Goo・ちょき・パーで、なに作ろう!

定年退職してしまいましたが、再任用でまだまだ老後の蓄えをしなくてはなりません。それでも悔いのない人生にしたいと思います。

5日目 上海国際空港~帰国の途

2010年11月28日 10時53分04秒 | Weblog

5日目 上海国際空港~帰国の途

11月15日、いよいよ帰国の日となった。
最後のホテルの『洋洋顕達度假酒店』は今までのホテルで一番良かったみたい~朝食のバイキングもちゃんとした牛乳・ジュース・コーヒーがあった。
なにも無い郊外と思ったら、周辺には新しいホテルの建設ラッシュだった。数年後には随分と様子が変わっている事だろう。
荷物も増えて、やっとトランクに押し込めてなんとか手荷物はひとつに出来た。忘れ物が無いように、点検して、バスへ。
日本のホテルと違い、お客を送るホテルの従業員は居ない。変わって、千円おばさんたちが見送ってくれたようだ。



約2時間、60kmの移動~途中、ビニールハウスの団地が見えた。



それに気づいてカメラを取り出しても続いた団地だから、相当大きな団地と分かった~仕事柄気になる風景~帰宅してグーグルで見ると凄い団地だった。日本の農業を脅かしそうな巨大な団地だった。

また、張さんの説明で道路沿いの高架はリニアモーターカーが走るところという。



赤字だけれど、国の威信と見栄を張って走らせているとのこと。




そうこうしているうちに、空港へ着いた。張さんの最後のアドバイスと挨拶。『パスポート、チケット持ちましたか?11:50発で、81番ゲートですが、中国では頻繁に搭乗口が変わりますから、良くアナウンスを聞くか、掲示板を確認してください。それでは、みなさんお元気で!お疲れ様でした!サヨナラ~』張さんと楊さんと別れた。

張さんは、本当に退屈させない面白い人だった。上海在住・一人っ子政策で一人娘さんが日本留学を目指している47歳・イケメン・頭が良い・歴史にも詳しい(仕事だから?)・日本にも詳しい(九州大好き)~。僕たちのバスは、添乗員に恵まれた。本当にお世話になりました。楊さんも補助にお世話になりました。ドライバーの楊さんもスリル満点の運転、ご苦労様でした。

出国審査を済まして、出発までの時間、免税店巡り。タバコを2カートン買った。日本で買うより3200円も安かった。さて、最後の元紙幣やコインを使ってしまわなければとジュースやお菓子を買った。
そうそう、ライターの持ち込みは禁止のお国柄で、喫煙部屋には固定式のライターが備えられていた。




 

 

 

 




時間が迫り81番ゲートに向かったが、どうもツアーの顔ぶれが少ない。もしやと思いきや、掲示板に搭乗口変更が書いてあった。張さんの心配したとおりだった。
やっと搭乗開始~中国ではずっと青空が見えなかったが、上空に飛び立ってその原因は黄砂と分かった。

大空の上で考えた。
『やっぱり、中国は凄い、歴史がある、広い。日本は大きな影響を受けて文化が育ってきた。映画、天平の甍(テンピョウノイラカ)の史実のように、かつて鑑真が何度も帰国に失敗したように、経文や宝物・物資・有能な人間も海の藻屑になりながら、それでも中国から文明が入って来た。それが今では1時間余りで帰国できる事も素晴らしい。次は華北の万里の長城・北京辺りを見たいものだ。妻は行きたがらないだろうな~。ウォシュレットがないトイレはハワイも一緒。溝式トイレもだんだん改善されるだろう。紙を流せないのも、下水処理施設が普及すればカゴに入れなくてもよくなるだろうから、トイレを問題にする事は無いだろうに。食事の質は、298(ニーキューパ)とか格安狙いだからそれなりの食事内容、ランクを上げたり、フリーの時に満漢全席でも食べればいいし。~まあ、嫌なら僕一人でも行くとするか。そのためには仕事しなきゃ。それより息子たちは就職できるだろうか?ペットたちは元気でいるだろうか?高速インター近くに停めている車は大丈夫だろうか?』~と、現実的に引き戻されていた。

1時間余りで福岡空港に無事到着~入国手続きを済ませて、荷物を受け取り、高速バスで帰宅の途。
車も無事だった。5日ぶりの自宅では、ペットのフィガロ(犬)、レオ(犬)、ガリ(ネコ)、チャチャ(ネコ)、クウ(ネコ)が大勢で出迎えてくれた。
ああ、やはり我が家が一番いい。そして、自分の分量を安心して食べられる食事は本当に良かった。


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中国旅行4日目・上海市内・魯迅公園・魯迅博物館・上海博物館・上海雑技観賞

2010年11月28日 10時28分26秒 | Weblog

中国旅行4日目・上海市内・魯迅公園・魯迅博物館・上海博物館・上海雑技観賞

11月14日~いよいよ実質的な観光の最終日。
2泊した『蘇州新世紀大酒店』を出発~再度、上海市内へ。
魯迅公園は、魯迅がよく散歩していたというだけで着いた名前で、後で魯迅の生涯の解説と作品が展示されている魯迅記念
館が出来たみたい。

 

日曜日とあって広い公園のあちこちで、フォークダンス・太極拳などなど、思い思いに体を動かす集団が居た。そうそう、中国に来て初めてドアの無いトイレをこの魯迅公園で見つけたので、紹介しておきます。もちろん紙はありません。

 

魯迅記念館は、なんとたかが記念館に入るのに、空港並みのボディチェックがされた。
一行は2階に案内され、ガイドの案内も日本語でやってくれたが、ちょっとだけして、すぐに1階に案内された。
そこは、お土産屋さん(笑)
 彫刻物など高価なものを執拗に迫られた。ここにも千円おばさんが居る~と思ったが、桁違いに高価な売りつけだった。こんな事なら、もっと魯迅の勉強をしたかったとみんなの不満が出た。
 
