朝一番に、例のショートステイを「ドタキャン」された施設に出向く。
話し合いを持ったからと言って、結果は変わらないのだが、
そのまま放置しておくわけにもいかず・・・
担当者の今回の仕事の流れに対する説明を受けた。
開口一番に・・・
今回のトラブルを機会に、施設のシステムを改定して、利用者に負担がないように
「このように変えました」と書面をもって説明された。
私としては、「その前に伝えることがあるんじゃないですかぁ」的感想を持った。
相変わらず、施設側の都合に則った説明に終始している。
一方的だ。その態度に、辟易しながら・・・あきらめず私の主張を伝えた。
ストレスもんもん・・・
私も、目の前の担当者も、「涙がぽろぽろ」。
それでも、あきらめずに伝え続ける。
失敗は誰にでもあることだから、それを追及しているのではない。
そういうときこそ、どのようにフォローするか・・・それが大切ではないだろうか。
私には、両手イッパイのバルーンなのに、彼らにはピンポン玉でしかないのか―。
それでもいい。
もしそうであれば、(たとえ「ホワイトライ」でもいいから)
少しだけ「相手を思いやってほしい」だけである。
人が人を思いやることの大切さ、美しさ、素晴らしさ・・・ちょっとしたことだけど、
それが無いために、現代のような“閉塞的社会環境”を生んでいるのは事実だ。
私がやっていることは、黒い墨汁の壺に、青いインクをたらしているようなもの―
そう感じつつも、やらないわけにはいかない。
自分の周りから、少しずつでも、
「思いやり」という“言葉の意味するところ”を回復していきたい。
だから、あきらめず、伝え続けた。
「ガンコ者め~~」
もう一人の自分が、醒めた目で見ていた・・・。
1時間半後――
現場担当者弁:言ってくださってありがとうございました。
正直、怖かったんです・・・。もっと、自分を見つめなおします。
そして、今後はこのようなことがないようにします。
担当上司弁:初心に帰りました。今までの自覚の足りなさを痛感したことと、
トラブルがないことで“流されていた”と思いました。
システムに疑問を感じていながら、これまで何もしませんでした。
また、今回のようにちゃんと言ってくださる人は、これまでおらず、
お会いできて良かったと思っています。ありがとうございました。
結果オーライで、最終的に私の意図したことを理解していただけたようだったので、
“社会に目を向けた私自身”は「OK」を出しているのだが・・・
“我家に目を向けた私自身”は「不満足」で、「やるせなさ」を感じている。
本当はそんなことを分かってもらっても“どうってことないんじゃないの?”。
自分が、自分自身に問いかけていた。
無性に切なかった・・・。
父がショートステイを永遠に利用できないのは変わらないし、現状としては
私がリスクを背負い、今後の対応には(今もまだ)解決策が見えていない状態である。
三ヶ月以上も忘れられて手続きされず、挙句の果てに「ドタキャン」され、
「忘れました」「確認を怠りました」だけで終わってしまうのだから・・・。
それでも、仕方がない。
施設の種類さえ識別できなかった私は、相手の反応を“ただ待つだけだったからだ”。
これが、現実である。
だから・・・
自分が納得するためには“主張し続けること”が必要だったのかもしれない、とも思う。
そんなに簡単に“こと”を処理してほしくないぐらい、自分には重かったのだ。
ある意味で、「冷たく、哀しい“自分自身”」を感じた・・・。
「私こそ、論点を“はき違えているんじゃないの”」そう指摘している自分もいた。
今、“施設サイド(他人)のためになって良かった”的発想で、納得して満足するほど
私の心は達観しておらず、人間的にも“そのレベルまでは至っていない”。
それだけ、「これはシリアスなことだった」と思い知らされる。
個人的な怒りもおさまっておらず、今は特に冷静に判断することもできないだろう。
(これまでの経験で言うと)ほんの数日ぐらいだが、今の私には「時間」が必要なのだ。
ケアマネジャーさんから、新しい施設の紹介を受けたが、どうしても
後味の悪い感覚は残ってしまう・・・。
紹介されたところは医療体制に連動した施設なので、そんなことはないはずなのに、
