Goo・ちょき・パーで、なに作ろう!

定年退職してしまいましたが、再任用でまだまだ老後の蓄えをしなくてはなりません。それでも悔いのない人生にしたいと思います。

まるごとハワイ3島めぐり7日間~1日目

2014年03月30日 17時53分27秒 | Weblog

ハワイ時間3月22日(土)~1日目

去年結婚30周年旅行を延ばしていたのを1年遅れで実現。
実は、ハワイは5年前にも妻と来たところ。
今回、阪急交通社の企画ツアーで3月22日から28日まで妻子と行ってきた報告です~1日分を1回の記事にまとめます。

福岡国際空港を夜の9時に離陸~それから約8時間。
HA-0454便は順調に飛行した~5年前は、巨漢の現地人と一緒だったので、なんとも言えぬ圧迫感に辛い思いをしたが、今回は痩せた日本人で良かった!
日本では既に23日となっているが、日付変更線を前日に戻り再び22日になった。

眼下にオアフ島が見えてきた。西からオアフ島に入ってくるので、この山はワイアナエ山脈と思われる。

航空写真: http://goo.gl/maps/xUvOs

バーバース岬を超えて、ホノルル国際空港を目指して高度を下げ始めた。
繋がるラグーン航空写真: http://goo.gl/maps/nkIQ1




ホノルル国際空港に着くと、入国手続きを済ませた。
外国人が多いのは当たり前だが、ここでは日本人が外国人~
到着・出発ゲートの中庭でも異国ハワイに来たことが実感出来た。
航空写真: http://goo.gl/maps/bOEo3




ツアー一行の20人は、バスに乗って現地係員・添乗員の説明で市内観光~日程説明などを聞いた~なぜか直ぐに寝てしまった。

最初の観光は、ヌアヌ・パリ展望所~ホノルルから裏オアフに抜けるパリ・ハイウェイをコオラウ山脈に登った峠にある。

 

 
コオラウ山脈にはいつも北東の海からの強い風がこの岸壁に打ち当たっていて、帽子を飛ばされないように展望した。

 
遠方にカイルアビーチが見える。
説明板の要点は~、200年以上も前の事~
マウイ島を拠点とするカメハメハ大王が、 1795年オアフ島を侵攻した最後の決戦の地、古戦場でもある。



最新の大砲2基を持つカメハメハ大王は、ワイキキビーチから上陸し、バスが通ってきたヌウアヌ渓谷を通ってオアフ軍と交戦~大砲の威力は圧倒し、オアフ軍をこのパリの絶壁に追い込み、最後には300mの絶壁から突き落とし勝利した。オアフ島を手中に治め全島統一、ハワイ王国を建国した。



織田信長の天下統一と同じく、統一には戦がつきものだ。
歴史を知ると心霊写真でも撮れそうな、いわく付きの場所な訳だが、展望所からの見晴らしは最高だ。




板根みないな、何でもない木まで撮影してしまった~



誰かが捨てたのか、鶏、チャボ?が野生化している。



オマケに、英語で啼くネコも登場~家に置いてきたネコ4匹の安否を思い出してしまった~



それから一行は市中を巡り~7代目王朝カウカウアが1882年に建てたという、イオラニ・パレス(宮殿)を車中から見た。
その道(イングストリート)向かいに、アリイオラニ・ハレ(ハワイ州最高裁判所) の正面庭に立つ、カメハメハ大王の銅像~ちなみに誕生日は6月11日で、(カメハメハ・デー)はハワイ州の祝日だそうだ。
面白いことに、これは複製で、本物はハワイ島のコハラの旧裁判所前にあるという。また、新規に複製を作るときのモデルも、自分よりも宮廷仲間のイケメンの友達をモデルにさせたと言う。




さて、いよいよ宿泊ホテルのヒロ・ハワイアン・ホテルに着いた。
正面玄関前にはガジュマル(イチジクの仲間)の大木があり、枝は玄関の上まで伸びていた。 
航空写真: http://goo.gl/maps/RO7OP



ホテルの前の通りには、ガジュマル並木通りとなっており、アメリカの著名人がお手植えしたものだそうだ。
ちなみにホテル前のは1933年に『ベーブ・ルース』が植えたと立て札があった。つまり樹齢80年くらい~根とも幹とも言えないが、幹回りは大きい。