お昼は、やはり麺類と小龍包~一人3個という事をしっかり守って、問題は発生しなかった。もういい加減に円卓の気遣い食事は飽きてきた。写真は無し。

さて、次は上海の中心街、歴史的な商業施設や銀行、貿易商ビルが立ち並ぶ外灘源へ。




 

 

 

 

 

 



黄浦江の向こうの浦東地区には、靄の中に東京タワーより高い468mの東方明珠テレビ塔や日本の森ビルの四角い穴空き窓が見られた。張さんの話によるとこの森ビルは地元では不人気らしい~その理由は後で分かると言ってくれなかった。

次に張さんの旗に案内されたのは、上海開港より茶葉とシルクを商っていたという英国商社「ギブリビングストン商会」の旧社屋の建物の高級茶芸店に行った。
聞き茶体験ということだったが、可愛いお姉ちゃんが各テーブルに着いて、流暢な日本語を喋りながら、5種類くらいのお茶をみんなに注いでくれた。

 

 

 

 

 





紅茶・プアール茶・ウーロン茶・水仙というテレビでおなじみの黒いウーロン茶・ハート形のジャスミン茶・センブリみたいな一葉茶などを、説明しながら次々と注いでくれた。容器を温めたお湯や、余ったお茶湯は、このカエルにジャッと掛けるのが縁起が良いとのこと。
お腹タプタプになった後で、注文の始まり。商売っ気はどこも同じで、2種類位のお茶を買った。冷静に勘定するとエライ高い茶を買っていた。

次は、バス移動~途中、森ビルの不人気の原因を『左手をご覧ください~森ビルは、ここから見ると剣、刀に見えます。これが日中戦争の軍刀のイメージで今も受け入れられないんです。』だった。森さんもそこまでは設計の段階で配慮が無かった訳だ。






















さて、なんでかバスは上海天然ゴム健康寝具直営センター・ラテックスへ。応接部屋に案内されると、日本人が現れて説明を始めた。高反発性の枕や、マットの売り込みが目的の来店だった。妻がいつまでも出てこないと思いきや。枕を2つ買って抱えて出てきた!

次は、中国四大博物館のひとつと言われる上海博物館へ。




ここは、50分のフリーだったが、新石器時代から、青銅器や陶磁器のコレクション10万点以上あって、1階から4階まで駆け巡った。カメラはOKだったが、ストロボ禁止なので、そのように設定して次々に撮りまくった。


















ところが仏像のところで、なんでかストロボが光った。途端、漢民族と思われるどデカイ怖い看守が、『シェ・シャン、○×△□”!!』と、何て言っているか分からないが、何をとがめているかすぐ分かる形相で近づいてきた。『すみません!』と言ってその場を逃げて、カメラを確かめたが、設定はストロボ×で光るはずはない?おかしいなあ~と思いながら、次の像を撮っているとナントまた光った!周りを見たら向こうでまたデカイ怖い看守がコッチを見て、『シェ・シャン、○×△□”!!』と言っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ソソクサとすぐそのコーナーを出て行った。原因は、望遠を使うとストロボ×に設定しても光るらしい?
、もう遅い。





















 

 


そうこうしている時間が足りなくなり、集合場所のロビーに向かった。




















早くも夕方になり、総合民芸品店にバスは着いた。1階には水晶や田石、田黄に彫られたさまざまな彫刻物が展示され、日本語での説明があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


そのまま2階へ案内されたところは、ショッピングルームで、待ってましたとばかりの女性従業員
が10人くらい付きまとい、『これはいかがですか?』とうるさい事。
今まで見てきたお店の殆どの物がここにあり、どこかで見た同じ商品が、ここでは高い値段で売ってあった。
何も買わずにバスへ。



















さて、中国最後の夕食は上海名物・上海蟹フルコース~上海ガニはどんなものだろうと思っていたが、子どものころから食べている『毛ガニ・ヒゲガニ』、モズクガニと似たようなカニだった。食べ方の説明があったが、慣れたものだった。でも、足の身まではなかなか食べにくく、カニでは余りお腹はたまらなかった。カニ味噌を使った料理は美味しかった。




                                                                                       










驚いたことに、衝立で仕切った隣は結婚式の宴会が始まっていた。食事もだいたい進むと、みんな披露宴の方に関心が移っていた。













さて、最後の中国・上海の夜とあって、OPの上海雑技団(3900円)と黄浦江ナイトクルーズ(3000円)のどちらにしようか?と迷ったが、僕はナイトクルーズは先日したし、やっぱ雑技団じゃ?妻は雑技団はテレビでも見た事あるし、上海の夜は凄く綺麗なハズ?と意見が合わない。でも、妻が折れて雑技団となった。


席は前から3列目くらいでこの料金だとS席らしい。さて、8時過ぎの開演から、次々と人間わざと思えない軟体や曲芸、アクロバット演技、10時までの2時間、飽きさせず釘づけにし続けたエンターティメント集団~見ごたえあった。

 

 














上海のホテルは、『洋洋顕達度假酒店』で、上海と言いながら少し郊外みたいで、周りには余り明りも無い寂しい場所だった。最後の夜なので、買い出しに出て一杯飲もうと一人盛り上がって、ホテルに来る途中観察して見つけていたコンビニらしいところへ、暗い道を歩いて行った。
ここでも、日本のビールは安い。ツマミも安い~袋は学習したので持参~無事に帰りついて、さあ~飲むよ!と妻を誘うが乗って来ない。仕方なく一人で飲んで寝た。

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中国旅行3日目・蘇州市内(留園・寒山寺・山塘街・平江路)

