ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。
二人で同じ所に首を突っ込んで情報収集です。
獅子丸が実家に帰ってまもなくの頃は、危険な行為でした
いつのまにか、群れの一員として群れの仲間として、一緒に情報収集が出来るようになったのです
蕨沢川を渡ります。
橋のたもとのサクランボ、赤くなり始めました。
大きな木にたわわになってます。
サクランボは、川のそばが好きかな?
諏訪神社に向かう途中、まだ白い中央アルプス(?)が見えます。
中世葛塚村からは、はるか遠くの山々が見渡せたのです
神社そばの橋のたもとの、百番供養塔&馬頭観音、草に負けそうです。
桜の実も見えますけど、これは食用にはなりませんね。
ひめちゃんちに、初めてアカシアの花が咲きました
咲きかけの花を天ぷらにしたくて、植えました。
昔一度だけの体験ですけど、アカシアの花の天ぷら、けっこう美味なのです
もう10年くらいになるでしょうか、一度も花が咲きませんでした
油断していました。
ちょっと開きすぎです。
開きはじめで、まだ虫たちがやってこないうちに、収穫しなければ。
でも、花が咲いてくれてありがとう
(4月16日)下野国分寺跡から、東に移動です。
交通整理をしています
かなりの人の出のようです
なんとか指示された駐車場に入ます。
観光バスは入れないようになっていました。
たぶん、ここにツアーのバスでやって来たのでしょう
人の波に随って、歩き始めます
道の反対側は、史跡下野国分尼寺跡でした。
とりあえず人の流れに随って移動です。
あれッ、この風景記憶にあります
このあたりにお店がいくつもありました。
今日は一軒だけのようです。
八重桜が満開です
「天平の丘公園」の説明板があります。
1300年ほど前の奈良時代、当地域は、東山道が通り、国の中心の行政施設である下野国府、東国の仏教中心施設下野薬師寺、さらに下野国を守護する下野国分寺・尼寺がこの地に配置され、当寺、下野国内の政治・経済・文化の中心地として発展し多くの人が住んでいました。
時が流れ、新たな武士の時代に変わり、政治・経済の中心が変わったことから当地は忘れ去られ、平地林や田畑として使用されていました。昭和30年代、工場用地として平地林が切り開かれ、造成が始まったところ、それまでどこにあるか特定されていなかった尼寺が発見され、即座に保護、調査態勢が整えられ、発掘調査の結果、昭和40年に国史跡に指定され、全国で初の国分尼寺として、史跡整備が行われました。しかし、史跡公園の周辺は依然として雑木林、そこにはごみが捨てられ、ごみがごみを呼んでしまいました。これに苦慮した旧国分寺町長若林英二氏は、せっかくの史跡公園がこれでは無惨と薄墨桜や八重桜を植え、尼寺の花まつりが始まります。
国分尼寺として最初の国史跡だったのです
薄墨桜や八重桜を植えて、史跡公園として、花まつりが始まったのですね
たぶん、花まつりの季節、今頃バスツアーで寄ったのでしょう
花盛りです
八重桜もツツジも、満開です
「しもつけ風土記の丘資料館」です。
リニューアルのために休館中です。
残念
またそのうちに来ましょう
桜の花びらのジュウタンといった感じです
下野薄墨桜の説明です。
ちょっと遅かった。
八重桜より早い開花なのですね。
天平の丘の桜は、薄墨桜から八重桜まで、少し長く楽しめるのです。
尼寺跡は、国分寺跡と同じように、静かでした。
ここは下野(しもつけ)市、東の飛鳥・天平の丘公園です
駐車場の南にも、天平の丘公園は広がっています。
(右が北です。)
そのうちに、ゆっくり歩いてみましょう