2015年11月23日
連休最終日~勤労感謝の日なんで、日頃の勤労を癒す一日にしたかったが~
朝からジッとして居れない性格~どうにかならないものか!
天気予報では午後から雨が降るかも?と言う。
『段ボールを栗園に敷いたら、濡れて密着する~これはチャンス到来!』
※栗園は年に3~4回も草刈りしなければならない。除草剤は使わない。かといって除草シートを貼るには、膨大なお金が要る。光を遮断すれば草は生えない。ならば段ボールを敷き詰めたら、材質は紙パルプだから、生分解性で数年で土に戻るはず!
そうやって既に敷き詰め作業の5回目!
スーパーマーケット(マルキョー)に出かけて交渉。
『お金払って処分してますから、好きなだけ持ってって下さい。』と了解取って案内された、裏倉庫。
倉庫の中には、山のような段ボールの山。運搬手段は自家用の乗用車しかない。
幸いキューブの容量は大きい。
平たく潰して、隙間無く、前が見えないほど積み込んだ!
午後、実家に着いたら、軽トラックに積み込んだ。
荷台から滑り落ちる程積んできたんで、固い段ボールを衝立にして~いざ、栗園に出発!
南側のココは、夏には背丈ほどの草が生い茂る所。
今日の分は、ココを覆う事にした。
とりあえず、段ボールを全部下ろした。
ナイフで一片を切り離し、展開して広げる繰り返し。
少雪というのに、汗だくになる暑さ~作業に夢中で撮影を忘れていました。
なんとか、全部敷き終えました。
ちなみに、3本立っている木は、タラノ木です。
毎年のタラノ芽の天ぷらの食材です。
一応、風で捲られるのを防止するため、今年の台風15号で倒れた、クリの枝や妄想竹で押さえました。
その間、親父(90才)は何をしていたかというと、来年のための栗の剪定作業です。
今年は、台風被害のために、殆ど収穫がありませんでした。
それでも、手入れだけは怠る訳にはいきません。
除草作業も大変な作業だから、その軽減にと思い立ったものでした。
親父が死んだら、自分一人で管理するのか・・・・って、つくづく思います。
ちなみに、夏の除草作業です。
http://blog.goo.ne.jp/saisyohagoo_1959/e/d3c74c091462dd30c94359de3052f96e
http://blog.goo.ne.jp/saisyohagoo_1959/e/46da60b230500fc4e6da37eb068cbe28
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2015年11月21日
職場のバス旅行で、アフリカンサファリと豊後高田の『昭和の町』に行ってきました。
この蔵づくりの建物は、もともと農協の穀物倉庫だったのを、『昭和ロマン蔵』に改装したものでした。
駄菓子屋の夢博物館・昭和の絵本美術館・昭和の夢町三丁目館・レストラン旬彩~がありますが、紹介順は入り交じっていてあしからず!
昭和34年(1959)生まれの私は、どっぷりと昭和を生きてきたと言っても資格はあるだろうな~。
さて、倉庫『昭和の夢町三丁目館』の玄関を入ると~
そこには昭和時代を彷彿とさせる、お店が丸ごと再建されていました。
圧迫感があるほど昭和のモノが詰め込まれた、数々の展示ケースが続きます。
モデルガン!プラスチック製で、小さな銀玉を箱買いして、打っていましたね~。
2B弾や4B弾が見つけられなかったのが残念!
ウルトラQの放送が始まったのが、小学1年生の時だったような~それから円谷プロのウルトラマンシリーズ~あの頃は、怪獣の名前も身長も、体重も、武器も全部覚えていたような~夏祭りのテキ屋さんにソフトビニル製のこんなのが下がり始めた時代です。
王・長島全盛の時代~カードやメンコ(べた)も、暗くなり地面に突き指するまでやっていたなあ~
テレビ放送が始まって、我が家にテレビが来たのは小学低学年(1~2年生)だった様な~近所の子どもたちがテレビのある家に集まるのが夕方の風景だった。
力道山が刺されて死んだニュース~
・石原裕次郎の 赤いハンカチ
https://www.youtube.com/watch?v=CdgAaaC-8ag
・銀座の恋の物語 石原裕次郎と牧村旬子の 銀座の恋の物語
https://www.youtube.com/watch?v=xg4D7G6bx28
・橋幸夫と吉永小百合の いつでも夢を
https://www.youtube.com/watch?v=Y7SUMb-xORg
なんて大人の曲だけど、小学生でもすぐに覚えて歌っていたなあ~
小百合ちゃん、今でもカワイイ!
