黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんのカタクリの花を訪ねて

2021-04-11 20:09:10 | 群馬県・東毛

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て、天神田(字天神の田んぼ)を歩いてきました。

タンポポが綿毛になってます

この辺りに唯一のサイロです。

かつてはもっとあったのか、それとも最初から単独なのか?

このあたりからは、裾野は長し赤城山です

 

 

 

白柴タバサねーちゃん、お出掛けです

笠懸稲荷山の、カタクリの花はどうなっただろう?

ちょっと遅いかも知れないけど、行ってみよう。

 

(4月1日)岩宿博物館北の駐車場から出発です

人間はしっかりマスクして歩きます。

駐車場はいっぱいでしたけど、ここら辺を歩いている人はまばらです。

 

おや、下の方に子供達の集団です

アタチは大丈夫よ

ひめみたいに怖がったりしないわ

 

実際に、子供達が大勢やって来てすれ違いましたたけど、タバちゃんはいい子ですれちがいます。

「かわいい」の声が上がります。

 

カタクリの花発見

きれいだね

 

「ひとりしずか」も咲き出しています。

カタクリの花を訪ねて、楽しいね

自然がいっぱいでなせいか排泄してしまう子も多いのでしょう。

「フンは持ち帰りましょう」の表示もあります。

タバちゃんも、お持ち帰りです。

 

稲荷山の東を廻って、南に出ます。

稲荷大明神の幟がたくさんはためいています。

通過というわけにはいかないね

タバちゃんは、下で待機です。

 

お母さん1人頑張ります。

最初は、桜の花びらの道です

だんだん鬱蒼とした森になります。

額には「稲荷大明神」です。

かなりきつくなってきました

手すりにつかまって、ラストスパート

やっと辿り着きました

2礼2拍1礼で参拝です。

社殿の裏には、<「カタクリ群生地」保護のため、これより先の通行を禁止します>の表示です。

 

さてダッシュで降ります。

途中で、休み休み上ってくるおばさんに会いました。

「ちょっとと思って登ってきたら、大変だね

「もうすぐですよ、頑張って下さい

 

お待たせ

みんなの分も参拝してきたよ

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勝道上人の開山・桜の珊瑚寺

2021-04-09 20:04:44 | 群馬県・旧勢多郡

寒い朝でした。

でも、ひめちゃんちにも、ダッチアイリスが咲きました

季節は進んでいるのですね。

ひめちゃんは小次郎パパと、堀之内の北を歩いてきました。

寒い朝ですけど、赤城山は青々としています

 

 

 

 

沼田からの帰り、国道353号線の途中に、桜が満開の珊瑚寺(さんごじ)があります。

寄って行きましょう

ここは「東国花の寺」で、以前に参拝して御朱印もいただいてますけど、桜に誘われて寄り道です

 

 

門柱から入って、心字池(しんじいけ)の畔を歩きます

心字池には、赤い橋が架かってます

弁天様が七福神のみなさんといます。

向こうに弁天堂があります。

心字池に架かる赤い橋を渡って、参拝です。

銭洗場があります。

ここでお金を洗うと増えるのかな

 

 

桜並木の中を、地蔵堂へ向かいます。

左に、この寺の開山という勝道上人の像があります。

 

 

日光修験道の祖、勝道上人です。

珊瑚寺は勝道上人の開創だったのです

前回は気にもとめませんでした。

これはすごいことです

 

「とちぎふるさと学習」によれば、

下野(しもつけ)に生まれ下野に骨を埋めた勝道上人は、日本における山岳仏教のさきがけであったといわれ、日光1200年の信仰と文化の原点を築いた僧です。

 

都の人ではないんだ

下野に生まれ下野に骨を埋めたんですね

あれ、いつ上野に来たんだろう

 

 

さて、地蔵堂に参拝です。

狛犬がいます

銅鑼のヒモは、鳴らせないように工夫しています。

『ぐんまのお寺 天台宗Ⅰ』(上毛新聞社)の珊瑚寺によれば、

現在の地蔵堂は、宝暦4年(1754)い再建された物で、子育て地蔵として信仰されている。

 

そういえば、向拝の彫刻は、子どもを意識したかわいい彫刻です

合掌

 

 

 

地蔵堂の右奥に、板碑と多宝塔があります。

板碑は3基あります。

かなり大きなものです。

埼玉で見たような本格的な板碑です

でもどうして、ここにあるのでしょう

板碑がたくさんある武蔵国(埼玉)から、少し離れていますけど

 

説明板もあります。

たぶん前の2基は、新田義貞が戦っていた時代に建てられたのですね

 