2010年11月27日 16時36分15秒 | Weblog

3日目・蘇州市内・留園・寒山寺・山塘街・平江

11月13日、今夜も連泊なので、荷造り不要の朝~のんびり朝食後、8:45バス出発~既にバスの周りには『千円おばさん』が5~6人待ち構えている。売っているのはレースや刺繍だ。3つ1000円が5つ1000円になっていく(笑)




丸一日の蘇州市内観光。
先ずは、蘇州4大庭園で、明代に徐泰時(ジョタイジ)が造ったという『留園』で、蘇州では2番目に大きいそうだ。



奇岩は太湖から運ばれた、太湖石で、魚と水が穿った穴が無数に空いている。

 

張さんの説明では、下の穴から線香を焚くと上の穴から煙が上がり、上の穴から水を注ぐと、下の穴から流れ出ると言う。本当か?と思うが、ここで試したら捕まってしまうだろう。
しかし、至る所に太湖石があり、何トンという石をどの様に運んだのか?建物を立ててからは入れられない大きさなので、建築前に既に庭づくりを行っていたのか?張さんは『北京の庭園は皇帝が造ったものが多く、蘇州の古典庭園やこのような屋敷は、個人庭園が特徴です。作るには膨大なお金がかかります。だから当時の役人が賄賂をたくさんもらってお金と権力を得て贅沢をつくしたものです。みなさん僕にも賄賂たくさん下さい。そしたら僕も作ります。』と皮肉たっぷりに説明した。

 

建物の軒先は反り返った作りが特徴で、中国らしい建築。また、窓枠は『花窓』と言われるもので、木枠でさまざまな幾何学模様を凝らしてあり、一枚と同じものは無いとのこと。外から内部は見にくく、内から外は見る窓により同じ風景でも変化が楽しめる仕組みとのこと。
家具は、紫檀・黒檀を使ったぜいたくな家具ばかりだった。
屋根の梁までも彫刻がされている部屋もあった。ここは日中戦争の時に日本軍が占領し、馬小屋に使っていたとのこと。




庭に出ると、丸い小石が円形に綺麗に並べられている。これは、裸足で歩き足のつぼを刺激するための模様だそうだ。



池にはコイがたくさん泳いで居て、築山は太湖石を集めて築いてある。銀杏の紅葉が綺麗だった。



立派な庭園を観賞したあとは、明清時代に繁栄を極め「中華第一街」と称された山塘街の散策~またまた水路で解散~



昨日の古鎮・千灯古鎮と違って、しっかりした作りの家並みだった。お茶屋、果物やなどたくさんあったが、ミナラルウォーターを3本5元で買った。



東洋のピサの斜塔~虎丘の塔がすぐ近くに見えるが歩いていては集合に間に合わなくなる。



この虎丘の塔は最初は垂直に立っていたものの、400年前から傾き始め、先塔が雷に壊されて復旧したという。雷にやられていないなら世界遺産への申請価値があるそうだ。





集合時間が迫っているが、やや迷ってしまった。妻はアッチという。僕はグーグルの様な地図を頭に描いて、こうこう来たから、アッチのハズ!広い駐車所を抜け広い道に出ると、橋の向こうにバスが見えて、一安心。

それからバスに乗り、蘇州名物のへ。金魚やネコ、クジャクなどの毛の一本一本まで糸により描かれていた。

残念ながら撮影禁止のため、写真は無い。芸術の域に達した蘇州刺繍はため息しか出ない。
1点何百万円の品がたくさんあった。
ショッピングの後、刺繍研究所での昼食となった。ここでは麺料理が有名と言うが、あまりうまいものではなかった。ああ、熊本のラーメンを食べたい。



シルク製品の工場、ショッピングにも行ったが、ここも撮影禁止のため、写真は無い。

次いで行ったのは、寒山寺という古刹(コサツ)で、梁代(4世紀)に建築されたという、蘇州一の古刹で除夜の鐘でも有名という寒山寺。臨済宗の仏教寺院ということだ。




重厚な賽銭箱が先ず目に着いたが、張さんの説明によると『日本の三井建設は倒産しかけた時に、時の鬼沢正社長と町田良治会長が願をかけ、無事に倒産を免れたから、お礼にこの賽銭箱を送りました。』確かに、その彫りもの記名があった。




屋根の上には、西遊記・孫悟空でおなじみの三蔵法師の連れの像があった。

初めて知ったが寒山拾得(カンザンジットク)の故事で名高いそうで、唐代の詩人で政治家でもあった張継(ちょうけい)が詠んだ漢詩「楓橋夜泊(フキョウヤハク)」の石碑は有名だそうだ。



石碑には、『月落烏啼霜満天、  月(つき)落(お)ち烏(からす)啼(な)きて霜(しも)天(てん)に満(み)つ
江楓漁火対愁眠。  江楓(こうふう)漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対(たい)す
姑蘇城外寒山寺、  姑蘇(こそ)城外(じょうがい)の寒山寺(かんざんじ)
夜半鐘聲到客船。  夜半(やはん)の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到(いた)る』
とあり、訳すると 『月は西に落ちて闇のなかにカラスの鳴く声が聞こえ、厳しい霜の気配は天いっぱいに満ちている。運河沿いに繁る楓と点々と灯る川のいさり火の光が、旅の愁いの浅い眠りにチラチラかすめる。
そのとき姑蘇の町はずれの寒山寺から、夜半を知らせる鐘の音が、私の乗る船にまで聞こえてきた。』というもので、なんでもない内容だが、漢詩にすればなんとなくかっこいい響きだ。



もうひとつ、除夜の鐘が有名だそうで、その鐘の音を聴くと10歳若返ると言われていて、毎年大晦日には世界中からの客でごった返すそうだ。それが本当なら再春館製薬のドモホルンリンクも負ける効果だ。
また、鐘の撞き手108人を競りに掛けるそうで、1回の撞くのが何百万円にもなるとか。



僕らは5元くらいで3回も撞けた(笑)

