大好物

2006年02月08日 | 雑感 -
紀子さまのご懐妊に浮かれる中、
一般論として“女性は妊娠すると食事の好みが変わる”ということを思い出した。
それに連想するように、「不思議だなぁ」と思うことがある。
我が父も、大好きな味噌汁を飲まなくなったのだ。
それも、ある日“突然”にだ・・・。
味噌汁は、父の「大好物」である。
これまでは、食卓に上がっていないと“物足りない”と感じるものだった。
そのうえ、昨日は、大好きなポテトサラダも食べなかった。ただポテトサラダは、
連日続いたので、今(短期的に)“飽きただけ”の可能性があるかもしれない。
  <食の細った父に、必ず食べてもらえるメニューを短絡的に選択した結果である>
しかし、味噌汁の事例があるので、ちょっと心配だったりもする。

妊婦さんと同じように、認知症の人たちもまた、何らかの変容が身体の中に
起こっているのだろうか・・・。
父の脳細胞の中は、どのような経過をたどり、どこへ行き着くのだろうか・・・。

今、私は・・・
「認知症」という壁を見上げながら、ひたひたと忍び寄る黒雲の気配を感じている。


雪日

2006年02月07日 | 出来事 -
再び「厳冬」到来!

 マッチロケだ!
 「寒い」
 門扉&玄関まわりを、早朝早々に雪かきをした。
 自分の息もマッチロケで、呼吸をするたび(怪獣のように)口から噴出していく。
 念には念を入れて、玄関に通じる階段には、熱湯を“ぶっかけた”。

昨夜の天気予報では「雪になります」とは言っていたけれど、
このような銀世界が訪れようとは・・・。


今日は、ディサービス日―「ゆっくりお風呂に入りに行く日」だったのに、
足元の悪い状態なので、あきらめて自宅でいることにした。
最近の父は“問いかけても反応がない”ことが多いが、今朝の決断は自分でしてくれた。
雪道運転に自信のない私は、ひと安心。
救急車じゃないけれど、事故を起こしたら“困ったことになる”。

ちなみに、昨夜の父は気分がよかったみたいで、
夜中に(裸足のまま)ゴミ出しをしに外出しようとした。
私は、(リハビリの意味もあり)“やってもらいたい”とは思ったが、
すでに雪がこんこんと降り出していたので、制止してしまった。
深夜二時のことだった・・・。

まぐれ?

2006年02月06日 | 介護日記 -
昨日から、驚きの現象が続く。

今朝の驚きは、「ベッド周りの掃除が必要なかった」ということである。
ということは、「昨夜の父は、排泄の失敗がなかった」ということだ。
シーツ、布団、毛布、マットなどのベッド周りのものは、“汚れたら掃除して交換する”
というのが日々の日課になっていて、それは昨年から連日繰り返されていることなのだ。

それが、数ヶ月ぶりに、必要なかった・・・。

     “失敗しなかった夜”に関して思い出してみると、
     前回が何時だったのか、思い出せないほど・・・である。
     たぶん、去年の・・・夏以降なのだが、正確には何時頃だろうか。
     秋の風情が漂いはじめた頃だっただろうか・・・。


最初は、「えっ、間違いでしょう?」と、我が目を疑ったのだが、
やはり大丈夫だった。

私としては嬉しいし、愕いたし、“何故だろう”という好奇心も湧いてきた。

たまたまだったのか、どうか・・・しばらく観察しながら「検証(?)」していこう。

「何がよくて、問題が起きなかったのか・・・」
「失敗するときとは、何が違っていたのか・・・」
これこそ、現状回復のヒントになるかもしれない“素晴らしい情報”だと思う。
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入浴日

2006年02月05日 | 介護日記 -
夜が寝られず、体内時計が狂っている。
だから、本来であれば昼は起きていたほうがいいのだろうけれど、
やっぱり「疲れ」はとったほうがよい・・・。