漫画!漫画は右脳発達と文字を覚えるのに貢献した事は否定できない!
買うお金がないので、3kmくらい離れた貸本屋さんに、1冊の貸し賃30円握りしめて走って行っていた!
最初は上級生の自転車の後を付いて、走って行っていたんだから、あの頃は読む楽しみに、走る苦痛も無かったんだろうな~
そして帰る事は、歩き読みで全部読み終えていた~でも、何度も記憶するくらい読み返していたんだな~。
あの読書意欲は、今は無い~胸躍るあの魅力は何だったんだろう~
今でもカラオケは、小学生頃の裕次郎とかGS(グループサウンズ)を歌いたがる~レコードプレーヤーは持っていな無かった(中学2年生まで)ので、全部ラジオかテレビで流れる曲を聴いて歌詞を覚えるしかなかった。
こんな感じで、びっしり~自分の思い出と重ねると、いくら時間があっても足りない。
2階の巡り通路には、映画ポスターとかブロマイドがビッシリ!
そう言えば、あの頃、山鹿の映画館や熊本市内の地下電気の映画館には、2×4メートル位のエッチな、どぎついペンキ絵の女体が堂々と掛かっていたなあ~。
駄菓子屋!スーパーマーケットやコンビニが現れるのは、ずっと後の事~
土間に棚を置いただけの小さな家族経営の商店に、生活雑貨の全てをお世話になっていました。
子どもがお世話になったのは、お菓子とプラモデル~クジ、ラムネ・・・。
お菓子は、スズメの卵が50銭だったような?1円で2個買えました。
そうだ、思い出した!うちの駄菓子屋さんでは、お金が無い時には、卵1個10円で、お菓子とか交換して貰っていました。
それにしても、卵は経済の優等生だと思いますね。
あの頃出た画期的なチョコレートは、チロルチョコ10円(3区画)でした。
でも後に1区画10円となりました。
テレビでは、山本直純の『大きいことはいいことだ~50円!』のCMが盛んに放映されていたけど、森永エールチョコ なんて、高嶺の花だったなあ~
https://www.youtube.com/watch?v=Aubpbn0nXvA&list=PLB15E52702C792E31
まあ、合成甘味料のチクロもたくさん食べたんで、一番長生きしない世代です。
昭和の住まいを再現したコーナーもありました!
東芝製の電気炊飯器は、今でも納屋に残っています。廊下の足踏みミシンもありましたね~。
台所の風景~流しは我が家もこんなタイル製で、大工さんが作っていましたね~お陰で茶碗や皿を直ぐに割って叱られていました。
今更だけど、『あれは、コンクリートのタイル張りの流しのせいだ!俺のせいではない!』と言い訳したい!
ザ・五右衛門風呂ですね~でも、我が家は四角の湯船の釜でした。
底板を小さな足の裏で踏むと、真ん中を踏まないと斜めになり、浮かび上がった底板で股間を打たれて、うなっていましたね(笑)
そうそう、この写真の蛇口は真鍮色でしょう!
元々は亜鉛メッキしてあったもの~使い込み・磨くと亜鉛メッキが剥げてこんな真鍮の地金色になってきます。今は、こんなになるまで使い込む事もないでしょうね。
タイルも懐かしい~佐官さんのセンスが出る所ですね。
壁は四角い大きなタイル、床は滑り防止で、摩擦の大きいこんな小さな丸タイルが定番でしたね~予算が足りないと、壁はコンクリートの打ちっ放し~どの家もそんな感じでした。
確かにトイレはこんな感じでした。でも、我が家は外トイレで、便器も木の板でした。そして天井には、裸電球です。
くみ取り式トイレは、『オツリ』を恐れて、ブツを切り落としたら、尻を上げるのがコツでした(笑)
黒電話か~電話の思いでもたくさんあります。
~それまでは有線公衆電話でした。
親戚とかから電話が、電話機のある駄菓子屋にかかると、有線放送で『12番(我が家の番号)、12番電話です!』って呼び出されるんです。
そしたら、電話の置いてある駄菓子屋の電話口まで500mくらい?
