黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんのお彼岸の常広寺参拝記

2021-03-18 20:29:30 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ます。

西出口付近にの草むらで、道草です

たぶん、この草むらまでが堀之内、この南は塚越だと思います。

昔の道はまっすぐではありませんでしたから、この草むら前、椿の落花のあたりを道が走っていたのでしょう。

堀之内の西出口からの風景です。

浅間山は、まだ白いです。

獅子丸は、道ばたの紫ナバナの中にアブラナを発見、食べ始めます

しっかり食いちぎってお持ち帰りです

なぜ、こんなにアブラナが好きなんでしょう

 

 

 

お彼岸です。

さあ墓参りに行こう

ひめちゃんちの人間のお墓は、昨年、常広寺の内墓地に引っ越しました。

タバサねーちゃんは、初参りです

 

まず、開基本橋院殿供養塔の花を取り替えます。

華やかな方がいいので、ひめちゃんちで咲いた水仙もいっぱい持ってきました

ちょっと余ったので、隣の六地蔵さんにおすそ分けです

 

龍神堂の脇を通ります。

常広寺には、近江商人・田中藤左衛門が持ってきた竜骨があったのです

そしてその竜骨には、発見の由来を記した「竜骨伝記」が添えられていたのです

 

タバちゃん、おとうさんと足並み揃えて、奥の墓地に上ります。

 

タバちゃん、五輪塔前で、はいポーズだよ

この間まで全く草などなかったのに、草が気になります

 

あれ、六地蔵幢です

ここらへんの古い石造物も、そのうちにしつこく探索してみましょう

 

赤城山が見えます

北には、僧・常広の庵があったという、常広坊の丘が広がってます

さあ、戻りましょう。

今度は、草刈り鎌を持ってこなくてはね

 

龍神堂の裏には、竹林が広がってます。

おいしい筍(たけのこ)が出そうです。

待ってまーす

 

さあさ、本堂にも参拝ですよ

 

本堂前で、合掌

 

本堂脇には、道元禅師です。

ここは曹洞宗のお寺です。

開祖は道元禅師ですね。

合掌

 

お隣は、一葉観世音菩薩ですか

頭上に化仏がおいでです。

合掌

 

庫裏にもちょっとご挨拶です。

庫裏前に、背中に荷物をしょった珍しい石造物です。

旅の俳諧師のように見えますけど

 

タバちゃん、ちょっと待っててね

人間は、和尚さんたちと、6月6日の郷右衛門忌(開基・本橋院殿の命日のイベント)について、少し話しました。

昨年は、「やったつもりの郷右衛門忌」でした。

でも、当日何人もの方が、参拝してくれました。

 

本堂前の桜の古木、桜の芽が膨らんでます

咲いた頃、また来ましょう

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和の水仙が似合う峯薬師

2021-03-17 19:03:04 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、東の牧場のヤギさんに逢いに行きます。

県道を渡ってすぐの路地に、道標があります。

本来はこの細道が幹線道路だったのです。

道も少し行くと消えています。

たぶん鏑木川沿いに上ってきた道だったと思います。

今は、まっすぐな県道だけが存在感があります。

 

牧場の東に行きます。

ヤギさんいるかな?

ヤギパパとボクだけです。

ちょっと寂しいけど、現実だね。

ボクの瞳は、何かものを言っています。

バイバイ、又来るよ

 

ひめちゃんたちは、さらに上のタケイ沼を廻ります。

沼は一見静かです。

と思いきや、カモさんが岸から湧き出てきました

この沼は鯉の養殖が行われていたことがあります。

中央の管理小屋が合ったあたりに、大木が残ってます。

今朝は何かいます

鋭いくちばしが見えます

ハンターだね

一瞬落ち葉と見まごう羽です

ノスリかな?

 

サマンサ坂を上って、鏑木川に架かる大山橋を渡って帰ります。

鏑木川には、すぐ隣に新大山橋も架かります。

現在では、あちらがメインです。

 

砂防指定地の掲示です。

県道・梨木香林線が、新大山橋を通って、少しまっすぐになったのです。

現代はまっすぐな道が好まれるのです。

 

 

 

タバサねーちゃんと善昌寺を参拝したとき、峯薬師(みねやくし)も通りました。

でも、駐車スペースが見つからなくて、参拝は諦めました。

後日、出直しです

お堂の裏に、善昌寺からたぶん続いている細道があって、その傍らに駐車出来ました

 

大分前に、参拝したことがあります。

相変わらずの、落ち着いた茅葺きのいい雰囲気です

善昌寺・峯薬師のポールがあります。

火気厳禁、そうですね。

 

こんにちは、お久しぶりです

あれ、ここにもなぜか、新田氏の大中黒ですね

新田生まれの人間には、なぜここに大中黒の紋があるのか理解できません

 

まあとにかく合掌

石仏の薬師如来なのですね。

右の仏様は、なんとも不思議な形です。

どなただろう?

