黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

乙女の瓦窯跡

2021-05-14 22:08:04 | 下野国

ひめちゃんは獅子丸と、岩神沼に到着です。

沼には、いつもいる黒いカモさんです。

 

更に上の新沼まで足を延ばします。

おや、アオサギとシラサギだ

かなりの距離を置いて立ってます、

サギさんたちは、歩いています

 

まもなく、アオサギが飛び出していきました

向こうに、関の摩崖仏の森が見えます

 

 

 

4月28日、日光裏街道近くの住民は、小山市博物館の企画展「日光山と小山」が気になって、出かけました。

以前に訪問したことはありますけど、あまり記憶が定かではありません。

到着したとき、ちょうど小学生の一行がバスで去る時でした。

よかった、密ではありません

写真撮影禁止だったので画像がありません。

入り口にある、この埴輪変わっています。

顔は人間のようであるし、初めて会いました

 

 

今回は、隣の史跡乙女不動原瓦窯跡(おとめふどうはらかわらがまあと)に寄ます

前回は隣にこんな史跡があるなんて全く気づきませんでした。

下野薬師寺や国分寺の文字が見えます。

ここで焼いた瓦が運ばれていったのです

 

建物も復元されています

 

この辺りは土の広場です。

粘土の保管から調合・熟成を経て、生瓦の形成までの作業空間のようです。

 

こちらは、粘土採掘坑跡ですね。

粘土溜跡、工房跡もあります。

屋根の付いた建物は、工房跡だったのです。

 

更に奥は、瓦集積場跡です。

 

丘の下に、屋根が見えます。

炎の広場です。

焼き上がった瓦は、労役に駆り出された人々の手により、一路下野薬師寺や国分寺へと運ばれます。

そうだったんですか

 

1基だけ、平釜構造模型があります。

2基には屋根が付いています。

 

 

奥の2基は屋根がありません。

往時には、ちゃんとあったのでしょう。

4基全体の遠景です。

瓦を焼く煙が立ち上っていたんですね

 

国指定史跡。乙女不動原瓦窯跡の碑です。

本瓦窯跡は奈良時代に下野薬師寺を始として当地域の重要な寺院に瓦を供給した製造所であります。

本窯跡は昭和五十二年の確認調査から四基の窯跡、灰原、工房跡、住居址が発見されています。平成元年の発掘調査により窯は平窯(ロストル窯)で瓦専門の窯であることが分かりました。

 

瓦専門の窯だったんですね

それにしても、乙女という素敵な地名の由来が気になります

 

コメント
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