妻は、玄関門扉外のアメリカハナミズキの根本に、一株のワイヤープランツを植えていた
それが、モサモサと茂り、今では木にも登り始めた
それを見て妻は『せっかくだから、なにか、かわいい動物の形に仕立てようよ!』と制作を求めた
映画、シザーハンドみたいに鳥や動物の形に仕立てようって魂胆だ
実家に放置してあった金網を思いだしこれを材料にする事にした
次は何を形作るかだが、込み入ったものは思いどうりにはならないものだ。
そこで、クマのぷーさん(みたいなもの)を作り始めた。
先ずは、クマの頭らしく丸く丸めてて、壊れた箒の棒を支柱として差し込んだ。
耳も小さな玉を作り、針金を絡めてとめた。
両手を広げた形にして、今度は金網を筒状に丸め、腕とした。
さて、胴をどう作るか、手が止まった。
腕を先に作ったから胴巻きには出来ない。
そこで、腕の上、つまり首部分と、腕の下、胸・腹部分を別々に丸めて腕でつなぎ合わせた
足は、ちょこんと座って、広げている感じだから、両足分の長さの筒を作り、真ん中でV字に折って、胴の下でつなぎ合わせた
これで、独りでに座れるようになった。
ここで、妻を呼んだ。
見る成り開口一番『首が長い、胴も長い、腕も長い~ぜ~んぶ大きい。もっとこぢんまりと、コロッとかわいくして』
(言うのは簡単だ金網といえども、扱いにくいんだぞ)と内心思ったが~
妻の一言で、手足を切断首と胴は潰して短めた。
トータル、1時間ほどで完成した
せっかく繁茂していたワイヤープランツを、クマさんの座れる分だけ、カットした
クマさんを座らせ、支柱を打ち込んだ。
伸びているワイヤープランツを巻き付けた。
来年になれば、地面からも這い上がりだし、こまめなカットで可愛いクマの形になるだろう
2012年11月4日
単身赴任が終わったのもあって、実家の仕事も手伝うことが出来るようになった。毎年秋、恒例の柿の収穫~
農業を辞めたと同時に、水田は人に貸したものの、畑は借り手がないのが現実。何か作らないと耕作放棄地の山に戻るため、10年ほど前に親父はここに柿を植えた。畑の品種はただの渋柿。
いかに自分で植えたものとはいえ、30a程の収穫を88歳になる親父一人にさせる訳にはいかない。
この日は3男も連れだして、収穫を手伝った。
低樹高栽培なので手で届く範囲は手でもぎ取る~というのは嘘で、まず剪定バサミで成り口を T字型になるようにおおざっぱに切る。
手の届かない所は、モジキで枝ごと折って手元に寄せる。
手元で柿を握り直し、きれいにT字型にアンテナを切りそろえる。
このT字型のアンテナをつけないと出荷できない。
なんとなれば、吊し柿なので、縄(ひも)にかかるアンテナが必要だからだ。
軽トラックいっぱいに積んだら、自宅の納屋に戻り、選別作業。
これまた大変な作業。
一個一個手に取り、小さいもの、熟れ過ぎなもの、T字型がないものを全部選別する。今年は成りすぎで小さい事もあって、5分の1くらいは捨てることになった。
出荷できるものをコンテナに積み込んで、近所の農家の納屋に持ち寄る。
集荷のトラックが入りやすい農家がそうなる。
この日の我が家の出荷は、約500kg。
集荷のトラックが来た!
佐賀県の加工業者という。
専用のコンテナに詰め替え~1コンテナは22kg程度あり結構重い、耕作者のを全部詰め替えて、汗がにじむ程。
トラックに積み込んで完了!