あッ、そうだ、お首がないんだ

なんということでしょう

ここでも、あのいまわしい廃仏毀釈の犠牲になった仏様がおいでだったのです。

薬師様と一緒に悪病退散お願いします

合掌

 

さて、趣深い堂宇を見ながら、帰ります。

和の建物に、和の日本水仙が似合います

 

いい感じ

善昌寺→に随って来ると、この薬師堂に突き当たるのです。

何か由緒がありそうだけど

 

お堂の裏のこの道が、たぶん善昌寺境内からの道だと思います。

水仙が咲いています

和の水仙が似合う空間です

 

 

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白柴タバサちゃんの善昌寺参拝記(『念仏往生伝』の記憶を訪ねて)

2021-03-16 20:52:13 | 群馬県・旧勢多郡

朝、ひめちゃんは小次郎パパと、堀之内の北の方を歩いてきました。

菜の花が満開です

菜の花パパです

ひめちゃんは、菜の花に近寄ってくれません。

ちょっと離れた、菜の花ひめちゃんです

 

 

 

新光太平山妙珠院善昌寺は、現在は桐生市新里町新川にあります。

 

長楽寺文書の中に、「沙彌道羸寄進状案(しゃみどうるいきしんじょうあん)」があります。

「沙彌道羸寄進状案(しゃみどうるいきしんじょうあん)」に上野国山上保窪井村とあります。

中世、善昌寺は山上にあったのです。

そして少し時代は遡りますけど、あの『念仏往生伝』の著者・行仙上人が住んでいた、窪井の本坊も近くだと思われます。

上野国山上保窪井村の善昌寺に、『念仏往生伝』の記憶を訪ねて、タバサちゃんと久しぶりに行ってみよう

 

あれ、門柱の付近が華やかになっています

 

階段下に駐車です。

タバサねーちゃんも、階段を登ります

階段脇に、お地蔵様と六地蔵幢です。

あったっけ?

反対側にも、六地蔵幢です。

あったっけ?

後ろの方が気になります。

赤ちゃんを抱いているような感じを受けます

 

早くいこうよ

真っ赤な山門があります

こんなに真っ赤な山門だったっけ?

タバちゃんは、軽くジャンプして通過です

「新田義貞公墓、新田義宗公墓」ですって

新田郡出身の、ひめちゃんちのおかあさんには、どうして新田義貞の墓がここにあるのか、全く理解できません

でも、新里のお年寄りは、「新田義貞は善昌寺にいかってるんだ(埋葬されているんだ)。」と普通に言います

息子の義宗の墓もあるんですか

知りませんでした

 

まずは、本堂で参拝です。

合掌

 

脇に古い石造物が積まれています。

りっぱな墓石や僧形の墓石も無造作に積まれています。

でも、赤い帽子やオガケで、みなさん少し元気になったみたい

中央の大きな方はどなたでしょう?

蓮華座の上に座って、往生印を結んでます。

合掌

 

さあ、奥の新田義貞の首塚へ行きましょう

タバサねーちゃんは、階段を一段一段踏みしめて登ります。

 

覆い屋の下が、新田義貞の首塚です。

おや、左に大きな碑があります。

あったっけ?

 

 

ちょっと読みにくい

なんとか読み取ってみましょう。

・大同元年に伝教大師の天台宗伝道教団がやって来た時に開山

・新田義貞公とも縁が深い・・・内室の父は舟田善昌

・義貞は、鎌倉攻めの時に武運長久を祈って、阿閼井皇水を汲んで軍神を祀った

・新田義貞が討ち死にした後、舟田善昌は、京都に人を派遣し勾当の内侍の侍女を使って首を手に入れ、善昌寺に埋葬する

・その他家臣団の墓も建立した

よく見えませんけど、こんな所かな?

そうだったんですか

知りませんでした

 

あれ、そばにある新里村指定重要文化財のポールは、「善昌寺の五輪塔群」です

「新田義貞の首塚」ではありません

五輪塔群の覆い屋の脇に、ひっそりと「阿閼井皇水」とあります。

新田義貞は、ここの水を軍神に捧げたのですか

知りませんでした

 

こんにちは

中央の一番大きいのが、新田義貞の墓ということでしょう。

合掌

一応完全な形は、これ1基だけかな?

 

みなさん、かなり古いですね

なんとなく鎌倉時代の雰囲気です

タバちゃんと、大きさくらべです。

タバちゃんは、標準的な柴犬の大きさだと思います。

新田義宗の墓はわかりません

 

でも、この付近なんとなく鎌倉時代に書かれた唯一の往生伝、『念仏往生伝』時代の雰囲気です

 

更に奥の墓地や石宮群も歩いてきました

お出掛け、楽しいです

階段を前向きに降りて帰ります。

タバサねーちゃん、この夏お誕生日がきたら、13歳になります。

タバサねーちゃん、まだまだ若いもんに負けません

 

善昌寺の由来が舟田善昌の善昌でないとすると、善昌ってだれだ?