夕方には平江路散策~もう、昨日から至る所、水路ばかりのようで、何処が何処だか分からなくなったが、ここはオシャレな水路の街って感じだった。川で洗濯するおばさんも居たが、喫茶店や軽食のお店が立ち並んで居り。
ツアーではない旅行客がのんびりお茶していた。




アイスクリームやケーキのお店も有り、甘党な女性たちは立ち寄っていた。
しばらくバス移動~その間バスの中では、オプションの足つぼマッサージ(一人100分3000円)の予約が始まり、張さんは携帯でまた連絡していた。OP参加者は夕食前に足つぼマッサージの店、『養足堂』に到着。



若い男女の従業員が交代制で24時間営業対応しているとのこと。個室的な部屋もあったが、団体さんは大広間に通された。



しばらくすると若い男女が桶を抱えて入って来て配置に着いた。僕には若い女の子が付いた。張さんによるとここの子は、黒竜江省・山東省などの遠隔地の奥地から来ているという。地元の子はこんなキツイ仕事はしないということだ。いずこも、生活レベルが上がれば、3Kは敬遠されるものだ。



ズボンのすそを上げると、色の付いた薬液の桶に着け、ゴシゴシ・チャプチャプ洗うは洗うは~5~10分くらい洗ったような気がした。



それからは念入りに左右の足の指、一本一本を指圧・揉みほぐしてくれた。『お~おっ、痛っ、気持ちいい~』と声に出したいが、妻が側にいるために、無言でいた。
足の後は全身マッサージだが、これは大したこと無かった。ちゃんと服くらいラフなものに着替えさせて、もっと広いベッドでグイーっとやってもらいたかった。まあ、足の方はスッキリなったので良かったか。

夕食は、江蘇料理~写真は無し。また、麺料理とかグルグルと回して食べた。
せっかくなので、夜の街の散策に出かけた。ケンタッキーあり、ミスドあり、あまり変わらない~電気屋さんもいってみたが、PCは地元製が多かった。
コンビニに行ってびっくり、全て安い。ビールなんて日本のアサヒやサントリーが10~15元位で買える。食事時に買っていたビールは確か30元(約400円)だったので、半額以下。お菓子も安い。



ところが日本と違うのは、袋はつけてくれ無い事。バラバラの商品をポケットのアチコチに入れてホテルに向かった。
途中、妻がスウィーツを買いたいと言う。
これも勝手が違う、日本なら向こう側の店員に指差しでとってくれるが、こちらでは名前か番号をレジに行って言い、お金を払ってやっとそれを貰える~食券を買うに似た感じだった。菓子の名前は読めないので番号(英語)と指で意思疎通~ゲットできた。殆どが50~150円のショートケーキ、ホールケーキで1000円以内くらいだった。

ホテルに帰って、ビールを飲んで、明日の出発の荷造りをして寝た。

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中国旅行~2日目つづき(No3):千灯~蘇州観光

2010年11月27日 00時27分54秒 | Weblog

 中国旅行~2日目つづき(No3):千灯~蘇州観光

やっと昼食へ。瑞来大酒店というホテルで、近くの太湖で獲れた白えびやスペアリブなど無錫料理を楽しんだ。と言いいたいが、円卓でハプニングがあった。スペアリブ10本が一皿に乗っていたのに、誰かが2~3本取ったみたいで、食べられない人が出た。一人10分の1を守らないと、起こるべくして起きる事。ガイドの張さんがお店のボーイに向かって、『シーワンチャンクァ?△・□・○?』と文句を言ってくれている模様?張さんも面倒な対処が絶えないもんだ。

 

 

 

 

 

 

 











 食後バスが来るまでホテル前を見学。昔ながらのタバコ屋と両側には、鳥屋?生きたニワトリや食用鳩を売っていた。店先で締めたニワトリの毛をむしっているオバサンや、中華包丁を振るうオジサンが見られた。

移動のバスの中で質問が出た。ホテルを表す漢字が『酒店』と『飯店』の2つがあるが、意味が違うのか?というもの。張さんの説明では、『中国は大きな国なので、昔から南船北馬という言葉があり、華南(華中も)は水郷や海の移動に船を多く使っていて、船頭任せだから酒を飲んでいた。一方華北は、自分で馬に乗った移動だから余り酒を飲まずに飯を食っていた。だから、華南はホテルを大酒、華北はホテルを飯店と表す。』酒好きならどちらも酒を飲むだろうに?とも思ったが突っ込みはしなかった。
 また、移動中の車窓から珍しい風景を見つけてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本では国道3号線みたいな(中国では全て国道だが)、片側2車線10m道路の1車線が何百メートルも黄色い帯がある。何だろう?と思うと『アレは農家が米・モミを干してるんです。』と張さんの説明。日本のように、乾燥機も、カントリーエレベーターもライスセンターの社会資本も無いので、ああして道路に干しているとのこと。『日本では1毛作でしょ。ここでは2期作なんですよ。』という説明。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




さて、いよいよ水郷の町・二千年以上の歴史があるという古鎮・千灯古鎮に着いた。
~グーグルで見ると、左上の台形の広場にバスは止まった。それから運河にかかる石橋を渡る~



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは本当に古い町と言うのがアチコチの石や土塀で感じられる。先ずは張さんの旗に着いて行って、運河にかかる石橋を渡った。古い屋敷跡を見学。柳川の水郷と全く違う~昔の大金持ちの屋敷というところや水路に感動した。














 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、20分だけ自由に散策。狭い路地を入ると豆腐を腐らせた料理の匂いが立ち込める凄い空間に入って行った~