近づくと絡まった気根がロープのように下がって、地面まで到達していた。



さっそく部屋に入って~思わず『ア~ッツ』とベッドに倒れ込む~
北側のベランダから展望すると、ヒロ湾が一望できた。






この時期は雨期とあって、島のアチコチに雨雲が立ちこめている。
ヒロは『雨の都』と呼ばれており、年間3400mmも降るそうだ。
日本の屋久島の平地で4000mmだから、結構雨量の多いところだ。






リリウオカラニ庭園も一望できた。



夕食までの腹ごなしに、散歩をすることにした。
外からホテルの裏側を見たところ。



地学が好きなんで、ついこんな写真を撮ってしまう。
ハワイの地下には、大きなホットスポットがあり、太平洋プレートを突き破り、マントルの吹き出し口から海中に海底海山を造り、海上にまで成長したモノがハワイの島々~
問題は、太平洋プレートは年に数cmぐらいずつ北西方向に移動して日本(四国辺り)に向かっている事だ。
つまり、マントルの吹き出し口が一緒で、プレート上の島は少しずつ北西方向に移動していくから、フジツボが次々に出来る様に、帯状に次々と島が連なって、現在のハワイ諸島の配置になっている。

だから、一番北西にあるカウアイ島の誕生は500万年ぐらい前で一番古い島になり、一番新しい島が南東側のハワイ島(ビッグアイランド)で約40万~50万年前の誕生ということ~なので、この黒い溶岩の固まりはマウナ・ケア山からの溶岩が海にまで到達し、波によって冷えて固まったモノ~生々しい、溶岩の厚いヒダのシワがそのまま残っている。

そんな事を考えて、現物に触れられて悠久の歴史に一人悦に浸っていた。



ところが、いたずら描きは万国共通のようである~世界中から観光客が来るというのに~これを描いたお前こそ fuck you だ!



気を取り直して、リリウオカラニ庭園を散策した。
ヒロの町は日本人(日系人)が中心に造り上げた町と言われており、しかも熊本県人も多いという~水前寺公園のイメージなのか?
アチコチに日本的な、庵や石灯籠、アーチ石橋があった。




30年も前の1985年に常陸宮様がお手植えされた、松が全然生長せずに生きていた。



腹ごなしが出来たところで、いよいよ夕食:ビュッフェとなった。
ステーキは厚さ2cmくらいで1枚ハガキくらいに切り分けてくれた。



海産物も美味しく、カニも良かったが、塩ゆでのエビがとっても美味しかった。刺身は~やっぱり日本のがイイ。



食事の後は、近所の雑貨店を覗いた。
洋服のサイズは、日本のLがMサイズで、殆どはX、XL、XXLだった。
タバコは9~10ドルで、日本円で1箱1000円には驚いた。




2日目のビッグアイランド報告をお楽しみに~!

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中山間地の零細農業~柿園の溝さらえ

2014年03月13日 22時01分09秒 | Weblog

2014年3月8日(土)

やっと1週間が終わり~、内心ゆっくりしたい休日だが、この時期やっつけておかねばならない作業があった
冬は剪定~春先は、明渠(メイキョ:排水のために地表に掘る溝)掘りだ

実家の農地のあるこの辺り一帯は、およそ8万年前に出来たと思われる阿蘇火山火砕流台地
火山灰と軽石から成るシラス台地なので、長年の雨の浸食を受けて馬蹄形の地形が連なり、そこは畑や水田として開拓されてきたところ 
ローマにあるコロシアムの一方が崩壊し解放されたような、馬蹄形の段々畑が数段つながっており、一番下の段には漏斗のように地下水が集まってくる
そこがこの畑だ~(転作が始まるまでは水田だった) 

そこに親父は10年ほど前に、柿を植えた
だから、排水対策をしないと収穫は望めない~ 


 

新芽が芽吹く前に、外周の明渠掘りが恒例なのだが、一年経つとこのとおり溝が見えないほど埋まってしまう



水は高いところから低いところへ流れる~だから、一番奥は浅く溝を掘り始め、排水口に向かってだんだん深く浚(サラ)えていくのがテクニック
それでも梅雨時には水が溜まり、イノシシのヌタバ(泥遊び場)になる



溝を切ると、土の圧力から解放された地下水が染み出てくる
~上の土手から畑に入るのを遮断するのと、畑の中の余分な水を誘導排水するのが、明渠の機能だ




しかし、農作業で人力で土を扱うのはキツイ作業の上位になる
3mも浚えたら『フ~ッ』と一息つきたくなる
だんだん深くなると、跳ね上げる高さも増して腰も痛くなる
落ち葉が大量にあると、土が鍬に乗らなくなりポロポロと落ちて、かえって回数が増え辛くなる