開山勝道上人の大きな供養塔もあります。

合掌

そのうちに、勝道上人が生まれたという仏生寺(栃木県真岡市)や戒を受けたという下野薬師寺跡(栃木県下野市)にも行ってみたいですね

 

 

さて、桜の向こうの本堂にもお参りしていきましょう。

合掌

 

 

御朱印は、今回はいただかずに帰ります。

そのうちに世の中が鎮まったら、いただきましょう。

 

 

山門から出ます。

振り返ると、あれ虎と龍だ

何か意味があるのかな

 

超クラシックな石段を降りました。

 

脇に珊瑚寺の由緒がありました。

文明年間(1469~1486)からは、天台宗の珊瑚寺になったのですね。

三鈷寺(さんこじ)から珊瑚寺(さんごじ)に改名だったのです

海がなくとも、三鈷寺の珊瑚寺でした

 

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お昼山のふもとの物語(沼田歴史資料館企画展「根利山」)

2021-04-08 19:39:25 | 北毛紀行

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出てお散歩してきました。

ひめちゃん、臨戦態勢です。

何かいたのかな?

 

あれ、もうダッチアイリスが咲いてる

ひめちゃんちにもあるはずだけど、まだ咲いていないよね。

たぶん、生き延びているはずですけど。

 

葛塚の桜は、ますます葉桜になってます。

りりしいひめちゃんです。

毛並みもいいし、体調いいみたいです。

アブラナをいっぱい食べている効果かも

 

 

 

我ふるさと・新田(新田郡)の老人達が「お昼山」と呼んでいる山があります。

正式名称はわからないそうです。

とがった二つの峯の間に縦に筋が出て、お昼がわかったそうです。

時計を持たずに畑に行っても、「お昼山に筋が出たからお昼だ」と、帰ったそうです。

地図を眺めたり、写真を見当したりすると、たぶん足尾山地の皇海山(すかいざん)だと思われます

 

その皇海山の麓に、40年間だけ存在した村「根利山」の企画展(沼田市立歴史資料館)がありました。

 

お昼山の画像はいっぱいあるはずですけど、いざとなるとなかなか見つかりません

昨日、白井宿に行く途中、国道17号線(白井付近)からのお昼山です。

新田から見るのと、そんなに形は変わりません。

白井宿からのお昼山です。

 

 

3月29日、初めて沼田市内の街中に駐車です。

立体駐車場隣の平面駐車場に入りました。

立体駐車場からは、資料館に連絡通路があるのですね。

 

平面から出て、平面を歩きます。

信号の角に、天王石(てんのうせき)があります。

天正18年、市場開設にあたり、午頭天王(ごずてんのう)を祀った所なのですね。

そのうち、遷座先の須賀神社にもお参りしましょう。

 

信号右手の建物に、沼田歴史資料館がありました。

同行したおじさんは、資料としてでていたこの本を手に取って見入ってしまいました。

今回の図録ではなく、平成15年に、水資源開発公団栗原川ダム調査所&利根村教育委員会が発行した冊子です。

 

『利根村誌』によると、群馬県と栃木県の県境をなす皇海山の南西麓の山中に、「根利山」と呼ばれる集落が開かれたのは明治31年(1898)である。近県近郷はもとより、遠く富山や山梨、岩手辺りからも多くの人びとがやって来て、大原生林におおわれた人跡未踏の地に分け入った。もちろんあてもなく山に入ったわけではない。この年、この山中に古河鉱業の「根利林業所」が開設されることになったからである。

 

足尾銅山に木材の供給地だったのです。

 

昭和14年(1919)、古河鉱業根利林業所は閉鎖された。理由は明快で、根利山の森林を伐採しつくしたからである。

たくさんの写真が当寺の「根利山」の様子を語ってます。

子供たちも大勢暮らしていたのです。

 

 

館内は写真撮影禁止でしたけど、貴重な冊子を手に入れました

あのお昼山の麓に、そんなすごい物語があったのです

そのうちに、皇海山の近くも訪問したいものです

 

 

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天保3年から無住・桜の南蔵院

2021-04-07 20:37:38 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

なにげなく庭石になっている、古墳の天井石です。

チューリップが似合います

 

ひめちゃんたちは、岩神沼に到着です。

沼は静かで、だれもいませんでした。

 

高縄の摩崖仏の裏を通って帰ります。

石造物がいっぱいです

ひめちゃんが、見上げています

視線の先には、桜にカラスでした

 

 

 

(3月28日)

龍光寺・豊川天の少し北に、地図では南蔵院(なんぞういん)というお寺があります。

寄って行きましょう

路地を曲がると、石造物がいっぱいです

桜といい感じでコラボしています

 

境内への入口らしき所があります。

失礼します

ひっそりしていますけど、多少車の出入りはあるようです。

 

入口のこの石造物が、一番大きいです。

宝暦(1751~64)の文字が見えます。

 

隣の廿二夜塔(如意輪観音)には、天明元年(1781)1月と見えます。

 

入り口東の方です。

どなたかな?

