今朝は寒さが和らぎました
ひめちゃんと獅子丸は、堀之内の北をお散歩です。
おや、小次郎パパとタバサねーちゃんがやって来ます。
タバサねーちゃん、何かおねだりしてるみたい?
穏やかな冬の光の中、堀之内の西を歩いて戻ります。
赤城山の雪も少なくなっています。
昨日、ひめちゃんと獅子丸は、関の摩崖仏の手前、新沼&童沢貯水池まで行ってきました。
その帰り、見慣れた庚申塔ですけど、人名が見えます
相應寺僧快?書かな
相應寺、聞いた事ありません。
ここら辺にあった廃寺かな?
常広寺で以前にもらった、「南勢多郡の廃寺」(群馬県勢多中部仏教会、平成23年、内田憲治)という小冊子を広げます。
あれ、ありません
無住になっているが宗派を同じくする寺院の僧侶が兼務している寺の1つに、相応寺があります。
山上字天笠南の新義真言宗豊山派里尾山相応寺は、関字中通の瀧興寺が兼務しているとあります。
ちょっと確認です。
地図には出ていません。
グーグルのストリートビューでだいたい見当を付けて、訪問です
門柱等はありませんけど、お寺です。
階段を上がってすぐ、個性的な六地蔵がお出迎えです
参道の左側は、墓地です。
とりあえず本堂を目指します。
参道に牡丹の苗木が植えられています
牡丹寺目指してるかな?
本堂は新しいようです。
本堂に相應寺の額が懸かってます。
隣に民家のような建物があります。
その前に、蚕影山神社があります。
境内の石造物を確認です。
元文元年(1736)の文字が見えます。
かなり古い五輪塔です。
中世の遺物かな?
立派な五輪塔群です
ちょっときつすぎかな?
いろいろな石造物が所狭しです
延享二年(1745)、幼くして亡くなった女の子の墓標です。
合掌
入り口の右側の灯籠に、寛保2年(1742)とあります。
墓地分譲中の看板の東にも石造物です
往時は、境内はもっと広かったのでしょう。
念のため、『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』(上毛新聞社 平成13年)を開いてみました。
ありました
所在地 勢多郡新里村大字山上495
山号院号寺号 里尾山長寿院相應寺(さとおざんちょうじゅいんそうおうじ)
宗派 真言宗豊山派
同書によると、
この三度の火災で寺の文書、本尊、寺宝類のすべてを焼失し由緒等は不明である。加えて再三の火災で有力檀家が離檀し、さらに衰退を早めた。
摩崖仏のある関の瀧興寺が兼務していたのですね。
でも現在はその瀧興寺も無住で、別のお寺が兼務しているようです。
この相応寺の住職が、関の摩崖仏への道の巨大な庚申塔の文字を書いたのは、どうしてでしょう?
(つづく)
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