「また、断られたらどうしよう」「ショートステイ中に何かあったらどうしよう」と
でっかぁ~い不安が押し寄せてくる。
きっと「今」だからこそなんだろうと思うけれど・・・変なトラウマは御免被りたい。
「断られた」ことは、「仕方がない」。
受け容れなければならない事実であるし、
その覚悟はできている・・・と思っていたが、
やはり「ヘビーなことだったんだ」ということを切に感じた。
「私達の“この道”を、あなた達は歩くな。あなた達は、へりを歩きなさい」
そう言われたように思ってしまった。
実際にも“へりを歩く準備など、全くしていなかった”と感じる。
だから、こたえるんだろう。
気分はやっぱり“皆と同じ道を歩くつもりだったのだ”と・・・。
いや、むしろ、“同じ道を歩きたかったのかしらん”と・・・。
「福祉って何」
「福祉サービスって何?」
「よりベターなサービスって何?」
今もってまだ分からない設問が、ぐるぐる頭の中をまわっている。
社会に対する憤り、不甲斐なさに近い“複雑な感情”も湧いてくる。
しかし、“疲れた”。
今回の件・・・一言で言うと、「アホラシイ」。
「私の無知さ加減」「ボタンの掛け違い」「相手の単純なミス」・・・「バカバカシイ」。
今回、いろいろな見方で判断することも覚えたし、一色ではない現実も突きつけられた。
実際には・・・こういうことの積みかさねで、学習していっている自分を感じるけれど、
「本当は、こんなことで学習したくなんてない」。
これが、偽りのない率直な感想である。そう感じるということは、
やはり“私の神経は限界に近いところまで来ているのかもしれない”・・・そう感じる。
“全ての物事を前向きに捉えられる自分”でいるためには、「余裕」が必要だからだ。
今、自分に残ったのは、ストレスと疲れ・・・
そして、福祉制度に対する矛盾(素朴な疑問)だけである・・・。
ところで、私って・・・
「フツーなら、出会えないような理不尽を、頻繁に経験する人」みたいだなぁ。
新品パソコンが二度も三度も偶然に壊れたり、大火事にあって被害を被ったり、
精神疾患を抱えた大家さんに出会ったり・・・とにかく、数えたらきりがない。
波乱万丈も、ほどほどがいいョ・・・。
話し合いを持ったからと言って、結果は変わらないのだが、
そのまま放置しておくわけにもいかず・・・
担当者の今回の仕事の流れに対する説明を受けた。
開口一番に・・・
今回のトラブルを機会に、施設のシステムを改定して、利用者に負担がないように
「このように変えました」と書面をもって説明された。
私としては、「その前に伝えることがあるんじゃないですかぁ」的感想を持った。
相変わらず、施設側の都合に則った説明に終始している。
一方的だ。その態度に、辟易しながら・・・あきらめず私の主張を伝えた。
ストレスもんもん・・・
私も、目の前の担当者も、「涙がぽろぽろ」。
それでも、あきらめずに伝え続ける。
失敗は誰にでもあることだから、それを追及しているのではない。
そういうときこそ、どのようにフォローするか・・・それが大切ではないだろうか。
私には、両手イッパイのバルーンなのに、彼らにはピンポン玉でしかないのか―。
それでもいい。
もしそうであれば、(たとえ「ホワイトライ」でもいいから)
少しだけ「相手を思いやってほしい」だけである。
人が人を思いやることの大切さ、美しさ、素晴らしさ・・・ちょっとしたことだけど、
それが無いために、現代のような“閉塞的社会環境”を生んでいるのは事実だ。
私がやっていることは、黒い墨汁の壺に、青いインクをたらしているようなもの―
そう感じつつも、やらないわけにはいかない。
自分の周りから、少しずつでも、
「思いやり」という“言葉の意味するところ”を回復していきたい。
だから、あきらめず、伝え続けた。
「ガンコ者め~~」
もう一人の自分が、醒めた目で見ていた・・・。
1時間半後――
現場担当者弁:言ってくださってありがとうございました。
正直、怖かったんです・・・。もっと、自分を見つめなおします。
そして、今後はこのようなことがないようにします。
担当上司弁:初心に帰りました。今までの自覚の足りなさを痛感したことと、
トラブルがないことで“流されていた”と思いました。
システムに疑問を感じていながら、これまで何もしませんでした。
