雨。
今日は、雨で・・・
朝からずっと“そぼ降る雨”。
「今日は、暗くなる前に、帰ってくるからね」
父の耳元に口を近づけて、大きな声で言った。
そして、ヘルパーさんに見送られながら、私は出かけた。
“父は理解してくれているだろうか”
・・・そう疑問に感じながら。
午前中の予定を処理し終わった昼頃、突然携帯が鳴って、
クライアントからのアポ要求があった。
急遽予定を変更して、私は待ち合わせ場所に向かった。
そして、結局そのアポは随分のびてしまい、どっぷりと暗闇になってしまった。
時計が気になり、落ち着かない私―。
「父は、大丈夫かなぁ」
「とにかく、飛んで帰ろう」
すぐさま、最寄の駅に直行した。
電車に飛び乗った途端・・・車内にアナウンス!
「ただ今、人身事故が発生し、電車の運転を見合わせています」
「お客様にはお急ぎのところ、誠に申し訳ございませんが・・・」
な、なんと!
死傷事故のようで、“レスキュー隊が救助活動をしている”とのこと―。
そぼ降る雨の中、同じようなアナウンスが何度も何度も流れるが、
一向に電車は動こうとしない。
人々は駅員さんに問い合わせている。
みんな、携帯を片手に、電話したり、メールを打ったり・・・
ぎゅーぎゅー詰めの車内から避難して、寒いホームで佇んでいる人の多いこと!
やっと動いたと思っても、一駅移動して15分固まり、また一駅動いて15分固まり、
一時間半以上もこういう状態が続いたのである。
「自殺なんだろうなぁ。はぁ~」
私の口もとからは、ため息がもれて、胸が息苦しくなった。
この国の自殺者は、年間三万人を超えているが・・・その数は、
毎年どんどん増えているらしい。
「高度な競争化社会」が生んだ精神的ストレス&心理的圧力・・・そして・・・
これが、最終的に「負け組(と呼ばれる人々)」が直面する現実なのだろうか。
常に“勝ち続けることを強いられた社会”で生き抜くことは、本当に過酷なことだ。
私は、それを想像しただけで、「ぐげっ」とえずきそうになってしまうが、
アナウンスを聞いている人々の表情は変わりなく、私にはそれがミョウに据わりが悪い。
(勿論知らない人に感情を吐露するなんて、おかしなことだし・・・)
(感じていても、感じていないそぶりなのは、ごく常識的なことかもしれないが・・・)
私の目には、車中の人々の表情が・・・能面に見えたのだ。
最初のアナウンスを聞いても、何も変わらない反応に、吃驚してしまった。
「この雰囲気は、どういうこと?」
「反応が全く無いのは、慣れてしまっているの?それとも、感じないの?」
だから(正直に言うと)・・・身が凍るような・・・とても居心地の悪い時間だった。
20時すぎ、やっとのことで、辿り着いた我が家―。
門灯が灯っていて、家はいたる場所から灯りが漏れていた。
「電気は、つけられたんだ。よかった!」
真っ暗の部屋で“ベッドで寝ている父の姿”が目に浮かんで、とても心配で心配で、
落ち着かなかった私には、すごく嬉しい“灯り”だった。
「ただいま~」と大きな声で玄関を開けた“私の顔”を見るなり、父は泣き出した。
「おまはん、どうしたん?」
「お前が一番世話してくれるのに(涙)」
「いないから、どうしたんかと思うて・・・(涙)」
「ゴメン、ゴメン」
「ホント、遅くなったなぁ」
「心配したの?ゴメンね」
「今日は、はよ~帰るって言うたから・・・」
今朝の言葉、覚えていたんだね。
わかっていたんだぁ。
それだけで、私は嬉しかった。
理解していたんだな。
それだけで、感激しちゃったぞ!
理解したから、心配したんだね。
理解してなかったら、こんなに心配しなかった・・・かもしれないんだよね。
ふくざつ~~~。
部屋の中を見渡してみると、一度外に出たような形跡が残っており、
どろどろの土汚れが・・・。あそこも、ここも・・・。
トイレは、いつものように汚れていて、今日は鼻血のオマケ付だ・・・。
洗濯機には洗濯物が放り込まれており、着替えは(どうにか)問題なかったようだ。
当然夕食は、とれておらず・・・台所の机にはジュースがこぼれ落ちていて、
おまんじゅうのパッケージがいびつに開けられ、辺りに“きなこ”が飛び散っている。
父の“ひとりぼっちの悪戦苦闘の模様”が垣間見えて、
また“ぶすり”と胸に突き刺さるものがあり、
それもまた「ふくざつ~~~」だった。
やっぱり、一人で留守番してもらうのが、かなり心配になってきた。
今日は、雨で・・・
朝からずっと“そぼ降る雨”。
「今日は、暗くなる前に、帰ってくるからね」
父の耳元に口を近づけて、大きな声で言った。
そして、ヘルパーさんに見送られながら、私は出かけた。
“父は理解してくれているだろうか”
・・・そう疑問に感じながら。
午前中の予定を処理し終わった昼頃、突然携帯が鳴って、
クライアントからのアポ要求があった。
急遽予定を変更して、私は待ち合わせ場所に向かった。
そして、結局そのアポは随分のびてしまい、どっぷりと暗闇になってしまった。
時計が気になり、落ち着かない私―。
「父は、大丈夫かなぁ」
「とにかく、飛んで帰ろう」
すぐさま、最寄の駅に直行した。
電車に飛び乗った途端・・・車内にアナウンス!