「寝るぞ~~!」「気にしないで、昼から寝るぞ~~~!」と、
今朝の段階では、決意の弁!!
しかし、やはり寝られず・・・。
友だちからもらった「sleepy time」というハーブティーを飲んでみたが、
やはり寝られず・・・。


ところで、最近の「私の介護生活」というと、
落ち込んだ父を、明るい話題で勇気付ける日々である。
今日は、それが功を奏したのか・・・自発的に「お風呂に入る」と言い出した。
自主的に言い出した時は、かならず成功する。
“「入りたい」という思いが強いから”のことで、過去のケースでもそうだった。
気持ちが乗らない時は、どんなに誘っても「うん」と言わないものだし、
たとえ入浴したとしても、私の言葉に促されて釈然としないままの状態だと、
やはり「イヤイヤ“やらされている感”」があり、集中力も途切れてしまう・・・。

今日の父は、しっかりとした足どりだった。
ほんの少しだけ手をかしたが、ほとんど自分の力で入浴したと言ってもいい。

「やったね」
「気持ち良いね」
声をかけながら、気持ちと体力が切れないようにと祈っていたが・・・
湯船の中では笑顔も出て、久しぶりの解放感だったようだ。

着替えを終えて、ベッドに入った父の口から、鼻歌がわいて出た。
機嫌の良いときに、決まって歌う曲だ。
「ゆぅきぃや、氷はぁ~、つめたぁいけれど~♪」
「わんさん、待ってて~ちょうだぁいねぇ~~♪」
「まんしゅうの春よ、はやぁ~く、こぉ~い~♪」

初めて

2006年02月04日 | 介護日記 -
今日は、「武蔵境」という駅に初めて降り立った。
こんなに長く生きているのに、まだ降りたことのない駅ばかりだ。
「好奇心」と「不安」で、改札出た時から“ドキドキもん”で、きょろきょろしながら歩く。
「何事も、初体験はええなぁ~」
「こういう時間を過ごすのはええもんだ!」
「やっぱり、脳細胞がすっきりするなぁ」
そんな高揚感に満ちて、ゆらゆらと“自分の気分”に浸りきっていた。

同じ場所、同じ道、同じ駅、同じ人、同じ食べ物、同じ話・・・そういう日々ばかりでは、
刺激にも感動にも出会えない。

そんなじんわりとした余韻にひたっているところに、ヘルパーさんから連絡が入った。
「お父様がいないんですけれど・・・」
「お部屋が、すごいんですよ。いつもと違って、すごいんですよ」
いつも奇麗に整頓された部屋しか見たことのないヘルパーさんは、愕いて電話をしてきた。
父が排泄を失敗したのだと、瞬時に理解した私は、
「おそらく二階に上がって、休んでいると思います。二階に上がってみてください」
「いいですか?では、あがらせてもらいます」
それから、電話は途絶えた。
連絡がないので、“二階に居たのだろう”と思ったが・・・
“どうなったのだろう?”と心配で、「ひやひや」「ドキドキ」の時間を過ごした。
1時間半後、やっと詳しい事情がわかった。

申し訳ないことをした。
案の定、父は排泄を失敗して、衣服を脱ぎ捨て、全裸でこたつで寝ていたらしい。
帰宅すると、洗濯物は風呂場にまとめてあり、奇麗に床掃除は終わっていた。
ヘルパーさんが、お掃除をしてくれていたのだ。
今日、担当していただいたヘルパーさんはベテランの方で、おそらく“てきぱき”と
父の着替えを終えて、掃除も食事も“同時進行”でやってくださったのだろうと思う。
直接、何度か個人携帯に電話をしたが・・・つながらず・・・
結局ほとんどの作業を“やっていただいてしまった”。
私は楽をしてしまったが、初めてお手間をかけてしまったことに対して、申し訳なくて
ちょっと居心地が悪い。別に隠す必要もないし、隠していたわけでもないのだが・・・
“ついに、知られてしまったなぁ”という思いもあり、複雑な心情である。