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 昭和初期のたたずまいみたいな床屋さん、古いミシンで靴下?足袋を縫ったり、その横には『百信通手』という携帯電話のお店、怪しい料理を並べた出店とかタイムスリップしたようなゴミゴミした街並みだった。サトウキビも棒のまま売ってあった。
ふと抜けると大きな市場へ~(グーグルの写真では下の青い屋根の建物)日用雑貨から生鮮食料品が大きな体育館みたいな所にわんさと積んである。魚、肉が空中や地べたに並べられている。大きな鯉みたいな魚をまな板も使わず地べたのコンクリートの上で捌くおばちゃん。その横で開きの出来上がりを平然と待つ客。日本だったら、保健所の立ち入りでいっぺんに撤去命令が出そうな衛生状態~まあ、それがまだ当り前な世界。4輪トラックは少なく、バイクと軽トラックの荷台を上手に3輪車に改造したモノが頻繁に行き交った。興味が尽きない雑踏の街並みだけど集合時間。

90分程バス移動~その間バスの中では、オプションの蘇州運河ナイトクルーズ(一人3000円)の予約が始まり、張さんは取りまとめた人数を携帯で連絡していた(これも商売商売)。

すっかり暗くなって蘇州に到着。夕食は、蘇州料理で名物のおこげ料理~特に美味しいとは思わなかったが、また、グルグルと回して食べた。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
バスの車窓からまた面白いモノを発見。中国のバイクや自転車は夜になってもライトを殆ど点けていない(数えたが約5%の点灯)。また、バイクは殆ど電動バイク。点灯しない理由はバッテリーの消耗を抑えるため。だから、道路を歩く時には暗い中を音も無く近づいてきて危なくて仕方が無い~ボーっとしていたら絶対ぶつけられる。中国では、歩行者より、車やバイクの乗り物優先なので、その積りでいないと危ないとの張さんのアドバイス。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホテルに戻る前に、蘇州運河ナイトクルーズの者は、運河脇の船着き場近くで降ろされた。
ここで心配したデジカメのバッテリーが無くなり、携帯のデジカメに換えた。
古い万里の長城の門をくぐった。まさかここで万里の長城を見られるとは思わなかった。

門をくぐると、夜と言うのにここにも、「シェンエン!シェンエン!」(千円!千円!)のモノ売りが付きまとった。
それを振り切って、いよいよ乗船。蘇州の運河は2500年の歴史を持つ東洋のベニスと言われているとのことだが、ベニスを知らないので、電飾で飾られた柳並木~万里の長城を綺麗と思った。
いよいよメインの人口ナイアガラの滝の電飾へ~市長命令でこの滝の電飾を作ったことで、観光客は倍増したという。ここで90度左折、運河は曲がっていて滝は道路の壁に作られている事がわかった。
その先の石橋をくぐり、橋げたの精密な彫刻を見学。残念ながらブレテいて使い物にならなかった。
船はUターンしてさっきの滝にさしかかったが、すでに電飾は消えていた。
ガイドは『アレは故障ね~良くあるよ~。あなたたちラッキーよ~。あの人たち、アンラッキーね(笑)』




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
船を降りると、蘇州の古都の街並み散策~夜でも人通りは多く、余計なものが見えないので幻想的で綺麗だ。
中国は電飾が大好きみたいで、屋根の形に沿って至る所を飾ってあり綺麗だった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

国策でもあり、観光振興策ということだった。
やっと宿泊ホテルの『蘇州新世紀大酒店』に到着~日本だったら温泉だろうが、中国には温泉は無い。
風呂に入ってバタンキュウ~。

やっと2日目の報告完了。

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中国旅行・2日目:無錫・千灯・蘇州(No2)

2010年11月23日 23時22分51秒 | Weblog

2日目つづき:無錫市内『三国城・水滸城』観光

 

 

 

 

 

 

 

 

 


次に向かったのは、無錫市にある中央電視台の映画村~中国の時代劇を撮影している中国版・時代劇村・三国城だった。
看板には『三国城・水滸城5A』5Aとは、AAAAAいわゆる5つ星の評価の高い観光地というPRの意味。
門兵の居る大門を入ると中は、中国全国からの観光客でごった返していた。三国時代は3世紀頃のこと。
レッドクリフ(赤壁の戦)の撮影も行われたということで、なるほど水軍の映像には、こんな場面があったような気もする。当時の軍艦を模した船に乗って、湖内をちょっとだけ遊覧をした。

 

 

 



陸に上がると、レッドクリフの重要な人物(諸葛孔明)の像があったので、一緒にパチリ。右手にはアノ、団扇?が持たれている。草原で風を感じて団扇を振り、北西の風を東南の風に変える『借東風』の話。金城武にはなりきれないが、軍師孔明と一緒に写っていい気分。


 

 

 

 

 

 

 

 

 


 さて、張さんの旗に着いていき、目の前に迫った長い階段を見て妻は『ここで待つ』と言い出す始末。
ともかくせっかく来て~と説得して長い石の階段を上って宮殿みたいな所へ案内された。
 ガイドの張さんは『あの女の子は、中国四大美人に扮した地元の女性たちです。でも、美人じゃないよ~ブス!
あんなもんじゃないよ~日本語分からないからイイヨ。』とみんなの笑いを取った。
『ハイみなさん中国四大美人知ってます?』誰かが、楊貴妃と言った。『そう、誰でも知っている楊貴妃ね。唐の時代です。他?知らない?王昭君、漢の時代です。他~花の名前にあるよ~そう、虞美人ね。秦の終わりの人。もう一人?
余り知られていない~西施(シエイーヒ)です。春秋時代です。』『ハイ、当時の衣装に着替えれば、ブスでも、美人になれるよ~』(笑)~有料だったが妻はさっそく着替えに行った!