「ただ今、人身事故が発生し、電車の運転を見合わせています」
「お客様にはお急ぎのところ、誠に申し訳ございませんが・・・」
な、なんと!
死傷事故のようで、“レスキュー隊が救助活動をしている”とのこと―。
そぼ降る雨の中、同じようなアナウンスが何度も何度も流れるが、
一向に電車は動こうとしない。
人々は駅員さんに問い合わせている。
みんな、携帯を片手に、電話したり、メールを打ったり・・・
ぎゅーぎゅー詰めの車内から避難して、寒いホームで佇んでいる人の多いこと!
やっと動いたと思っても、一駅移動して15分固まり、また一駅動いて15分固まり、
一時間半以上もこういう状態が続いたのである。
「自殺なんだろうなぁ。はぁ~」
私の口もとからは、ため息がもれて、胸が息苦しくなった。
この国の自殺者は、年間三万人を超えているが・・・その数は、
毎年どんどん増えているらしい。
「高度な競争化社会」が生んだ精神的ストレス&心理的圧力・・・そして・・・
これが、最終的に「負け組(と呼ばれる人々)」が直面する現実なのだろうか。
常に“勝ち続けることを強いられた社会”で生き抜くことは、本当に過酷なことだ。
私は、それを想像しただけで、「ぐげっ」とえずきそうになってしまうが、
アナウンスを聞いている人々の表情は変わりなく、私にはそれがミョウに据わりが悪い。
(勿論知らない人に感情を吐露するなんて、おかしなことだし・・・)
(感じていても、感じていないそぶりなのは、ごく常識的なことかもしれないが・・・)
私の目には、車中の人々の表情が・・・能面に見えたのだ。
最初のアナウンスを聞いても、何も変わらない反応に、吃驚してしまった。
「この雰囲気は、どういうこと?」
「反応が全く無いのは、慣れてしまっているの?それとも、感じないの?」
だから(正直に言うと)・・・身が凍るような・・・とても居心地の悪い時間だった。
20時すぎ、やっとのことで、辿り着いた我が家―。
門灯が灯っていて、家はいたる場所から灯りが漏れていた。
「電気は、つけられたんだ。よかった!」
真っ暗の部屋で“ベッドで寝ている父の姿”が目に浮かんで、とても心配で心配で、
落ち着かなかった私には、すごく嬉しい“灯り”だった。
「ただいま~」と大きな声で玄関を開けた“私の顔”を見るなり、父は泣き出した。
「おまはん、どうしたん?」
「お前が一番世話してくれるのに(涙)」
「いないから、どうしたんかと思うて・・・(涙)」
「ゴメン、ゴメン」
「ホント、遅くなったなぁ」
「心配したの?ゴメンね」
「今日は、はよ~帰るって言うたから・・・」
今朝の言葉、覚えていたんだね。
わかっていたんだぁ。
それだけで、私は嬉しかった。
理解していたんだな。
それだけで、感激しちゃったぞ!
理解したから、心配したんだね。
理解してなかったら、こんなに心配しなかった・・・かもしれないんだよね。
ふくざつ~~~。
部屋の中を見渡してみると、一度外に出たような形跡が残っており、
どろどろの土汚れが・・・。あそこも、ここも・・・。
トイレは、いつものように汚れていて、今日は鼻血のオマケ付だ・・・。
洗濯機には洗濯物が放り込まれており、着替えは(どうにか)問題なかったようだ。
当然夕食は、とれておらず・・・台所の机にはジュースがこぼれ落ちていて、
おまんじゅうのパッケージがいびつに開けられ、辺りに“きなこ”が飛び散っている。
父の“ひとりぼっちの悪戦苦闘の模様”が垣間見えて、
また“ぶすり”と胸に突き刺さるものがあり、
それもまた「ふくざつ~~~」だった。
やっぱり、一人で留守番してもらうのが、かなり心配になってきた。