黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

東の飛鳥・下野薬師寺跡

2021-05-02 17:21:10 | 下野国

ひめちゃんと獅子丸は、第一陣でお散歩に出ました。

タバサねーちゃんと小次郎パパは、第二陣で諏訪神社の向こうの高台目指します。

晴れて気持ちがいいね

パパのシッポも、久しぶりに、少しだけど上がってます

 

榛名山は見えますけど、浅間山は雲に隠れています。

ハイシニアの2人は、ここでUターンです。

ひめちゃんたちは、右折したり、その先を右折したりしてから帰ります。

 

諏訪神社に、黄色い花が咲いています。

今まであったっけ?

 

 

4月はよく栃木県に行きました

4月11日、日光開山の勝道上人が戒を受けたという、下野薬師寺に行きました

google検索と、車のナビで、ちょっと違うルートを示しました

なにせ地理不案内、車のナビに随ってやって来ました。

長い長い道中でした

やっと下野薬師寺歴史館に到着です

かわいいキャラクターがいます。

歴史館で、少し事前学習をしましょう。

 

おじさんが2人、何か話し込んでいます

「こんにちは。」

「こんにちは。」

「どうかしましたか?」

「双子の梅の実だよ。」

「えッ

確かに双子の梅の実です

「この木は、毎年こうなんですか?」

「いや、今年初めてだよ。」

「どうしちゃったんだろう?」

「何かいいことが起きるおしるしだといいですね

 

歴史館では、下野薬師寺について分かり易く解説しているビデオが上映されました。

一応学習したはずです。

たくさんの資料もいただききました

その中で、一番分かり易くまとまった下野薬師寺の説明です

 

今から約1300年前の飛鳥時代後半に、大宝律令の制定に深く関わった下毛野朝臣古麻呂とその一族が「氏寺」として建立した寺が下野薬師寺の創建と言われています。

その後、730年代の天平年間には国立の寺(官寺)として東国随一の巨大寺院に大改修が行われました。761(天平宝字5)には、東国出身で僧になることを目指した優秀な人の受戒の場として「戒壇」が設置され、東大寺(奈良県)・筑紫観世音寺(福岡県)とあわせて「三戒壇」と呼称されました。

その後室町時代に安国寺と改称し、法灯を伝えますが、古代の壮大な伽藍は、中世などの戦乱により灰燼に帰してしまいました。

 

下毛野朝臣古麻呂(しもつけのあそんこまろ)から、さっきのキャラクターこまろが生まれたのですね

 

本も2冊購入です。

子ども向けの本ながら、『下野市の伝説』は、とても情報いっぱいです

 

さて、付近の案内図を確認して、薬師寺跡に行きましょう

歴史館の脇から行きます。

広い

回廊跡の先に天平イメージの復元建物です

 

周辺の案内図もあります。

古墳がたくさんあります。

ここは南河内町、国分寺のあたり国分寺町、下野国府のあたりは栃木市なのです。

南河内町と国分寺町は、今は下野市です。

市名に納得です

 

薬師寺跡の案内図です。

西回廊の突き当たり部分が復元されています。

 

復元回廊から、振り返って回廊跡です。

突き当たりを右に出ます。

何となく、みちのく仙台の陸奥国分寺(むつこくぶんじ)の復元回廊を思い出します

わが第2の故郷は、どうなっているでしょう。

また何時の日か、訪問できる日がくるといいなあ

 

先には、六角形のお堂が見えます。

戒壇院跡だという六角堂です

 

 

(つづく)

 

コメント
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