 

 

 

 

 

 

 


 その間、興味のある古代の中国楽器を見ていた。中国楽器は3000年以上の歴史があり、青銅器時代からのものだ。銅鐸に似た編鐘を実際に見られるなんて予想外だった。
 果たして、妻の方は美人になって出てきたが、玉座での撮影は担当者にカメラを任せねばならなかった。
下に降りて自由に撮ってやった。残念ながらブログにアップは出来ない。



 それから予想だにしない~さっきの中国四大美人ら6人編成で、琴・笛・笙・磬・建鼓・編鐘の生演奏を始めたではないか!上手かどうか分からないが、考古学が好きな者にとって、3000年の古の音を生で聴けるなんて感動モノだった。

さて、次は『桃園の誓い』の再現の場面という、劉備・関羽・張飛の三人が義兄弟の契りを交わした場面が、造花の桃園に作ってある。ちなみに桃園結義は、劉備・関羽・張飛の三人が黄巾の乱の際に挙兵する時に、『我ら同年同月同日に生まれんことは求めずとも、ただ願わくは同年同月同日に死せんことを願わん。』と張飛の家の裏の桃畑で誓いあったこと。





 

 

 

 

 

 


その先には、魏・呉・蜀の三国の騎馬隊の兵士石像が鳴らんでいた。

 

 

 

 

 

 

 


さて、出発の前のトイレ~溝式トイレを発見!紙は無い・紙はカゴへ~扉はあるものの4室の川上から川下へはひとつの溝なので、他人のモノが流れてくる事になる。
でも、いつも流されるものでもなく、それまでは大の場合、小山を作ることになる。

・・・・・・容量、10000文字の制限で、小分けで申し訳ありません~No3へ続きます!


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中国旅行・2日目:無錫・千灯・蘇州(No1)

2010年11月23日 16時37分07秒 | Weblog

●2日目

 ホテルの夜は、すぐ下で突貫工事のビル工事があっていて、一晩中機械がうなっていた。日本と違い騒音規制は無いのか?まあ、疲れはとれて目覚めは良かった。
さっそく食堂へ行きバイキングの
朝食。日本のホテルのバイキングと比べたら質素で、牛乳やオレンジジュースは絶対水で薄めてあるし、トウモロコシは牛の飼料みたいに甘くない。ミニトマトは萎びていて糖度が無い。それでも単身赴任のもっと質素な朝食と比べれば朝から食べすぎた。

 

 

 

 

 

 

今日から本格的な観光開始~最初は、琵琶湖の3倍の広さを誇るという太湖、無錫で一番長い廊橋がある長広渓湿地公園の散策をした。

  


公園の図では三角形のジョウゴみたいな形だが、これは太湖上部(北部)からの入江って感じで、西・南側には、広大な太湖が広がっている。
廊橋はジョウゴの先っちょに掛かる橋で、楼閣付近には太極拳を楽しむ地元の人たちがたくさん居た。廊橋には見事な石の彫刻が中国文明らしい雰囲気を出していた。


 

  

15分の散策時間はあっという間に終わり、トイレで用を済ませた。ここもトイレには紙は無い。籠の紙は拭いた後の仕様済みの紙~中国の下水処理能力は低くて、割と粗悪なトイレットペーパーを流す事は詰まりの原因となり、籠に入れることになっている。

 


タバコの灰皿は塵箱の真ん中に一体的になっているものが一般的だった。左右はリサイクル資源物と燃えるゴミの分別仕様となっている。

バスに乗って驚いたのは、元来た道をUターンするのだが、片側2車線の国道並みの道路を大型バスが4車線使ってUターンした事だ。中国は日本と違って車が右車線。
殆ど切れ間の無い左側の対向車が来るちょっとの間を狙って、大胆にUターンする。バスの中は『あ~あ~あ~危ない!』の合唱、合掌かもしれない。広い駐車場の整備も遅れているが、前進バックの切り返しなんて発想に無いみたいだ。
ガイドの張さんは『中国、これが当たり前よ!バスUターンするよ~どいてどいて!』て、窓の外に向けて叫んでいるってな調子だった。

次は、太湖名産・淡水真珠のショッピングということで、『熱烈歓迎・・・・』と書かれた、電光掲示板のお店に連行?された。1ヶ所に集められて、ここでは先ず日本の真珠・塩水カラズ貝との違い聞いた。日本は1個の核を外套膜に埋め込むのに対して。淡水カラス貝は貝殻自体から湧きい出る複数の核を外套膜に取り込み真珠にするとのこと。ただし、丸い真珠よりも芋みたいな真珠も多い。次に1個のカラス貝を開いて、真珠の数当てゲームが始まった。~次々に人に答えを求めて、僕は『38個』って言った。 さて、開いてみると、次々にいびつな真珠が大小現れ、カウントが始まった。『36・37・38、~38個でした!誰でしたか当てたの!』見事に当てたのだが、商品は真珠の粉の箱入り~美白効果があると言う。すぐに妻に取り上げられた。


  


出発まで時間があったので、妻には内緒で途中工事現場で見かけた竹の足場を見に行った。日本もずいぶん昔は竹が使われていたが、以前テレビで見て驚いたので、現実に確認できる事は、この上ない喜び。軍事施設で無い事や看板にも注意して、なんの変哲も無い工事現場を無事撮影できた。(笑)


 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

2日目、さらにつづく~


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中国旅行~1日目(上海→無錫)

2010年11月22日 00時18分23秒 | Weblog

2010年11月11日
 
今年2010年で4月で、勤務30周年となった。福利厚生事業のリフレッシュ休暇として土日含めて7日間の休暇を取る権利があるため、早い時期から計画していた。
 せっかくだから一度は中国に行ってみたいと言ったが、妻は『中国は汚いから行きたくない~けど、298(ニーキュウパ)は安いし、あまり着るものも気遣わなくていいから、良かたい。』と、まあ着いて行くことになった。

