1989年:平成元年(30歳の頃)
1989年(平成元年)4月の人事異動で、(旧呼称)菊池農業改良普及所に来ました。
農業経営指導がメインの仕事でしたが、30代の若い職員とあって青年農業者クラブ(4HC)の主査となりました。
4HCとは
年度初めの役員会議から、議題は『プロジェクト活動・課題設定』をあげました。
年末の地方大会のプロジェクト発表、年度末の県大会の青年農業者会議(プロジェクト発表大会)を目指して1年間のプロジェクト活動に取り組み、施設園芸・畜産部門などののトップを牛耳り、総合優勝も勝ち取る。
それが、彼らと主査、職場の目標でもありました。
だけど、前任地(球磨)と違って、役員の盛り上がり・覇気に欠けているのが第一印象でした。
そこで、彼らを何とか焚き付けようと、約1ヶ月を要して漫画を描きました。
『プロジェクト活動とは?』
という、苦肉の啓発漫画でした。
時代背景は、やっと職場にパソコンが1台配置された時代。
講習会資料も文書も、ほとんど手書きでやっていた頃です。
そしてバブル全盛は終盤の影~昭和が終わり新年号の平成になった頃。
テレビでの巷の話題は『一杯のかけそば』や、
泉アツノという、女性占い師の『こんなん出ましたけど~』が流行っていた頃でした。
つい先日の事、黄ばんだ手描きの原稿が出てきましたので、スキャナーで取り込み紹介する事にしました。
それでは、苦心の啓発漫画をお読みください。(菊池太郎が私です)
いかがだったでしょうか?
下手くそのタッチですが、彼らは読んでくれました。
さて、その年の成績は?
覚えていません。
『人を変える・動かす』という仕事には時間がかかりますので、後年になって喜んだ記憶があります。