行く道順(ルート)に自信がないと、ほのかに不安が押し寄せてくる。
自分の確信が、揺らぎはじめるのだ。
そして、いつの間にか・・・大きな恐怖心に変貌して、
自分自身の「確信」は「不確実な思い込み」になってしまう。
以前に経験したことだったのだが・・・。
自宅から高速道路にあがり、湾岸線を通って、羽田空港まで人を迎えに走った。
不安で不安で仕方がなかった・・・。
自分の車で空港まで走るのは、生涯初めてのことだったからだ。
胸がバコンバコン鳴って、「大丈夫なの?」と問いかける自分がいた。
パーキングで、心優しそうなトラックの運転手さんに道をご教授いただき、
ほんの少しは気持ちが安らいだのだが・・・。
いざ走り始めると、“猛スピード車”やたくさんの“ブンブン走る大型車”の存在感に
「どっか~ん」と打ちのめされた。
そして、何よりも到着便の予定時間が、気になって仕方がなかった。
「行かなければならない感(多少遅れてもどうにかなるのにネ)」が・・・
ひたひたと押し迫ってきて・・・。
空港行きリムジンバスを見つけて、「ふぅ~っ」と吐息をもらした私。
「このバスの跡をついていけば、到着できるぞぉ~」
やっぱり、“走っている道が間違っているのか間違っていないのか”は、
私にとって大きな不安材料だったのだろう。
(これは「この道をこのまま行って良いのか悪いのか」ということである)
※もしも“その道”が見つけられなかったとしたなら、
その時はもっともっと不安だったのだろうと予想される。
あの時、人の「人生」に置き換えても、この“思考回路は全く同じものだ”と感じた。
自分の進むべき道が見つからなかったり、その道に不安材料を抱えていたりすると、
本当に「イライラ・ドキドキ・ドギマギ」になってしまう・・・。
こんなときにも、同じような不安感が襲ってくるようだ。
空港からの帰り道は、行きの恐怖心が払拭された。
なんとまぁ、晴れやかな心持ちであったか・・・、本当に不思議なものだ。
一度経験した道であるという安心感と、間違っていないという自信と、
誰かがそばにいるという心強さが重なって・・・
なんとまぁ、心が穏やかだったことか!
私自身の人生も、「こうであれば良いのだろうなぁ」と、しみじみ実感した。
行く道の方向性と、正当性、そして、一人ではないという環境作り・・・。
「なるほど」「なるほど」「うん」「うん」
またひとつ、自分の“大いなるキズキ”を体感した感覚だった。
今、私は・・・
父との関係、父への対応に対して、同じような印象を抱いている。
「どのような選択が良いのか」
「どのような対処が良いのか」
「これで良いのだろうか」
日々、同じような質感の“戸惑い”や“迷い”と出会うハメになる。
「大いなるキズキ」との出会いが、待ち遠しい。
自分の確信が、揺らぎはじめるのだ。
そして、いつの間にか・・・大きな恐怖心に変貌して、
自分自身の「確信」は「不確実な思い込み」になってしまう。
以前に経験したことだったのだが・・・。
自宅から高速道路にあがり、湾岸線を通って、羽田空港まで人を迎えに走った。
不安で不安で仕方がなかった・・・。
自分の車で空港まで走るのは、生涯初めてのことだったからだ。
胸がバコンバコン鳴って、「大丈夫なの?」と問いかける自分がいた。
パーキングで、心優しそうなトラックの運転手さんに道をご教授いただき、
ほんの少しは気持ちが安らいだのだが・・・。
いざ走り始めると、“猛スピード車”やたくさんの“ブンブン走る大型車”の存在感に
「どっか~ん」と打ちのめされた。
そして、何よりも到着便の予定時間が、気になって仕方がなかった。
「行かなければならない感(多少遅れてもどうにかなるのにネ)」が・・・
ひたひたと押し迫ってきて・・・。
空港行きリムジンバスを見つけて、「ふぅ~っ」と吐息をもらした私。
「このバスの跡をついていけば、到着できるぞぉ~」
やっぱり、“走っている道が間違っているのか間違っていないのか”は、
私にとって大きな不安材料だったのだろう。
(これは「この道をこのまま行って良いのか悪いのか」ということである)
※もしも“その道”が見つけられなかったとしたなら、
その時はもっともっと不安だったのだろうと予想される。
あの時、人の「人生」に置き換えても、この“思考回路は全く同じものだ”と感じた。
自分の進むべき道が見つからなかったり、その道に不安材料を抱えていたりすると、
本当に「イライラ・ドキドキ・ドギマギ」になってしまう・・・。
こんなときにも、同じような不安感が襲ってくるようだ。
空港からの帰り道は、行きの恐怖心が払拭された。
なんとまぁ、晴れやかな心持ちであったか・・・、本当に不思議なものだ。
一度経験した道であるという安心感と、間違っていないという自信と、
誰かがそばにいるという心強さが重なって・・・
なんとまぁ、心が穏やかだったことか!
私自身の人生も、「こうであれば良いのだろうなぁ」と、しみじみ実感した。
行く道の方向性と、正当性、そして、一人ではないという環境作り・・・。
「なるほど」「なるほど」「うん」「うん」
またひとつ、自分の“大いなるキズキ”を体感した感覚だった。
今、私は・・・
父との関係、父への対応に対して、同じような印象を抱いている。
「どのような選択が良いのか」
「どのような対処が良いのか」
「これで良いのだろうか」
日々、同じような質感の“戸惑い”や“迷い”と出会うハメになる。
「大いなるキズキ」との出会いが、待ち遠しい。