 ツアーで選んだのは、阪急交通社:トラっピックスで、『上海・蘇州・無 錫・千灯~江南今昔物語~5日間』福岡空港発の29,800円~まあ、燃料サーチャージやオプションを付けると倍近くになるが、それは何処に行くも同じ事~申し込みや旅の準備は家に居る妻に全て任せてた。
 ところがその後、すぐに写真を取って身柄拘束・尖閣諸島・漁船衝突問題、反日デモのニュースが飛び交い、中国はキナ臭い雰囲気となって心配したが、職場では『反日運動を静めに行きます~』ってな言い訳をして当初計画のとおり行くことになった

●11月11日:1日目 高速バス2,000円で福岡空港に~。これから5日間行動を共にする52名の参加者は顔を会わせた。ツアーは初めてではないので、どんな人と一緒になるか?変な人は居ないか?とチェックの癖が付いている(笑)殆どが60以上の定年夫婦~現役の僕らは珍しい参加者だった。
 飛行機の出発は40分も遅れて離陸した。上海は中国のどのあたりかとグーグルで見たら東京よりも近い所と分かった。北緯31.1度だから鹿児島県の都井岬のちょっと沖合という感じだ。




 中国との時差は1時間(遅れている)、午後4時を2回体験した。携帯の時間は?と見ると、日本時間と自動的に現地時間に合わせる機能があって、2つ表示されていた。上海空港に着くと、一行は1号車20名、2号車32名に分けられ、2号車に乗った。2号車の添乗員は、旗持ち案内ガイドのイケメン男の『張さん』と、そのヘルパーガイドの若い女性の『楊さん』、ドライバーも『楊さん』だった。
無錫へ向かって220キロひたすら走ったが、途中の町?都市の様子はなかなかの建物だった。夕方の空は薄汚れていて、青空は見えない。やはり空気が汚れているせいだろうと思った。
 無錫に入るまで寝込んでいた。もうPM7時半で暗くなってドライブインでトイレ休憩で起きた。~この時言葉が違う現地人の声に、異国に来た感じがした。ドライブインのお店で必携の『飲料水:ミネラルウォーター』を購入。青いボトルが1元で2本、赤いボトルが2元で1本買った。この日1元は13円なので、3本で52円!安いと言えば安い。
 無錫に着くと先ずは夕食(日本時間PM8:50)の氵戸錫人家というレストランへ5つの円卓に10人3テーブルと11人2テーブルに振り分けられて、着席。ビールは太湖水という切れも冷やしても無い30元(約400円)を注文。

 


    


 
夕食
のメニューは、清の乾隆帝が食べたと言われる江南料理
~淡水魚のから揚げ、豆腐料理、チャーハン、エビの素揚げなど~だった。店内にはディスプレー用?の水槽があった。

 ぐるぐる回して10分の1位を取った。デザートには、甘みの無いメロン(瓜)とサトウキビが出た。
 食後は、美麗都大酒店というホテルへ移動~やっと荷物を解いてラフな格好になった。
テレビのBS放送では日本の番組も有ったが、いつも映るとは限らないとのこと。
番組内容により放映内容が国に管理されているとのこと~だから、ノーベル平和賞受賞の劉氏のニュースも流されていない。後で知ったが、昼間でも夜でも昨日映ったチャンネルが普通に砂嵐になっていた。

 初日は移動だけで、どっと疲れたので、外出もせずにすぐに寝た。

2日目の本格的な観光は、また近いうちに書きます。
 

 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 
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刺身包丁、完成しました!

2010年11月05日 23時25分12秒 | Weblog

2010年8月4日(水曜日)

包丁は2本目となるが、今度は刺身包丁に取り組んだ
ご存じのとおり、刺身包丁は片刃のため、片側だけに鋼が付いて、切れる刃になるもの
鋼材はその片刃用のものを準備してもらった
商売用の鋼材で、師匠が使ってた続きをそのまま使った
師匠は『刃渡り7寸(21cm)なら、これくらい~』とチョークで、線を引いた
それは10cmも無い位短いもので、『えっこれだけで出来るんですか』と声に出したほど

それを釜に入れて焼く

  

そしてハンマーでたたき延ばした
片刃の場合、鋼を下にして一方の軟鉄を上にしてその面だけ叩くのが、合刃との違い。
残念ながら自分がやっている時には、携帯カメラで写す事は出来ない
何度か焼きと叩き(鍛造)を繰り返して、だんだん細長くなっていく
12cm位で押切みたいな切断機で、カット。
今度は、これをヤットコで挟んで、叩き延ばす
これまた、自分がやっている所は撮れない
師匠のお手本の後、言われたように叩く。
『片面、片面、コッチこっち~鋼はどっちかな?手前から刃先へ、手前から刃先へ~トントントントン
『同じ所を叩きすぎると、そこで広がって薄くなるよ~菜切り包丁じゃないから~先に延ばす~手前から刃先へ~

  

言われるように、刃先を尖らせ、刃側を薄くしていくと、飴みたいに変な形になってしまうのを、今度はハンマーでそれを整え成形していく
相変わらず、アソビの大きいヤットコは使いにくいし、ハンマーは重たい
  
 

それでもだんだん、包丁らしい形になって行く

 

なんだか、心細いような薄さになっていったが、なんとなく、らしい形になった
刃渡りが21cmは短いような気もするが、これが8寸(24cm)以上とかになると、家庭の流し台とかの包丁刺しを飛びぬけてしまうらしい。
板さんなら、10寸=一尺(30cm)も使うが、素人が持つにはかえって不便らしい。
今夜だけで、ここまで形になった



2010年9月8日(水曜日)

いろいろあって、1ヶ月ぶりの参加となった
今夜は、型どりから入った。師匠が、包丁の柄えが付く場所を切り幅の狭いグランダーで切り込んでくれた
刺身包丁の型は、マジックで線引きし、グラインダーで包丁らしい形に削り出す。
焼けた金属火花が目に入ると、大変な痛みにゴロゴロし、涙が止まらなくなるから、ゴーグル装着が必須となる