『念仏往生伝』には禅勝上人(ぜんしょうしょうにん)の往生伝があり、浄土宗関係の書籍にも禅勝上人はよく出てくるようです。

善昌(ぜんしょう)と禅勝(ぜんしょう)、まあ関係ないでしょうけど、ウーン気になります

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巨大な石棺にこんにちは(綿貫不動山古墳)

2021-03-15 16:53:02 | 群馬県・中毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

小次郎パパとタバサねーちゃんが追い越して行きます。

今朝の赤城山の地蔵岳は、頂上が冠雪しています

 

 

群馬県立歴史博物館で、剛志天神山古墳の犬埴輪に逢ったあと、近くの不動山古墳に寄ります。

博物館には、ここから出土した大きな円筒埴輪がありました。

 

実は昨年の2月、ここを訪れています。

博物館の講演会を聞きに来ましたけど、コロナ禍の為に中止でした。

付近をウロウロしながら帰りました。

残念ながら、カメラを忘れて映像はありません。

でも、博物館で大きな円筒埴輪をみて、寄った記憶がよみがえりました。

 

古墳東の空き地(?)に駐車です。

大きなお地蔵様が見えます。

こんにちは

去年お目にかかったはずですけど、記憶にありません。

初めましてで、よろしく

念仏供養とあります。

地域の人びとが、念仏を称えて祈りを捧げたのですね。

どっしりとたくましいお地蔵様です。

落ちている赤い椿1輪、はかなく美しい

 

墳丘上にお堂があります。

 

参道の階段左に、説明板です。

上州綿貫不動尊です。

御利益は開運・厄除、火伏ですね

舟形石棺があるのですか

記憶にありません

去年寄った時は見ていないのでしょう。

「山までは見ず」で帰ってしまったのでしょう。

 

階段途中に、図入りの説明板があります。

古墳時代の五世紀後半に造られた前方後円墳です。

全体の墳形がよく残っており、まわりに濠もまわっていたことが分かります。西に前方部、東に後円部があり、北側のくびれ部には、方形の造り出しを作ってます。

後円部の上に後の時代に不動尊をまっていることから不動山古墳と呼ばれています。

後円部は造られた時より、大分削平されているようで、舟形石棺の身部が残されています。蓋は不明です。おそらく後円部に遺骸を納めた主体部があったのでしょう。

 

石棺は掘り出したというより、元の位置の土がなくなって出現したということかな?

 

不動堂で参拝です。

合掌

 

さて、お堂の裏に回ります。

ありました、こんにちは

大きいです

巨大です

何人かが一緒に眠れますね

合掌

去年は、どうして気づかなかったのでしょう

カメラを忘れたので、気もそぞろだったのかな?

 

傍らには、首のないお地蔵様が

合掌

 

入り口を護る大きなお地蔵様の背中を見ながら帰ります。

赤い椿の落花、そこはかとない哀愁を誘います。

 

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(剛志天神山古墳)犬埴輪に逢いに

2021-03-13 14:39:21 | 群馬県・中毛

降りしきる雨の朝です。

ひめちゃんは、ビンボーカッパでお散歩です。

雨にも負けず歩きます

 

庚申塚古墳を廻って、帰ります。

双体道祖神、今朝はしっかり手を握り合っています

 

七海ママのお墓は、無事でした

近くに、まるでピチピチギャル「ななちゃん」のような椿が開きました

 

 

 

群馬県立歴史博物館の「新・すばらしき群馬のはにわ」展に行ってきました。

お目当ては、(旧境町)剛志天神山古墳出土の犬埴輪です。

 

やはり太田塚廻り古墳出土の彼が、中央にいます。

左にある鳥埴輪が、剛志天神山古墳出土の鶏です。

犬埴輪と一緒に出土しています。

一緒に展示されると期待してます。

 

予約時間に無事入館できました。

平日なのに駐車場は混雑していましたけど、博物館の入場者は多くはありませんでした。

 

まず、塚廻り古墳群のはにわたちです。

やはり、彼が目立ちます

本物は文化庁蔵ということで、里帰りはしていないようです。

 

当時最速の乗り物だったという馬、最高級の馬具に飾られています

 

さてさて、お目当ての犬埴輪は何処に?

東京国立博物館から里帰りしていたのは、家形埴輪や武人埴輪など8点でした。

犬埴輪は帰ってきていないようです

 

犬埴輪は何処に?

ありました

なんと出口近くです。

逢えて良かった

でも、なんとなく目が違う

 

後ろを振り向くと、剛志天神山古墳の鶏です

当館蔵ですって

ええッ、どうして鶏さん置いて行かれたの?

 

剛志天神山古墳の埴輪の出土状況は、『犬の考古学』(かみつけの里博物館)にあります。

 

鶏は中央に、犬は3頭いたのです。

そして、犬埴輪の写真です。

今回の子と比べると、目がちょっと違うかな?

他の部分は、よく似ていますけど。

 

こちらは、かつて日本犬保存会会報表紙を飾っていた、「剛志天神山古墳出土の犬埴輪」です。

これは本物の写真です

 

ちょっとこだわりの、犬埴輪観察でした

 

不動山古墳の円筒埴輪、大きなみごとな埴輪も展示されています。

不動山古墳は、すぐそこです。

寄って行きましょう

 

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