このところすっかり欲しいモノがなくなった私。
それでも生きていく基本となる
衣食住の、衣→洋服と食→美味しいものは
やっぱり興味は尽きないけれど。
そんな中。久々にココロときめく漆器に出会った。
先日の東日本縦断の旅、喜多方にて「会津塗り」
旅のメンバーで喜多方を散策中、通りの向こうの
細い路地に出ていた看板を、誰とはなしに見つけて
ふらっと入ってみたお店。
いや~!今日は平日だからお客さん来ないと思って
床をワックスがけしてて散らかってます~!と
あわてふためく親子らしきの店主のお二人。
トイレは、すみません。自宅の使ってください!と焦るご様子。
自宅兼、お店兼、工房、庭は駐車場兼、材木置き場。
一家の家内産業のような雰囲気で、
来ちゃって申し訳なかったかな?なんて
一瞬思わせるような感じだった。
御年、80歳を越えるお父様は3代目。
息子さんは4代目の100年続く「マルサ漆器製造所」
お二人が木地製作から漆の精製、下地、塗りまで
一貫し作業で一品一品丹念に作り上げているという、
入魂の品々が所狭しとお店に溢れている。
会津塗りは室町時代1500年代に始まったそうなのだが、
その伝統美と日本の和の色、モダンで粋なテイスト、
温かみのある形をふんだんに取り入れて
本当に息をのむほど美しい。
漆は英語で「Japan」と表現されることもあるそうだが、
金色に塗られたその色は、まさに黄金のジパングのようで心踊る。
特に器の内側に塗られた渋さの光る金色は
何度も何度ものぞき込んではウットリしてしまう。
外側との抑え気味の色との対比がまた素敵なのである。
3代目のお父さんが熱く語る漆器のお話は
延々とあふれでて尽きることがない。
それだけでまたその魅力にグイっと引き込まれてしまう。
4代目の奥さまがどうぞ、と運んでくださったのは
漆器に注がれたお抹茶やコーヒー。
陶器のような見た目の重厚感とは対照的な
木の軽さと口当たりの柔らかさ。
平皿、おちょこ、湯飲み、カップ、そば猪口、
お椀、ご飯茶碗、お箸…ありとあらゆる食器が並ぶ。
モノはもういらない、十分うちにあるし。と思って、
見るだけにしようと決めつつ、
このぽってりとしたお椀でご飯やお味噌汁飲んだら
どんなに幸せだろう♪手の中にすっぽりとおさまるサイズ感もすごくいい。
来年から予定しているニューヨーク生活に
1つ持っていく食器があるとするならこれだな~。
なんて一瞬でいろいろと思いを馳せる。
んー。でもな~。うちにたくさんあるし。
値段を見てやっぱり棚に戻したり。
そうこうしていたら、一緒にいた母、和恵さんが
「お酒飲むのに、このおちょこどう?買ってあげようか?」と天使のささやき♪
あ!じゃあ、このお椀を~!と
母にすっかり甘えてココロときめく漆器は私の元へ。
必要最低限のモノしか買わず、あるもので暮らすように
心がけているけれど、やっぱり本物はいい。
これ1つでどれだけ豊かな気持ちになれるんだろう。
いつもの生活を楽しむための一品。
それは何よりも、あの職人親子のお二人が
こよなく漆器を愛し、会津を愛しているその心意気が
手にするたびに私にまで届くから、なんだと思う。
魂の入った物質は、もはやモノの領域を越える。