黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

インド紀行 8(スジャータの村と尼蓮禅河)

2020-02-24 22:20:35 | インド紀行

ひめちゃんちには、梅が4種類あります。

南高梅、小梅、果肉の赤い梅、紅梅です。

そのうち、3種類は実がなります。

今玄関を飾っているのは、実のならない紅梅です。

この梅の木は、染料にしようと植えたものです。

ある時期、草木染めにはまってました。

ジョイフル本田の染色教室に通いました。

普通、梅は茶色に染まるものです。

ところが、茶色味がかったピンクに染めた人がいたのです

紅梅で染めたのだといいます。

早速、紅梅を植えました

剪定した枝で染められるようになるまで、長い年月かかります。

そうこうしているウチに、ジョイフル本田で、黒柴三四郎に会ってしまったのです。

三四郎は、2000年の秋、生後2ヶ月で我が家にやってきました。

黒柴ライフが始まって、いつの間にか黒柴家族が増えて、てんやわんや

草木染めどころではなくなり、紅梅は飾るだけになってます。

そのうちに、染料として利用したいとは思うのですけど。

 

 

2月11日の朝、マハーボーディ寺院から、スジャータの村に向かいます。

スジャータの村は、市販のガイドブックの地図だと、マハーボーディ寺院からネランジャラー河を挟んだ北東の方角にあります。

添乗員さんの旅の記録によると、

7:50 スジャータの村

スジャータはバラモンの娘で、男子に恵まれるよう、毎日ガジュマルの木に祈りに来ていました。ある日、樹下にて瞑想を行ブッダに出会い、樹の神だと思い、乳がゆを捧げました。苦行に力尽きそうだったブッダはこうして活力を得て、苦行は無意味だ中道だと気づき、悟りを開きました。今回はスジャータの村に記念して建てられたストゥーパを見学しました。

 

静かな史跡のようですけど、バスが着いて団体さんが降りていきます。

ここも、仏教徒にとっては、ぜひ訪れたい場所なのですね

 

スジャータって、日本の乳製品の商品名にありましたね。

お釈迦様に乳がゆを捧げた女の人の名前なのですね

 

 

慌ただしくバスにもどり、尼蓮禅河(ネランジャラー河)の確認に向かいます。

添乗員さんの旅の記録によると、

8:05 尼蓮禅河・にれんぜんが(ネランジャラー河)

悟りの為に苦行はいらないと確信したブッダは、五比丘(5人の弟子)を置いて、一人前正覚山を降り、この河で沐浴しました。橋ができたのは1997年で、それまでは歩いて河を渡っていました。今回は河に水はありませんでした。

雨期には水の中を歩いていたのですね

 

このあと、朝食だけ取りに、ホテルに戻りました。

「乳がゆ」がありました

 

慌ただしく朝食を済ませて、ベナレスめざして、約8時間のバス移動となりました。

途中の風景をピックアップです。

 

16世紀に造られたインド一長い国道を通ったそうです。

 

とにかくトラックがいっぱいです。

 

小さなシラサギがいっぱいです。

 

料金所です。

 

バイクの2人乗りは、珍しくもなんともありません。

2人どころか、もっと多人数の場合も。

 

たくましく空間を利用して、商売商売

 

懐かしい形の橋です

 

国道の道ばたとは思えない風景

 

こちらも、国道の道ばたには、ミスマッチに見えます。

 

おトイレ休憩で、よったGSです。

男の人達は、原則青空トイレだったようです。

 

大きな河です。

乾期なんて関係ないようです。

 

絶妙のバランスで、竹を運んでます

 

ベナレスに着き、乗用車に分乗して、ガンジス川に向かいます。

この時の乗用車は、TOYOTAでした。

でも、インドで一番多いのは、SUZUKIだそうです。

 

 

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インド紀行 7(悟りの地を証明・アショーカ王の石柱)

2020-02-24 15:28:08 | インド紀行

穏やかな朝でした

ひめちゃんと獅子丸は、いつものように、堀之内を北に出ます。

赤城山も春の雰囲気です。

一番東の峯のみ、少し雪ががあるようです。

あそこには、粕川の源流・小沼がある関係で、よく雲が懸かってます。

もっと暖かくなったら、小沼の周辺も歩いてみましょう

 

 

マハーボーディ寺院の境内を歩きます。

マハーボーディ寺院は、添乗員さんの旅の記録に寄れば、

紀元前3世紀には、アショーカ王がここを訪れました。インドから仏教がすいたいした13世紀、アフガニスタンのバクテイヤール・ハルジー率いるイスラム軍が北インドに攻め入り、仏教・ヒンズー教・ジャイナ教の寺院や仏像・神像の破壊活動を行いました。その時わずかに残った仏教徒が、この寺を土で覆い、小高い丘に偽装して破壊から守りました。そして、19世紀に入り、イギリスのカニンガムが発掘しました。

600年も、土の中に埋もれていたんですね

それにしても、こんなに高い建物を覆う土は、ものすごい量が必要です。

どうやって調達したのでしょう

人力もわずかの仏教徒では足りないでしょう

 

境内のあちこちに修行者です

靴も靴下もはいてる

 

池があります。

ナーガに守られたお釈迦様がいます。

ラオスで、よく見かけた形です。

お釈迦様が沐浴した池ということでしょうか?

