タバサねーちゃん、お出掛けです
お部屋(サークル)のドアーを開けてもらって、車に飛び込みました。
あれ、何処へいくんだろう?
かなり不安です。
不安は的中です。
行き先は、動物病院でした
順番待ちで、お外で待ちます
でも、お出掛け楽しいね
よい子でワクチン接種できました
相應寺からどのような道を辿って、あの巨大な庚申塔まで行ったのでしょう?
目的地は、ほぼまっすぐ北です。
とりあえず、今はあの踏切を渡るしかなさそうです。
踏切を渡ると、県道3号線です。
少し行って、旧の県道3号線に入ります。
かなり本格的な青面金剛です。
どうしてここにおいでなのでしょう?
ポツンとお一人様です。
ここから細い道ですけど、北上してみます。
民家の垣根にさりげなく庚申塔です
次の交差点に道標があります。
「西 月田・稲里・馬場」です。
あれ、馬場は日光裏街道の宿場でしたね
「北 関・板橋・梨木」です。
北へ行きます。
次の交差点角に、真新しい庚申塔です。
そのまま北上すると、字天神の田んぼになります。
石造物はなさそうなので、東に曲がってから北上します。
途中、町組という場所のパワースポットです
都合により、車の中からの撮影です。
あの白い塀の向こうがさっきのパワースポットです。
道標があります。
北 板橋・赤城かな?
近くに、巨大な道祖神です。
これまた巨大な庚申塔
残念ながら、どちらにも銘は確認できません。
直進して、庚申塚古墳です。
石造物がいっぱいです。
双体道祖神もあります。
更に北上して、後閑(ごか)の薬師堂です。
お堂の中の薬師様は、石仏です。
また、北上します。
紆余曲折して来ましたけど、もうすぐ関の摩崖仏です
沼の下の巨大な庚申塔です
墓地もあって、石造物もあります。
薬壺を持った薬師如来です。
その隣は、いかにも古そうな石です。
新沼&童沢貯水池を脇目に、鏑木川にかかる不動橋を渡ります。
鏑木川を不目で移動するようなイメージの山神様です。
橋を渡ると、関の摩崖仏です。
摩崖仏の前に、不動明王像です。
関の(滝沢不動尊の)前不動堂なのです。
滝沢不動尊までの距離が74丁なのですね。
瀧興寺は江戸時代中期から滝沢不動尊の管理を室沢村とも間で交わしていた。尊盛は住職を尊英に譲り滝沢不動尊の守護に力を入れた。天明三年(1783)に焼失していた不動堂を再建しそれを記念して丁杭を立てた。(『ぐんまのお寺・真言宗Ⅰ』)
初めは、この丁杭の意味がわかりませんでした。
滝沢不動尊まで行ってきて、やっと丁杭の意味がわかりました。
ここを経由して、滝沢不動尊に行っていたのです。
前掲書によれば、ここは瀧興寺(りゅうこうじ)の持ちとあります
不動明王像があるのもやっと納得です
そばの鏑木川に架かる橋が、不動橋なのも納得です
相應寺からの人々も、ここを経由して滝沢不動尊に行っていたかも知れません
前掲書に寄れば、相應寺が隆盛をきわめるのは、丁杭が設置されてから少し後のようです。
先輩格の瀧興寺に影響を受けていたかも知れませんね
昨日の瀧興寺です。
ロウバイの花が咲きそうです
今はこの寺も無住です。
ちょっぴり悲しい、滝沢道七十六丁目の丁杭でした
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