私にしてみれば毎朝の作業内容でもあり、珍しいことではないのだが、
ヘルパーさんにしてみれば「初めてのこと」である。
やはり、「愕いてしまっただろうなぁ」と思っていると・・・
「いつもは、ちゃんとしているし、初めてだったので・・・びっくりしました」
その言葉を聞いて、“やっぱり?!そうですよねぇ”と心の中でつぶやいた・・・。

そして、
「本当にどうもすみません」「お手数をおかけしました」
私の口からは、この言葉しか出てこなかった。
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一人ぼっち

2006年02月03日 | 介護日記 -
この二日間、ヘルパーさんにお願いをして、私は外出をした。

はじめてのヘルパーさんがいらして、芋をつぶしただけの「味のないマッシュポテト」とか、
豆腐とミンチをかつおぶしと片栗粉で仕上げた「味なしマーボー豆腐」とかをつくって
帰っていった。

父が言った。
「あの太った人、だぁれ?」

父は、食事に手をつけなかった・・・。
私は、笑うしかなかった。
そのヘルパーさんは、人間的にはとってもいい人っぽい印象だ。
だからこそ、笑うしかなかった。
「私、新米で・・・まだ資格がないんですよ(笑)。よろしく!」


   昨夜は、深夜の一時、二時、四時、五時と、四度のお呼びがかかった。
   父の「お~いい」という声で、それはスタートする。
   「おしっこ」二回、「「ジュース」一回、最後のは「胸が苦しい」。
   いつものSOSコールだ。
   寝ぼけマナコ状態の父は、特に自分を失ってボケボケになる。
   オムツをしているのに、脱ごうとしたり・・・
   耳元で話しても、それを理解することができない。
   次のコールで階下に下りていくと、奇麗なオムツが捨てられてたりする。
   しかし、時々かなりしっかりもしていて、私自身がその判断に苦しむことがある。
   体調と精神状態のバランスが、読み取れないことがあるのだ。
   「認知症」って、不可思議な病気だ・・・。



私は、うつらうつらとする中で、奇妙な夢をみた。
「荒涼とした砂漠で、ビニール袋らしきゴミを、ただひたすら拾っている」。
きたないゴミは、ピンセットで拾いながら・・・
私は果てしないゴミの山を拾い続けていた。

今日は、医者日だが、外に出る気力が「なえなえ~~」だ。
午後にしようと甘んじて、布団に入ったが・・・また寝られなかった。



明日も外出する。
大丈夫かと心配になる。
ヘルパーさんの連絡確認もできておらず、誰が来てくださるのかもわからない。
こういうサイクルで、メンバーも固定ではないのは“かなり不安定である”。

「○○ちゃん(私)もおらんのに、田舎に帰らして。たのむわ」
「田舎で死なして」
いつもの言葉・・・・・そばに人がいないと不安になるらしい。
でも、ずっとずっと何もしないで家にいることは、かなり厳しかったりする。
「お仕事で、出かけてくるからね」
頭でわかってくれても、耐えられない気持ちが噴出してくるのが父の状態――
冷静に考えて、次の段階への対処が必要になってきた・・・とは感じている。
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後処理

2006年02月02日 | 出来事 -
朝一番に、例のショートステイを「ドタキャン」された施設に出向く。
話し合いを持ったからと言って、結果は変わらないのだが、
そのまま放置しておくわけにもいかず・・・
担当者の今回の仕事の流れに対する説明を受けた。

開口一番に・・・
今回のトラブルを機会に、施設のシステムを改定して、利用者に負担がないように
「このように変えました」と書面をもって説明された。
私としては、「その前に伝えることがあるんじゃないですかぁ」的感想を持った。

相変わらず、施設側の都合に則った説明に終始している。
一方的だ。その態度に、辟易しながら・・・あきらめず私の主張を伝えた。

ストレスもんもん・・・

私も、目の前の担当者も、「涙がぽろぽろ」。
それでも、あきらめずに伝え続ける。

失敗は誰にでもあることだから、それを追及しているのではない。
そういうときこそ、どのようにフォローするか・・・それが大切ではないだろうか。

私には、両手イッパイのバルーンなのに、彼らにはピンポン玉でしかないのか―。
それでもいい。
もしそうであれば、(たとえ「ホワイトライ」でもいいから)
少しだけ「相手を思いやってほしい」だけである。
人が人を思いやることの大切さ、美しさ、素晴らしさ・・・ちょっとしたことだけど、
それが無いために、現代のような“閉塞的社会環境”を生んでいるのは事実だ。