また、今回のようにちゃんと言ってくださる人は、これまでおらず、
お会いできて良かったと思っています。ありがとうございました。
結果オーライで、最終的に私の意図したことを理解していただけたようだったので、
“社会に目を向けた私自身”は「OK」を出しているのだが・・・
“我家に目を向けた私自身”は「不満足」で、「やるせなさ」を感じている。
本当はそんなことを分かってもらっても“どうってことないんじゃないの?”。
自分が、自分自身に問いかけていた。
無性に切なかった・・・。
父がショートステイを永遠に利用できないのは変わらないし、現状としては
私がリスクを背負い、今後の対応には(今もまだ)解決策が見えていない状態である。
三ヶ月以上も忘れられて手続きされず、挙句の果てに「ドタキャン」され、
「忘れました」「確認を怠りました」だけで終わってしまうのだから・・・。
それでも、仕方がない。
施設の種類さえ識別できなかった私は、相手の反応を“ただ待つだけだったからだ”。
これが、現実である。
だから・・・
自分が納得するためには“主張し続けること”が必要だったのかもしれない、とも思う。
そんなに簡単に“こと”を処理してほしくないぐらい、自分には重かったのだ。
ある意味で、「冷たく、哀しい“自分自身”」を感じた・・・。
「私こそ、論点を“はき違えているんじゃないの”」そう指摘している自分もいた。
今、“施設サイド(他人)のためになって良かった”的発想で、納得して満足するほど
私の心は達観しておらず、人間的にも“そのレベルまでは至っていない”。
それだけ、「これはシリアスなことだった」と思い知らされる。
個人的な怒りもおさまっておらず、今は特に冷静に判断することもできないだろう。
(これまでの経験で言うと)ほんの数日ぐらいだが、今の私には「時間」が必要なのだ。
ケアマネジャーさんから、新しい施設の紹介を受けたが、どうしても
後味の悪い感覚は残ってしまう・・・。
紹介されたところは医療体制に連動した施設なので、そんなことはないはずなのに、
「また、断られたらどうしよう」「ショートステイ中に何かあったらどうしよう」と
でっかぁ~い不安が押し寄せてくる。
きっと「今」だからこそなんだろうと思うけれど・・・変なトラウマは御免被りたい。
「断られた」ことは、「仕方がない」。
受け容れなければならない事実であるし、
その覚悟はできている・・・と思っていたが、
やはり「ヘビーなことだったんだ」ということを切に感じた。
「私達の“この道”を、あなた達は歩くな。あなた達は、へりを歩きなさい」
そう言われたように思ってしまった。
実際にも“へりを歩く準備など、全くしていなかった”と感じる。
だから、こたえるんだろう。
気分はやっぱり“皆と同じ道を歩くつもりだったのだ”と・・・。
いや、むしろ、“同じ道を歩きたかったのかしらん”と・・・。
「福祉って何」
「福祉サービスって何?」
「よりベターなサービスって何?」
今もってまだ分からない設問が、ぐるぐる頭の中をまわっている。
社会に対する憤り、不甲斐なさに近い“複雑な感情”も湧いてくる。
しかし、“疲れた”。
今回の件・・・一言で言うと、「アホラシイ」。
「私の無知さ加減」「ボタンの掛け違い」「相手の単純なミス」・・・「バカバカシイ」。
今回、いろいろな見方で判断することも覚えたし、一色ではない現実も突きつけられた。
実際には・・・こういうことの積みかさねで、学習していっている自分を感じるけれど、
「本当は、こんなことで学習したくなんてない」。
これが、偽りのない率直な感想である。そう感じるということは、
やはり“私の神経は限界に近いところまで来ているのかもしれない”・・・そう感じる。
“全ての物事を前向きに捉えられる自分”でいるためには、「余裕」が必要だからだ。
今、自分に残ったのは、ストレスと疲れ・・・
そして、福祉制度に対する矛盾(素朴な疑問)だけである・・・。
ところで、私って・・・
「フツーなら、出会えないような理不尽を、頻繁に経験する人」みたいだなぁ。
新品パソコンが二度も三度も偶然に壊れたり、大火事にあって被害を被ったり、
精神疾患を抱えた大家さんに出会ったり・・・とにかく、数えたらきりがない。
波乱万丈も、ほどほどがいいョ・・・。