 

現地ガイドのクマルさんの説明があります

「これが、3世紀にアショーカ王がやって来て建てた石柱です。ここに刻まれた文字によって、お釈迦様が、ここで悟りを得た事が、証明されるのです

目をこらすと、下の方に文字があるようない気がします

 

修行者(?)がいっぱいです。

マリーゴールド、大活躍中です

 

瞑想中(?)の人もいます。

犬も瞑想中?

こちらは、菩提樹の木の下で、本格的に瞑想中?

僕も瞑想中です

なんとなく、ひめちゃんたちの大先輩、17歳で天寿を全うした黒柴三四郎を思い浮かべました

三四郎、天国でどうしてるかな?

 

白衣の集団もいます。

 

ここは、多くの人々にとって、信仰の聖地なのです

 

バスに戻り、スジャータの村に向かいます。

スジャータは、お釈迦様に乳かゆを捧げたということで、有名です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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インド紀行 6(お釈迦様が悟りを得た地・マハーボーディ寺院)

2020-02-23 16:03:52 | インド紀行

昼間、すさまじい赤城おろしが吹きまくりました

風に向かって走ろう

ひめちゃんと獅子丸は、七海ママの昼散歩に付き合いました。

風に向かって走った子は、みんな機嫌良く元気に帰ってきました

 

 

 

インド2泊目は、ブッタガヤのホテルでした。

朝6時にホテルを出発して、お釈迦様が悟りを開いたとされる所に建てられた、マハーボーディ寺院に向かいます。

2002年に、世界遺産に登録されたそうです。

 

さっそく、犬も親子のお出迎えです

 

空には、ありあけの月があります。

でも、もうすごい人出です

 

華やかな空間です

 

お釈迦様が悟りを開いた場所に案内してもらいます。

あの右側の金色の台のあたりらしいです。

あのあたりが、お釈迦様がすわった場所、金剛座 Diamondo Throne のようです。

これ以上近づけません

雰囲気で納得

たくさんの人が詰めかけ、長居できません。

 

現在の時刻は、午前6時48分です。

金剛座の上に、大きな菩提樹が枝を広げています。

祈りを捧げる人々で、いっぱいです。

生花がこんなにもたくさんあがっているとは

マリーゴールドがこんなにも、仏教と縁の深い花だったとは

たしか、靴を脱いで参拝したと思います

 

本堂の建物も、仏様の彫刻でいっぱいです

 

あたりをキョロキョロしながら、人波に従って進みます。

少年の托鉢集団です。

裸足ですね

リーダーというか、引率者というか、マスクをしています

あずき色の僧衣なので、チベットのお坊さんでしょうか?

あちらにも、あずき色の僧衣お坊さんです。

 

ほんに仏の彫刻だらけです

 

やっと本堂の入り口に来ました。

金色の仏に、合掌

旅の安全をお願いします

 

 

 

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インド紀行 5 (お釈迦様が冬を過ごした霊鷲山)

2020-02-21 20:58:35 | インド紀行

ひめちゃんは獅子丸と堀之内を北に出ます。

後ろから、タバサねーちゃんとののこねーちゃんが、おとうさんを連れて追い越していきます。

ののこねーちゃんは、人間だと末期がんの状態です。
お医者さんは、「あとは痛み止めの注射だけです。」といいます。
やせ衰えながらも、しっかり食べて、しっかり歩いています。
ひめちゃんとの「ののしりあい」も、生きる張り合いのようです。
もうしばらく、生きられそうです

赤城山には薄い雲がかかってます。

この道路の向こうが、堀之内です。

菜の花は、みんなが大好きなアブラナではなく、小松菜か何かのようです。

 

 

 

添乗員さんの旅の記録によれば、霊鷲山(りょうじゅせん)は、

35歳で悟りを開き、その後亡くなるまでビハール州とウッタル・プランテーシュ州で説法を続け、冬は多くこの山に留まりました。香堂が山頂にあり、そこから岩が鷲のように見えます。約30分かけてのぼりました。あたりは自然がたくさん残ってます。

 