単調な作業が続くと、いろいろ考えてしまう
~『親父が死んだら、いったいどうなるんだろ~大した儲けもない柿は切るか~
しかし、後はどうする
この大量の落ち葉も、40年以上も手入れもしない隣の山主の放置が原因で、大木になったエノキからの落ち葉だ
~覆い被さるように南の日光を遮っている~お陰でここはホントにお陰様だ~




さて、ブツブツ考えながらも、だんだん深くなってきて、息も絶え絶え
~スコップと違い40~50cmを鍬で跳ね上げるのは、辛い労働だ


 

他人の木はなかなか切れないが、草である孟宗竹が倒れ込んで来るのは許可無く切っている
『文句があるなら言って来い手入れも出来ない山なら、俺に全部切らせろ
まあ、ここだけの状況ではない~辺り一帯、山や畑の手入れをするのは元気な老人と、それに連なる息子が居るところだけだ
その親父が居なくなったら、自分ももうこんな農地を管理する、自信はない

 

また、ブツブツ考えていると、やっと排水口にたどり着いた
それでも、やっと半分終わっただけ~ちょっと寝ころんで休憩

 

汗が冷たくなってきたので、作業開始~
さっきの始めた一番奥の所から、反時計回りに~また、浅く溝を掘り始めた~

1枚の畑でも、こっち側は粘土分がきつく、削った泥が鍬にベタベタとまとわりついて離れず、エライキツイ思いをする


 
それでも、やり遂げないと帰れない~また考え事をしてしまう
『一般的に、仕事をしたら評価ってものがあるが、こんな山の中で人知れず一人でする仕事を一体誰が評価するのか
親父は助かったと悦ぶだろうが~果たして、親のためにする作業か
今日のこの作業で幾らの収益につながるのか労賃を支払うとしたら、収益で賄えるのか
そう考えるとバカらしくなる~きっと誰でもそれを考えて、何もしないんだ
つまり、耕作放棄は経済的な判断行為なのだ
評価ってあるとしたら、それは柿自体が示してくれるんだろう~そもそも、農作業は生産活動で、今日の農作業とかの断片評価でなく、全ての作業の成果として、その作物が評価するものだろう。だから、一貫して作業を続けなければならない。
柿が幾らで売れるかは、人間の評価する経済活動の販売・消費のことで、生産とは全く別の努力のしどころだろう。これを一緒に考えるから、バカらしくなるんだ~』




さてさて、ふと気づくと、雑草としては超やっかいなスギナにツクシが出ているのに気づいた
憎っくきスギナも、大地の春を感じているのだ



さて、90度の角を曲がると、あともう少し~



こちらの排水口は、舗装もしていない道の轍の窪み



『やっと、終わった~』と鍬を投げ出して、あぜ道に寝ころぶ~向こうでミニバイクが帰りを待っている



ゴロンとしながら、今日の成果を見回す~実は、柿の間にはコンニャクを植えている~梅雨時にも、コンニャク芋が大きくなる頃も、柿が熟れる頃にも、イノシシがやって来るこれが、中山間地の農地の現状だ~



この水田の下には、ため池がある(あった)。
転作が始まる前には受益者により整備されていて、山からの谷水を引いて、満々と用水を湛えていた。そして、菱が育っていて、晩秋には実がたくさん着いて、それを採っては焼いて食べていた思い出がある
鬼の様に2本の棘があり、鬼菱と言っていた

今では、誰も整備しないために草木ヤボの窪地になって面影もない。
(菱の実の紹介)
http://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/vegitable/hishi2.htm



もう一つ、米の増産時代の遺構~昭和30年代になると高度経済成長に突入~米の値段も高くなり、米増産でボーリングが盛んにされた。
こんな辺鄙な奥の水田まで、安定的な用水が来るようになり、それまでの天気任せの山水用水での水稲栽培は安定的な水管理が出来るようになった。
しかし、埋設配水から10年もしない内に転作が始まり、10a当たり2万円くらいの電気代がかかるボーリング組合は、あっと言う間に解散した



こんな農地や山、畑をどうする~何もしないが一番お金も要らなく、自由な時間も増えるだろう
中山間地農業~農地の維持管理~耕作放棄地対策~これらは、ずっとのし掛かっていて、毎年の様に潰されそうな思いをしている自分が抱える問題だ