1kg=90円だそうだ。この日の出荷は45000円程度。
1kg=90円は安く思えるが、1次産業の産物ってこんなもんだろう~
ともかく引き取ってくれてお金になればイイって感じ。
ともかくこの日の収穫は終わった。
明日は筋肉痛に悩まされるな~。
2012年10月13日(土)
高塚山トレッキングを終えた
http://blog.goo.ne.jp/saisyohagoo_1959/e/efa6d909a310c036b3f49a1435b9636e
その日は、久しぶりに五木村に泊まることにしていた。
今年7月上旬から続く大雨は、最初の高塚山トレッキングを中止、秋へと延期となっていた。
それは、仕方ないが、12日の大雨で、県下各地で被害が出ていた。
ここ五木村も家屋が流される被害や、生活道路の寸断で孤立する集落が多発
でも、阿蘇市の人的被害のため、五木村はマスコミで取り上げられることはほとんどなかった
一泊する理由は、その確認にあった。
先ずは、頭地大橋はとうとうつながっていた。
http://blog.goo.ne.jp/saisyohagoo_1959/e/0f441678d0e99905da14b0adb999382a
次は、竹の川地区にある田中商店向かい側の、山小屋。
でも、道に面した山小屋ではない
山小屋の裏の、新しい食堂だ
ここはもともと昔のお茶の加工室があったところ。
店主の田中さんは、大型バスで来る50~60人の客にでも対応できるようにと、食堂にリニューアルしていた
これから人吉から団体さんが来るというのに、丁寧に説明してくれた
昔ながらの梁や柱はそのまま残し、雰囲気の良いお店が完成していた
心配したのは、この竹の川のカーブだった。
この食堂の上流で、大きくカーブしている。
話を聞くと、縁石ぎりぎりまで増水したという~
でも、上流で越流した水は、山小屋の方からこの食堂に流れ込むところで、
土嚢により防いだそうだ
この竹の川には川ノリが採れる貴重な清流の川だ。
メニューにもカワノリが使われた料理が出ている。
次は、いつき苑の黒木さん宅。
ここは、山の谷からの鉄砲水が屋内に流れ込み、家財道具、車をすべて川辺川に押し流した現場。幸い家族の誰もが無事だった。
ちょうど、この日は棟上げの日とあって、お見舞いと、棟上げのお喜びが一緒になった挨拶をした。ちょうど、黒木さんの娘さんと、大工の上村棟梁がいたので、話し込んだ。
さて、良い時間になったので、宿泊先の『宮園のお宿』に行った。
ここは、空き家を改装し、村外のお客さんを呼び込もうと取り組んだ、思い出深い宿だ
http://blog.goo.ne.jp/saisyohagoo_1959/e/18ec875b2aef7035f18ad1f6a12a8ec4
実は、申し訳ないことに、お世話になった五木村物産館出荷協議会の人が宴会を催してくれる事になっていた
それぞれの家庭から1品持ち寄りで、台所で料理したり、温めたりが始まった。
あっという間にテーブルは、『おもてなし料理:愛級グルメ』で埋まった。
出荷協議会会長の岩本さんの挨拶で、開演~僕も、お礼の挨拶をした。
記念撮影~乾杯
たくさんの料理に舌鼓打ちながら、焼酎もグイグイ入っていった。
食べきれないほどあるのに、また台所では、キムチ鍋やシシ肉鍋が グツグツと鳴っている。
久しぶりのみんなの笑い声と、あの頃と変わらぬ陽気さで、元気をたくさんもらった。
椎葉さん(シーバジイ)は、相変わらず手を出したがっている(笑)
いや、これは9時半になるので、閉会の挨拶です。
その後、最後までつき合ってくれたのは、樅木さん
炭焼き体験や丸太会会長になってもらい大変お世話になった人~
http://blog.goo.ne.jp/saisyohagoo_1959/e/59acf3f58d78623b2b0cd0aec5ab3df7
話す事も多く、午前2時まで二人で飲んでいた
お向かいの女性は、観光協会の寺島さん。
樅木さんの話の中から、ピピット来たアイデアをメモっている
意識もなくなり始めたので、解散。お布団が敷いてあった。
翌日は、8時に、やっと起き出した
完全自炊で、1泊2000円なのに、朝ご飯・チンが置いてあった(感謝)。
思い出日記帳に書き込んで、管理人にお礼と精算をして、宮園のお宿を後にした
帰る途中、昨夜の樅木さんの作業場に寄った。
ちょうど、西地区の宝探し(人・観光等)の聞き取り調査に出くわした。
僕の目的はログハウスの進捗状況とワサビのコンテナ栽培の確認。
丸太会の活動も水害で中断状態~
ワサビは、コンテナ台が流され、砂も新しく入れ替え、ワサビも植え替える事になったそうだ。
荒れた河川は、重機を使って今も整備中だった。
久しぶりに、五木村の人たちと飲んで、泊まって、したたかさや、パワーも感じた。
二日酔いのきつさと、トレッキングの疲れもあったが、気持ちは元気をもらって帰ることが出来た
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