私がやっていることは、黒い墨汁の壺に、青いインクをたらしているようなもの―
そう感じつつも、やらないわけにはいかない。
自分の周りから、少しずつでも、
「思いやり」という“言葉の意味するところ”を回復していきたい。

だから、あきらめず、伝え続けた。

「ガンコ者め~~」
もう一人の自分が、醒めた目で見ていた・・・。


1時間半後――
現場担当者弁:言ってくださってありがとうございました。
       正直、怖かったんです・・・。もっと、自分を見つめなおします。
       そして、今後はこのようなことがないようにします。
担当上司弁:初心に帰りました。今までの自覚の足りなさを痛感したことと、
       トラブルがないことで“流されていた”と思いました。
       システムに疑問を感じていながら、これまで何もしませんでした。
       また、今回のようにちゃんと言ってくださる人は、これまでおらず、
       お会いできて良かったと思っています。ありがとうございました。

結果オーライで、最終的に私の意図したことを理解していただけたようだったので、
“社会に目を向けた私自身”は「OK」を出しているのだが・・・
“我家に目を向けた私自身”は「不満足」で、「やるせなさ」を感じている。
本当はそんなことを分かってもらっても“どうってことないんじゃないの?”。
自分が、自分自身に問いかけていた。
無性に切なかった・・・。
父がショートステイを永遠に利用できないのは変わらないし、現状としては
私がリスクを背負い、今後の対応には(今もまだ)解決策が見えていない状態である。
三ヶ月以上も忘れられて手続きされず、挙句の果てに「ドタキャン」され、
「忘れました」「確認を怠りました」だけで終わってしまうのだから・・・。
それでも、仕方がない。
施設の種類さえ識別できなかった私は、相手の反応を“ただ待つだけだったからだ”。
これが、現実である。
だから・・・
自分が納得するためには“主張し続けること”が必要だったのかもしれない、とも思う。
そんなに簡単に“こと”を処理してほしくないぐらい、自分には重かったのだ。
ある意味で、「冷たく、哀しい“自分自身”」を感じた・・・。
「私こそ、論点を“はき違えているんじゃないの”」そう指摘している自分もいた。

今、“施設サイド(他人)のためになって良かった”的発想で、納得して満足するほど
私の心は達観しておらず、人間的にも“そのレベルまでは至っていない”。
それだけ、「これはシリアスなことだった」と思い知らされる。
個人的な怒りもおさまっておらず、今は特に冷静に判断することもできないだろう。
(これまでの経験で言うと)ほんの数日ぐらいだが、今の私には「時間」が必要なのだ。

ケアマネジャーさんから、新しい施設の紹介を受けたが、どうしても
後味の悪い感覚は残ってしまう・・・。
紹介されたところは医療体制に連動した施設なので、そんなことはないはずなのに、
「また、断られたらどうしよう」「ショートステイ中に何かあったらどうしよう」と
でっかぁ~い不安が押し寄せてくる。
きっと「今」だからこそなんだろうと思うけれど・・・変なトラウマは御免被りたい。

  「断られた」ことは、「仕方がない」。
  受け容れなければならない事実であるし、
  その覚悟はできている・・・と思っていたが、
  やはり「ヘビーなことだったんだ」ということを切に感じた。
  「私達の“この道”を、あなた達は歩くな。あなた達は、へりを歩きなさい」
  そう言われたように思ってしまった。
  実際にも“へりを歩く準備など、全くしていなかった”と感じる。
  だから、こたえるんだろう。
  気分はやっぱり“皆と同じ道を歩くつもりだったのだ”と・・・。
  いや、むしろ、“同じ道を歩きたかったのかしらん”と・・・。
 

