで払ってやれるが」
抜けていたのか企んでいたのか、すみれとかえでは木下家の侍女になることになった。
「ところで、婿の茂平は、どんな顔をしておったかなあ?」
「まあ、あれだけ、間近でお話していて」
そういうわたしたちも、茂平さんの顔が思い出せない。
印象の薄い顔と言うのは、わたしだけのデフォルトではないようだ。
☆ 主な登場人物
- 田中 真凡 ブスでも美人でもなく、人の印象に残らないことを密かに気にしている高校二年生
- 田中 美樹 真凡の姉、東大卒で美人の誉れも高き女子アナだったが三月で退職、いまは家でゴロゴロ
- 橘 なつき 中学以来の友だち、勉強は苦手だが真凡のことは大好き
- 藤田先生 定年間近の生徒会顧問
- 中谷先生 若い生徒会顧問
- 柳沢 琢磨 天才・秀才・イケメン・スポーツ万能・ちょっとサイコパス
- 北白川綾乃 真凡のクラスメート、とびきりの美人、なぜか琢磨とは犬猿の仲
- 福島 みずき 真凡とならんで立候補で当選した副会長
- 伊達 利宗 二の丸高校の生徒会長
- ビッチェ 赤い少女
- コウブン スクープされて使われなかった大正と平成の間の年号