  

いよいよ、水砥石で荒研ぎに入った
水砥石が新品になった。新品の砥石は厚さが10cmもある。
重々しく回り出す水砥石に緊張~


 

先ずは師匠のお手本
新品なので食い付きが良く、向こうに引っ張られる。
片刃なので、鋼側は極力研いだらいけない
思わず力が入り、包丁から押さえる指が外れると~このとおり指を砥石に擦ってしまう
手の皮がすり減って、真皮まで現れ、ヒリヒリといつまでも痛い

 

黒い酸化被膜が研ぎ落されると、金属面が現れ輝き出すが、この段階はまだ刃が付いていない~刃先は0.5ミリくらいの厚みがある。

 

今度は、サンドペーパー80番でひたすら磨く。
ミネも磨く、三角傾斜面の刃は砥石で研ぐので、そのままにしておく。


 

2010年9月15日(水曜日)

今回は、師匠の包丁叩きから始まった
熱した鋼と軟鉄を比べると、軟鉄の方が縮み易いそうだ。
だから片刃の張り合わせた刺身包丁は、反り返りが出来る
それをタオルを当てて叩いて、反りを直すというのだ。
見た目には分からない程の反りを真っすぐに直してくれた

次は、バイス(万力)に挟んで、柄に入る所をヤスリで綺麗な90度の角度になるように削って行く
これが、なかなか難しく今夜はほとんどこの作業で終わったが、これで焼き入れが出来るところまで迫った


  
 

2010年10月6日(水曜日)

2週間休んでしまった。その間、焼き入れが施されていた。
再び水砥石で、今度は刃を付ける(切れる位まで)。
師匠がお手本を示す
三角傾斜面の刃を同じ角度で刃渡りを通すのは、実に難しい
回転に引っ張られると角度が緩くなり、手前に引きすぎると急になるので、何ヶ所ものデコデコの面になりやすい。
そうならないように、同じ角度で刃渡りをずっと通さなければならない。

腕・肩がゴチゴチになるほど固めて角度を保つ~。
夏場なら、額や背中に汗が流れる~終わると、どっと疲れる作業

  

2010年10月20日(水曜日)

中1週休んだこともあり、”次回は、砥石を持って来るように”と言われていたのに、忘れ物をした
忘れ物を家に取りに帰る小学生のように、取りに帰った
なか1週の間は、自宅で2000番までサンドペーパーをかけていた。

果たして、マイ砥石の中研ぎと仕上げ研ぎを持ってきた
マイ砥石をたくさん持っているサラリーマンなんて、あんまり居ないだろう(笑)

2000番まで磨いていた事もあり、中研ぎで刃を付ける研ぎをひたすらした。一見平面に見えても、砥石を当てれば凸凹が目立ってくる
鋼の反りがこの時ハッキリしてきた

砥石の面を水平にするために、度々別の均し砥石で、砥石面を水平に研いでいく。そして中研ぎ砥石も、向こうと手前を度々入れ替えて、出来るだけ全面を使う様に、包丁を滑らせて研ぐ。
角度は一定に保ち、刃の全面をひたすら研ぐ。


 


師匠の点検で、OKが出て、次は仕上げ砥石に換えた。
サンドペーパーの2000番と比べると6000番位のきめ細かさなので、ピカピカになる
綺麗なガラス面では水を弾くように、ピカピカに磨いた面の刃は水を弾き、サビも出にくくなる性質がある。

仕上げ砥石を、向こうと手前を入れ替えている時、事件は起きた。
右手に持った包丁の刃先に、なんと砥石を回転させるときに、知らずに指を立てていた中指を、刃先に擦ってしまった

チクッとした感覚の後、流れ出す鮮血
余りのドジさに、説明するのも面倒と思い、周囲には黙っていた。
幸いに切れ味良い刃で切ったので、
血はすぐに止まった

 

あとで、こっそり指の傷を開くと、パックリ開いた(笑)


 

2010年10月27日(水曜日)

今夜はいよいよ仕上げ~かなという不安の中で、師匠は人吉新聞を持ちだして、刃の上をポイント的に滑らせる~。『う~ん、ここ(手前から5cm位の所と、ここ(中ほどの反りの中心)は切れない~ばってん、売り物じゃなかけん、刺身包丁は引きながら切るから、良かろ!』、とOKを出した。
『よかろう~使っているうち(研ぎを繰り返すうち)に、切れるようになるバイ~』と、研ぎの条件付き

次は仕上げの、バフ(研ぎ粒子の入った粘土)かけの前張り(昔の東宝ピンク映画かっ!)処理にかかった。
ガムテープを側面に張り、刃側面だけを露出。

 

この回転するブラシに、バフ(研ぎ粒子の入った粘土)えお塗り付け、刃物を当てると、仕上げの磨きとなる。
師匠は、出来上がりを確認すると『良し』と言い~そのまま、釜の炎に~『えっ、また焼くの?』と思いきや、柄の部分だけを炎に当てた。


 
 
焼けたところで、何処に持っていたのか木製の包丁の柄を、赤く焼けた金属の柄に突っ込み、尻を金槌でトントン~煙を少し上げて、綺麗に収まった。焼く事で、外れにくくなり、錆びにくいそうだ

 

いよいよ完成
家に帰って、しげしげと観賞

部屋の蛍光灯の下で、光の反射を見たり~写る自分の顔を見たりと、しばらく続いた。
武士が日本刀を観賞するのと似ているかも


 

 

最後に包丁保存の仕方を習った
最も良いのは、新聞紙に巻いておくのが良いと言う事だ
空気中の水分で錆びやすいのが、鉄の運命~新聞紙が水分の調整をしてくれるとのこと。

とりあえず刺身をさばく計画は無いので、新聞紙に巻いて置くことにした『刺身包丁、完成

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