走って受話器まで行っていました。
着いた時は、ゼーゼーで息切れ切れで話し始めるから~今考えたら嘘みたいな仕組みで、とんだ罰ゲームみたいな過酷な電話応答でした。
回転式ダイヤルが自宅に来たのは小学高学年~それはそれは、小学生ながら喜びました。
文明の発展・便利になる生活の向上の喜びっていうのは、苦労をしないと分からないものですね!
8mmフィルム撮影機や、映写機ってものは我が家にはありませんでした。
写真の下の、保温ポットや保温ジャーって使っていましたね~あの頃の保温ポットは真空二重瓶構造でしたので、倒したり、衝撃を与えると直ぐに割れていました。
僕も何度か割って、そのたびに叱られていました。
だいたい、壊れやすいモノが多く、子どもにはそれだけ叱られる機会の多い環境でした。
家電、家財なんでも発展途上の時代ですね~犠牲になるのは、壊して叱られる子どもだったのかも?
僕の過ごした城北(しろきた)小学校は、本年度27年度で閉校になります~郡でのコンクリート校舎は早い方だったので、木造ではありませんでしたが、机・椅子はこんなでした~。
足踏みミシンは主婦の憧れ製品だったんでしょうね。我が家にもありました。ミシンを持ち上げて、手前の板を上げ、ミシンを戻すと、すっぽり下に収納され、左の作業テーブルを右に畳むと、フラットな台になるんです!
テープレコーダーは、高校になるまでありませんでした。
中学生で、技術の授業を切っ掛けにラジオオタクになり、真空管ラジオやトランジスターラジオ作っていましたね~。月刊誌『ラジオの製作』を読んでいました。
歌謡曲やカーペンターズ、ビートルズはラジオから流れる歌詞を紙に書き写し、歌詞を速記みたいに紙に記録していましたね~。
もしかしてあれで、集中力が養われたのかも。
高校生でラジカセを買って貰い、あの集中力は不必要になりました。(笑)
カメラはありましたが、物心付いた時には壊れていましたので、親の撮影した写真は中学生まで、ほとんどありません。
高校生の時に買ったのが、FUJICA ST801でした。
フマキラー(スプレイ)!懐かしいですね~夏になると、集落で順番に家屋消毒があって、1升瓶のフマキラー液を購入します。フマキラー器の蓋を取って、一升瓶から液を入れて、アチコチに散布するのが、子どもの仕事でした。
フロンガスも使わない、環境に優しい散布機でしたね~。
こんな照明の街明かりは、今でも心躍ります(笑)
高度経済成長期~親の世代は、こんな感じで飲みに出て、夜の蝶に惑わされていたんでしょうね~ちゃんとそんなのは息子に引き継がれています(笑)
車社会の浸透・モータリゼーションも昭和ですね~
農家ばかりの田舎で、乗用車を持つ人は希でした。
小さな集落では、乗用車を買う人は医者かサラリーマンでした。
我が家も先ずは、軽トラックでした(笑)
ブルーバードです。僕も最初に乗ったのは、ブルーバードでした。
SSS スリーエス 乗りたかったなあ~。
ファミリーカーの走り~こんなの走っていたなあ~。
近所の精米所のおじさんが、こんなのに乗っていました。でも丸ハンドルではなく、バイクみたいなハンドルでした。
117クーペです。ナンバーも117を取ってる奴を見ると『シコリやがって!』と羨望と妬みで見ていました(笑)
ミゼット三輪車~バランス崩して、よく横転しているのを見かけていました(笑)
ああ、時間がない~もっと時間があったら、もっとドップリ昭和に浸れたのに~
良きに付け悪しきに付け~日本の昭和は、物質文明で経済的にも豊かになってきました。
今の時代、なぜ、あの頃のような感動のワクワク感が無いのか、低成長時代だから?比べモノにならない高機能と高精度の電子機器、情報機器に囲まれながら、不思議です?
当たり前さ~幸せ感を感じにくい溢れ感~それが、文明ボケでしょうね。
いろいろ考えさせられますが、単純に懐かしさに浸れます!
みなさんも、2~3時間くらいの余裕ある見学をしてきて下さい。
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