「福祉って何」
「福祉サービスって何?」
「よりベターなサービスって何?」
今もってまだ分からない設問が、ぐるぐる頭の中をまわっている。
社会に対する憤り、不甲斐なさに近い“複雑な感情”も湧いてくる。


しかし、“疲れた”。
今回の件・・・一言で言うと、「アホラシイ」。
「私の無知さ加減」「ボタンの掛け違い」「相手の単純なミス」・・・「バカバカシイ」。

今回、いろいろな見方で判断することも覚えたし、一色ではない現実も突きつけられた。
実際には・・・こういうことの積みかさねで、学習していっている自分を感じるけれど、
「本当は、こんなことで学習したくなんてない」。
これが、偽りのない率直な感想である。そう感じるということは、
やはり“私の神経は限界に近いところまで来ているのかもしれない”・・・そう感じる。

“全ての物事を前向きに捉えられる自分”でいるためには、「余裕」が必要だからだ。

今、自分に残ったのは、ストレスと疲れ・・・
そして、福祉制度に対する矛盾(素朴な疑問)だけである・・・。


    ところで、私って・・・
    「フツーなら、出会えないような理不尽を、頻繁に経験する人」みたいだなぁ。
    新品パソコンが二度も三度も偶然に壊れたり、大火事にあって被害を被ったり、
    精神疾患を抱えた大家さんに出会ったり・・・とにかく、数えたらきりがない。
    波乱万丈も、ほどほどがいいョ・・・。
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キズキ

2006年02月01日 | 出来事 -
今日の出来事・・・・・・・どうでもいいような、三つの「キズキ」


(1)―――――
   今日、雨の表参道で出会った。
   ジーンズを膝まで下げて歩いている青年――。
   数年前、初めて見たときには、異常に足が短い人だと思ったけれど、
   最近は、ちゃんと分かっている。
   「本人は、ファッションのつもりなんだよね」

   でも、私は・・・どうしてもジーンズを引き上げたくなって、
   その気持ちと葛藤しながら、彼の後姿を見つめながら歩く。

     (ベルトが、ふとももの位置だ!)

   他人さんのことで、どうでもいいようなことなのに、
   見ていて非常に落ち着かない自分を感じた。
   やっぱり私は、ずり下げる方ではなく、ずり上げたい方みたいだ。


(2)―――――
   今日、外国人と会った。
   外国人がフツーだと感じる“フツーの挨拶”をした。
   “がっぷりよつ”にぎゅ~っと抱きしめられて、頬に「チュッ」。
   やわらかくて、生温かくて、良い感じ!
   こんな気持ち良いこと・・・毎日やっているなんて、なんとまぁ羨ましい。

   「ボディランゲジーから伝わるものがある」との想いから、
   帰宅して父の身体を“触りまくり!”。
   いつも以上に、さわりまくり!



(3)―――――
   打ち合わせが早く終わり、急いで帰宅した。
   予定の時間を15分も早く切り上げて、帰ろうとするヘルパーさんと遭遇した。
   雨の門扉で、立ち話。 「寝ていますよ」
                 「寝ている時は、起こしたらどうかと思って」
   父が眠っているのをいいことに、中途半端な仕事の“やり方”だと感じた。
   私の帰宅はいつも遅いし、たとえ早く終了しても、父は指摘しないだろう。
   私たちには、今ヘルパーさんや福祉サービスが“たより”なのに・・・。
   食卓の上には、丼がひとつ――まずそうな「うどん」。
                      (実際まずかったぁ。ゴメン)
   「くれぐれも」とお願いしている薬も手付かずで、ちょっとゲンナリ~。

   四ヶ月前のことだ。
   私自身が、初見で、「この人はちょっと(疑?)」と思った人だ。
   そして、先週、隣のYさんからも“NGがでた”ヘルパーさんだった。

   どっかのCMじゃないけれど・・・
   ホントに
   「内面は、顔にでる」      (気をつけよう~っと!)