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栃木県宇都宮市大谷地下大回廊散策

2014年03月09日 22時00分46秒 | Weblog

2014年2月25日 

実はバス停に降りたときに、レンタサイクルって張り紙はあったかが、それらしき自転車はどこにもない
こんな有名無実な張り紙は~観光客は失望するだけだから、外した方が良いとも思ったが、文句を言う相手も居ない

仕方なく歩きになったのだが、ここ大谷資料館までは1km近くあり、帰りのバスの時間も気にして、重たいバッグを提げて走った

奥まった、元採石採掘現場に『大谷資料館』はあった。
着いた時はもう、14:52だった直ぐに戻らないと、15:18のバスには間に合いそうにない




どうしようか、どうしようか~と迷ったが、でもせっかくだから1本遅らせようと、入場料を払って入った。
読むのは後で写真を読めばいい~パシャパシャしながら、砕石の歴史の展示館を、さーっと覗いた




大谷石の成り立ちを見ると、利用に良い石、悪い石があり、層になっていることがわかった~全部使える訳じゃないんだ



昔、むか~し2000万年も前、その頃は人類もまだ居ない頃の話しです~
周りは全部海で、日本列島はまだ無かったそうな~その頃海底火山活動で出来たのが流紋岩質角(リュウモンガンカクシツ)凝灰岩~それが、大谷石の誕生です




江戸時代中期から手堀りが始まり~機械化される昭和30年以前には、1本80kgもある切石を背負って搬出していたんだ



見たかった砕石道具~やはりこんなので、手掘りしていたんだ
不埒にも、この中で一番興味を持ったのは徳利の『篠崎』
栃木県に篠崎さんは1114人居ると分かったが、地名は見あたらない
東京の江戸川区に篠崎はあるが、焼酎や酒とは関係ない~調べてみると、酒と篠崎が一致するのが、福岡県朝倉にあった
朝倉は穀倉地帯で、古くから日本酒・焼酎があり、株式会社:篠崎が現存していた
http://www.shinozaki-shochu.co.jp/
~それがここに展示とは~今のペットボトルを使い回すように、徳利も水筒に使い回していたんだろう~と働く人の生活を感じた




写真で見ると、砕石の手順が良く分かる~





餅は餅屋、それぞれの職業・作業には、専門用語や道具があるものだ~矢というクサビは、林業の薪割りにも使うので、一緒なんだ



昭和30年代~機械化の始まり~すごく重そうなチェーンソー



柾切りに合わせて、90cm間隔の2本のチェーンソー人力での切立や堀切作業は、手作業の刃づる・両つるの身幅最低3cmの溝が出来るのに対して、1.5cmの溝ロスしかでない~それに、1個につき約3000~4000回打ち下ろす労力に比べたら、画期的な文明の利器に見えたに違いない



露天掘りは分かるが、垣根掘りか~なるほど、天井崩壊防止のために柱を残していくんだ



機械化はされるものの、やっぱり危険で大変な作業だったに違いない



トロッコに乗せて運び出してた様子



14:55になった~急いで、地下回廊に降りてゆく



5mも降りると~ゾワーッと寒くなった
地下の気温は5℃くらいというから、冷蔵庫と同じ




掘り出した石がそのままに展示されていた



広くて堅牢な地下空間は、戦時中は軍事施設として使われていたのだ





階段も至る所にあり、複雑な空間



広い空間は、写真展示館として利用されていた~他にもコンサートやイベント会場として利用されると言う~夏は避暑地になる



深さ30m、広さは2万平米に及ぶという
体積は不明だが、広大な空間がある~気温が一定だから、米が余りだし政府が古米、古々米を抱え出すと~米の備蓄庫として利用していたという




その米を運び入れるトラックが出入りしていた通路との説明があった



奥の奥まで空間は続いているが、証明がないと真っ暗な空間



天井までは10m以上ある~この様な場所が何カ所もあるという~小さな我が家が何百件も入ってしまう





ロケ地としては、『セーラー服と機関銃』や『20世紀少年最終章-ぼくらの旗』で、使われたと言うことだ







昭和54年に近代産業遺産となり、今ではイベント利用により文化芸術の発信がされているという~またの機会があるなら、催し物の時に来たいものだ



ゼオライトは身近な有益物質だ~この岩から染み出すのか



これが、ゼオライトの結晶~綿菓子のようにフワフワしていた
実は僕の郷里は阿蘇火山の火砕流の堆積が厚い地帯がありあり、そこに掘られた防空壕の壁には、このゼオライトが噴出していた