ウイキペディアによれば、

釈迦仏が在世した当時では、マガダ国の首都だった王舎城(ラージャグリハ)の東北、ナイランジャナー(尼連禅河=にれんぜんが)の側にある小高い山である。

この山は長らくの間、場所も忘れられていたが、1903年(明治36年)1月14日朝、大谷光瑞率いる第1次大谷探検隊が朝日に照らされたこの山を仏典上の霊鷲山と同一と確定した。

 

そうなんですか

忘れられていたんですね

 

早速のサルのお出迎えです。

 

人波に押されて上り始めます。

早くも犬の親子に遭遇です。

たくましく生きているのですね

 

「ゼイハア、ゼイハア」かなりの山道です。

モノレールがありますけど、行先は違う峰の日蓮宗のお寺とか。

自然に牛がいます。

おじさんたち何してるのかな?

 

かなり上ってきました

 

「霊山橋」とあります。

いよいよ、聖なる世界のようです。

 

少し行くと、聖なる場所がありました。

金箔はお金持ちが来ると、つけていくのだそうです

静かに合掌

 

まだまだ、先がありそうです。

ここもだれかこもったのかな?

 

さらに上ります、「ゼイハア、ゼイハア

華やかな世界になりました。

 

ここにもだれかこもったようです。

この岩の向こうに回り込みます。

 

やっと頂上です

霊山の雰囲気満点です

みんな靴を脱いでます

聖なる場所なのです

日本のお坊さんのようです

込み合っているので、無理をせずに退散です。

 

同行者と、「鷲の岩はどれかしら?」と話していると、「あれですよ。」と日本語が聞こえます

確かに鷲のように見えます

彼は、ポストカードセットを売ろうとしています。

5冊で500ルピーだといいます。

「階段ですよ、気を付けて

また、「階段ですよ、気を付けて

 

同行者のK氏に、「500ルピーって、いくらくらい?」

「780円くらいです。」と、計算してもらいました。

 

空港で現地ガイドさんに両替してもらった封筒を出します。

500ルピー1枚渡して、ポストカードセットと交換です

初めてルピーを使いました

お札の画像は、当然ながらガンジーです

 

それにしても、彼は日本語をどこで覚えたのでしょう?

必要で覚えたのでしょうね

日本人はたくさん来ているのかな?

 

また、バスに揺られて、ホテルに着いたのは、現地時間午後7時半過ぎでした。

本当に、朝6時にホテルを出て、夜8時にホテルに着く旅のようです

 

 

 

 

 

 

 

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インド紀行 4(初めての仏教寺院・竹林精舎)

2020-02-20 19:33:34 | インド紀行

ひめちゃんは獅子丸と、堀之内を北に出て、お散歩しました。

今朝の赤城山は、なんとなく春めいてやさしそうでした

ふたりは、都合で昼散歩も一緒でした。

寒いけど、春の足音がしてます

馬酔木(あせび)も咲き始めました。

昔、「馬酔木の森に...」という歌がありました。

この馬酔木の木は、もう20歳は過ぎていると思います。

馬酔木の森になるには、はるかな時間がかかりそうです。

 

 

 

ナーランダ大学跡の後に(七葉窟を遠望してから)目指したのが、竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)です。

竹林精舎は、仏教で初めて建設された寺院だそうです。

初期の竹林精舎は、雨期に出家者が移住するための掘っ立て小屋だったといいます。

釈迦は、雨期には竹林精舎にいたといいます。

 

物売りのおじさんもいます。

インドの観光地は、どこもこんな人がいます。

片言の日本語も聞こえます

 

ゲイトをくぐると、別世界です

日本で見かける竹と種類が違うようです

 

大きな池が見えます。

整備中のようです。

 

どこからともなく現れて、同行する犬です。

しばらく同行しました

 

池の周りを廻るように進みます。

大きな仏様が出現しました

新しいのでしょうか?

こちらは、あまり人がお参りしていませんでした。

 

向こう岸は沐浴場のような感じです。

 

今度は金色の仏様です。

こちらは、みなさん靴を脱いで礼拝してます。

 

池にはアヒルがいます。

 

堂宇かな?

金色の仏像が安置されていました。

 

このあたりは、王舎城(ラージギール)で、古代マガダ国の都だったそうです。

竹林精舎は、お釈迦様の説法に感激したビンビサーラ王が竹林園を寄進し、同じく感激したカランダ長者が精舎を建立したということです。

この地で有力な帰依者を得たことが、仏教の発展につながったそうです。

 

 

このあと、「王舎城(ラージギール)の悲劇」として有名な、ビンビサーラ王の牢獄に向かいました。

グレーの牛がいる

インド国旗をなびかせて、乗り合い馬車です

ビンビサーラ王の牢獄の後、釈迦が冬は多く留まったという霊鷲山(りょうじゅせん)に向かいます

 

コメント (2)
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