「犠牲者120万人、祖国を中国に奪われたチベット人が語る、侵略に気づいていない日本人」(ぺマ・ギャルポ著)というおそろしく長いタイトルの著作を読んだ。
題名から判断して、この本は中国に侵略されたチベットの悲劇を克明に記述し、日本人に警告を発しているのだろうと想像していたが、その話題は九つある章のうちの二つだけで、三つの章は日本の現状を憂慮するとともに今後どうあるべきかに焦点を当てている。ギャルポ氏は日本人以上に日本の問題点を熟知しており、共感する部分も多い。彼は安倍首相とうまが合うに違いない。
本稿ではそのチベット論や日本論ではなく、1943年11月(終戦の約2年前)に東京で開催された「大東亜会議」に焦点を当てたい。(正直に申して、私はギャルポ氏の著作を読むまで「大東亜会議」についてまったく知識がなかった)
「大東亜会議」に出席したのは、独立国だったタイ、戦争が始まってから日本が独立させたフィリッピンとビルマ(ミャンマー)、日本が支援していた中華民国(南京政府)と満州国、そして独立運動を推進していたインドである。ギャルポ氏はこの「大東亜会議」の意義を次のように述べている。
他国に植民地化され、民族の誇りを奪われ、かつ本来ならば自分の祖国で、二級市民時には奴隷のように扱われていた民族にとって独立を成し得たということがどれほど感動的なことだったか。それは国を失った私のような民にはよくわかる。各国のリーダーたちの言葉は、決して日本に追従するだけのものではなく、自国の立場、自民族の立場をしっかりと訴えようとしていた。
その各国リーダーの一人がインド仮政府のチャンドラ・ボースである。彼の演説のキモの部分を紹介する。
我々自由インド仮政府並びにその指導下にあるものは、まさに米英帝国主義に対し最後の決戦を開始せんとしているものでありまして、我々の背後には無敵日本の強き力のみならず東亜の解放せられたる各国民の総意と決意ありとの自覚のもとに、今や我々は不倶戴天の仇敵撃滅に進軍せんとしている次第であります。・・・この会議こそは解放せられたる諸国民の会議であり、正義、主権、国際関係における互恵主義および相互援助等の尊厳なる原則に基づいて世界のこの地域に新秩序を創建せんとする会議なのであります。
ずいぶん日本を持ち上げ頼りにしているが、それだけにチャンドラ・ボースの独立を願う熱意がひしひしと伝わってくる。彼はインド国民軍を率いて日本軍とともに英国と戦ったが、日本の敗戦とともに反逆者として裁判にかけられた。そして、結局インドは1947年に独立を果たす。
こうした歴史の流れを辿ってみると、第二次世界大戦がインド独立の引き金になったことがわかる。その後、インドネシア(オランダから独立)、ベトナム(フランスから独立)など東南アジア諸国が続々と独立を果たしたが、すべてその契機は第二次世界大戦だったことは明らかである。
さて、第二次世界大戦の頃、私は小学生だったが、いまだに当時『大東亜共栄圏』というスローガンがあったことを記憶している。戦後今に至るまで、私はそんなスローガンは戦争を正当化するための空念仏だったのだろうと勝手に思っていたが、ギャルポ氏の著作を読んで、案外そうではなかったのではないかと思うに至った。
すなわち、「大東亜会議」の意義は『大東亜共栄圏』という壮大な理念の根幹であり、当時の日本の指導者たちは第二次世界大戦を『大東亜共栄圏』を実現するための聖戦と本気で考えていたのかも知れない。