さて、時計を見ると、この時15:24~もし15:43のバスを逃したら、とんでもない事になってしまうので、これから地上まで戻り、それから1kmの歩きを考えたらもう限界
~こんな空間は大好きでもっとじっくり
見ていたかったが、断腸の思いで退却を決断したやあ~充実した大谷景観公園でした

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栃木県宇都宮市大谷観音散策

2014年03月07日 23時16分39秒 | Weblog

2014年2月25日

宇都宮駅から東京行きの新幹線まで、3時間ちょっとフリーな時間があった
栃木県といえば日光東照宮~でも、日光までは行けない

巨石や巨木、また寺院・彫刻が趣味なこともあって、観光パンフで見つけた『大谷(オオヤ)の巨大観音像』を見に行くことにした
JR宇都宮駅から関東バス・立岩行きに乗って25分大谷観音前で降りた。

なるほど、周りには岩があふれている岩~
少し歩いて朱色の建物、板東19番:大谷寺に付いた



門構えは、仁王様が出迎えた



入場料・拝観料を払って、大谷観音堂へ
オオバーハングの岩穴に、お堂が建て込んであった



下から見上げると、覆い被さってきそうな迫力だ



810年に、弘法大師が開いたと言われる大谷寺には



日本最古の石仏である『大谷観音(千手観音像)』があった~霊験にあやかりたくて~お参り



説明によると、完成時には金箔が施され、金色の輝きを放っていたという



通路案内で左手に渡ると、この岩壁にもたくさんの念仏像が彫られていた



4組10体の石仏が丹念に彫られていた



これらは全て、国の特別史跡~重要文化財という~1200年も前の人たちが彫ったことを考えると~感激






ところで、ここの横穴は『洞穴遺跡』で、1965年に11000年前(縄文時代早期)の完全人骨が発掘されている。その当時から、確かに人は住み着いていたんだ




いったん外に出ると、みやげ物のお店が2件あった
どちらも石細工の彫り物が置いてあったが、ちょっと持ち帰る気にならない~



さて、大谷エリアは広い~くりぬいた岩山の切り通しも、凄く迫ってくる物があった






大谷岩は、火山灰の固まった『凝灰岩』だか、僕の住む地域で取れる阿蘇火山の凝灰岩よりも白い~
阿蘇火山は30万年前、大谷は2000万年前の差
たぶん、海底堆積という生成の違いだろう~




いずれにせよ、凝灰岩は岩石としては柔らかく加工がしやすいから、生活に使われるなじみ深い岩
ただ、浸食されやすいから、自然の風雨のノミに削られた奇岩も多い




切り通しを抜けるとでっデカ~ッ
大谷のシンボル『平和観音』高さ27m、胴回り20mの観音像が目の前にそびえる




第2次世界大戦後の昭和23年から取りかかり、総手彫りにより6年の歳月をかけて造られたという



人と比べると大きさが分かる~10階建てのビルくらいかな

左側の階段を登ってみた



間近で、拝顔するとなお、デカイ
この頭の頂点までの岩の固まりがあったという事になる



さて、彫刻が趣味なため、この観音像の白眼がどうして光って見えるのかが不思議だった
ちょっと空中散歩で、正面から撮影~

謎は解けた 黒眼の光彩はくぼませ凹彫り、陰をつくり
そして、瞳孔(水晶体)の白い部分は喉チンコみたいに上から垂らすようにつなげてあった。

ここに、日光が当たり、瞳孔が白く光って見えていたのだ
同じ巨石像のイースター島のモアイ像は、眼球全体が窪んで黒っぽく見えるだけ~作られた当時は、義眼みたいな填め込み式の眼球があったそうだが~
なるほど~大谷の昭和の石工は考えたものだ




さて、時間がない~大谷寺に戻り、弁天堂を急いで散策
まだ、雪が残っていた






白蛇を撫でまくり、ご利益に預かった



周辺には、採掘跡が至る所に~






姿川が御止山(オトメヤマ)を削って出来た、自然の彫刻岸壁が続く~



200mに渡って、岸壁は続いていて、『大谷景観公園』として整備されていた



ああ~ゆっくりしたいが、時間がない~この先に、大谷資料館:地下大空間があるという~きっと大好きな所に違いない~それを目指して走った
その報告は、また次のブログで

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