手がいっぱいです。

千手観音かな?

東は、この方だけです。

 

正面に、本堂かな?

普通の民家のようですけど、堂宇なのでしょう。

 

和尚さん達の墓石のようです。

ちょっと寂しい

でも、かたづけられていない所がすばらしい

 

あれ、道の向こうに、何かいます

ウエルカムドッグです

なぜ、ここにいるのかな?

桜満開の無住の寺に、和みの風景です

 

 

南勢多郡の廃寺かな?

例の冊子「南勢多郡の廃寺」(群馬県勢多中部仏教会 平成23)で確認です。

あれえ、ありません

 

では現役かな?

『ぐんまのお寺』シリーズ(上毛新聞社)で確認です。

『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』にありました

南蔵院(なんぞういん)ー勢多郡粕川村

南蔵院の由来は『上野国郡村誌』によれば、「開基創建は不詳。天保9年(1838)2月22日に焼失する。元治元年(1864)に仮本堂を再建する。当寺は天保3年(1832)より無住となり、本地の赤城寺(せきじょうじ)の住職が兼務している。」とあり、この天保9年の火災で古記録などすべて失ってしまった。明治8年(1875)に村方が提出した「無住寺院取調御届」によると、「本堂、庫裏共に一戸 萱葺 間口八間半 奥行四間半 天保9年3月住僧初瀬へ出世に参り、帰国仕ズ。是迄無住ニ御座候」~(中略)~南蔵院は天保年間(1830ー1844)以降無住となり、本寺である宮城村の赤城寺の住職が兼務している。現堂宇は大正末期に再建された。しかし檀家の離檀が相次ぎ衰退した。 

 

無住になってから、約200年です

でも、まだお寺として、しっかり存在しています

お寺としては一応存在しても、すっかり耕されてほとんど畑になっているお寺もあります

無住になってから200年近く経っても、お寺として存在していることは、希有なすばらしいことです

 

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悠久の狛犬(龍光寺の豊川天)

2021-04-06 15:35:17 | 群馬県・旧勢多郡

昨日の朝も今朝も、ひめちゃんは小次郎パパと、先にお散歩に出ました。

獅子丸は、タバサねーちゃんとお散歩です。

 

昨日の2人です。

雨上がりの朝、諏訪神社から上に出て、蕨沢川にかかる名も無い3番目の橋を渡って帰りました。

 

今朝は、堀之内の北の方を歩いてきました。

葛塚(くずづか)の桜は、もう葉桜になってます。

 

 

先日、女渕城龍光寺曲輪の龍光寺(前橋市粕川町)を参拝しました。

山門を入るとすぐに、豊川天の大きな石柱があります。

けれども、境内には豊川天はありませんでした。

『ぐんまのお寺 曹洞宗Ⅱ』には、

境内の西北に荼枳尼天(だきにてん)を祀る豊川稲荷がある。開山ゆかりの豊川妙巌寺から勧請した。例祭は五月五日である。以前は五月一日ー五日間の祭りで、飾り人形や、からくり人形が飾られたり操られたりした。また、露天商が参道に並びにぎやかであった。

 

後日(3月28日)、境内の西北、新しい墓地の方から探索です

桜が咲いています。

ちょうど満開の頃だったかな?

明るい新墓地を脇に見て、細道を鬱蒼とした森目指します。

 

まもなく、左手に真っ赤な鳥居です

豊川天です

やっと辿り着きました。

 

さらに奥にも鳥居があります。

 

狛犬ではなく、狛狐です

豊川天、つまり豊川稲荷ですからね。

 

鈴は鳴らさずに、2礼2拍1礼で、参拝です

額は、荼枳尼天です。

豊川天は荼枳尼天(だきにてん)だったのです。

荼枳尼天は日本では稲荷信仰と混同されて神仏習合したといいます。

 

あれ、社殿脇に古い狛犬があります

ナミの古さではなく、悠久の時を経たという感じです。

 

左の古い狛犬も確認です。

並んで、首のない狛犬が2体あります

後ろ姿も確認です。

首のない狛犬、何となく月田・近戸神社の古い狛犬が思い浮かびます。

 

さようなら

お参りできてよかったです

 

味わい深い灯籠の間を抜けて、鳥居を出ます。

 

露天が並んだのは、この辺りかな?

ブロック塀の向こうに、龍光寺の赤い屋根がみえます。

 

行きには愛でるゆとりのなかった、椿が目に付きます。

ピンクのきれいな椿でした

 

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