黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんの女渕城登城記2021(初めての逆廻り)

2021-04-04 19:08:38 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、山上城を裏から攻めます

空堀の外側の農道を歩きます。

終点は山上城・三の丸西の空堀です。

ここは紫陽花の小道になる予定です。

 

ひめちゃんと獅子丸は、三の丸の南の細道を帰ります。

途中、三の丸への登り口があります。

でも、ワンコさんは歓迎されないようなので、「獅子くん、ここまでだよ。」

 

ひめちゃんちに、黄色い桜が咲き始めました。

黄色い桜も、それなりにいいものです

 

 

 

(3月27日)山上城の後、女渕城に向かいました。

この春は、いつもとは逆廻りで歩いてみよう

 

縄張り図です。

中央の御霊神社の北辺りから、左回りに歩いてみます。

 

向こうに本丸が見えます。

私有地ですか

廃城になってから、400年以上になりますから、そういうこともあるでしょう。

確か鉢形城にも、住んでる人がいたと思います。

 

記憶にたよって細道を北に出ます。

こちらも出入り口になってます。

 

あれ、「フンの後始末をしてください」だって。

袋持ってきたから、大丈夫だよ

 

クンクン、ワンコさん、けっこう来てるみたいよ

 

桜がきれいだね

 

一番北側まで足を延ばします。

上毛電鉄の線路の下です。

水が流れてきているのかな?

その上の竹藪あたりは、史跡・魔住田ヶ淵(まずみだがふち)です。

 

細道を道なりに、南に歩きます。

ホタルが出るのかな?

 

ここは、女渕城北曲輪ですって

初めて気づきました。

向かい側には、何様かわかりません。

でも、現役のようです。

 

向こうに、本丸跡のポールと説明板が見えます。

この堀は蓮がありそうな感じもしますけど

 

橋を渡って、本丸跡です。

 

タバちゃん、また情報収集です。

誰か来たかな?

 

また、橋を渡って駐車場に戻ります。

戦国時代はどうだったのかな?

こんなりっぱな橋は架かってなかったよね。

 

古城の雰囲気で、潔く咲いている桜です

向こうに見える新築中の建物、多福寺の跡でした。

その東は観音堂でした。

先日、タバサねーちゃんの勘で、観音堂と多福寺跡を訪問できたのです

 

女渕城北の魔住田ヶ淵にも、ちょっと寄って行きます。

ちょうど電車がやって来ました。

魔住田ヶ淵と電車と女渕城のコラボです

今は明るい淵になってます

裏の説明を確認です。

この地は高野辺家成の姫の伝説地である。

昭和五十三年度群馬県営粕川土地改良事業にあたり平夷された。南北254米、東西18米、深さ6米の淵であった。

南北に細長い、深い沼だったのですね

女渕城のお堀にも流れ込んでいたのでしょうね。

高野辺家成の姫って、淵名姫(ふちなひめ)かな?

継母にここに沈められたら、助からないでしょう。

 

やはりここから女渕城を眺めると、目に見えない何かを感じます。

ここも大切な女渕城のビュースポットです

 

 

タバサねーちゃん、大満足で「ただいま

あれ、獅子くんの目は怒ってます

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白柴タバサちゃんの山上城登城記2021(初めての帯郭)

2021-04-03 19:54:38 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、岩神沼に到着です

 

何かが飛び立ちました

アオサギです。

上の沼に帰るのかな?

 

赤城山は、うっすらと姿が見えるような?

ピンクの桜の大木は、はっきりと見えます。

高縄の摩崖仏の桜です。

 

最近は参道が塞がれているので、裏の道から眺めます。

桜の季節だけでも、人を受け入れる摩崖仏であってほしいなあ。

裏の道、西側からの眺めです。

岩神沼の岩神様、高縄の摩崖仏のちょっと寂しい春です。

 

 

 

(桐生市新里町)山上城は、南北に細長い城です。

ひめちゃんと獅子丸は、二の丸と三の丸の間を、時たま通ります。

でも、二人を連れて本丸散策は、ちょっと不安です。

(『日本城郭大系4 茨城・栃木・群馬の城郭』)

縄張り図(山上城の北半分)をよくよく眺めると、帯郭(おびくるわ)・上腰郭(こしくるわ)・下腰郭という場所があります。

まあ、自然の地形を利用したのでしょうけど。

検索すると、それらはお城の本丸と二の丸や三の丸の連絡通路ということらしいです。

 

 

3月27日、タバサねーちゃんと山上城に出かけてみました。

二の丸から本丸を攻めます

常広寺南の駐車場から上ります。

 

下腰郭、北側です。

下腰郭、南側です。

結構広い空間です。

ちょっとした建物ならたちます。

天正2年(1574)閏11月、羽生衆千余人がやって来たときは、フル活用されたかもしれませんね。

 

二の丸と三の丸の間から二の丸方面に上ります。

ひめちゃんたちは、いつも向こうからやって来ます。

 

右に上った景色です。

滑り台の下は上腰郭、上は二の丸です。

 

桜は咲いていますけど、ちょっと寂しい感じです

ここには、数年前まで、しろやま幼稚園の子供達の元気な声があふれていました。

遊具だけが取り残されています

 

タバサねーちゃんは、本丸を目指します。

桜も咲いているけど、高木過ぎてインパクトも感動もなしです

 

まもなく本丸跡広場です

クンクン、誰かきたかな?

 

北東方向を見ると、常広寺の内墓地です。

あの赤い一点は、赤いマスクをした六地蔵です。

その隣は、開基・本橋院殿の供養塔です。

実は、あそこから上ってくるのが、本丸への近道なのです

 

群馬県指定史跡・山上城のポールもあります。

タバサねーちゃん、茶柴になっちゃった?

光の関係かな?

 

さて、初めて帯郭を歩きます

帯郭は、やっぱり連絡通路ですね。

ムム、ちょっと気になります

誰か通りました

 

帯郭は、二の丸に合流です。

日の光もいっぱい浴びて、いつの間にか、白柴に戻りました。

初めての帯郭体験、楽しかったよ

 

 

本日(4月3日)、お墓の掃除で常広寺に行きました

タバちゃんは、お留守番です。

本堂前の桜が、いい感じです

アショカ王の石柱と桜のコラボも、今だけの景色です

 

山上城本丸への近道は、開基・本橋院殿の供養塔(五輪塔)と赤いマスクの六地蔵前を登ります

内墓地の奥に登り口があります。

桜の風情を味わうには、こちらから上るほうがいいですね

 

 

 

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いばら地蔵(続・ママの安眠妨害するのは誰だ)

2021-04-02 21:00:51 | 日記

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内の北の方を廻ってきました

通り道に、大きな石があります。

何気なく庭石になっていますけど、古墳の天井石だと思われます。

この辺りは、かつては、古墳だらけの村だったといいます。

獅子くんは、いつの間にか、ナズナの花粉だらけです。

ひめちゃん、警戒態勢です。

視線の先には、自転車に乗った外国人のおじさん2人です。

近くの村工場にお勤めのようです。

 

葛塚村の春です

今朝も、赤城山はその姿を現しませんでした。

 

 

 

ひめちゃんたちのママ、七海ママが16歳と6ヶ月の天寿を全うしてから、もうじき3ヶ月になります。

先日、ママの墓標のミニミニ地蔵が届きました。

 

ママのお地蔵様だよ

末っ子のひめちゃんと獅子丸は、神妙な面持ちで見送りました。

 

「椿・そとおりひめ」がきれいに咲いています

コロンとかわいく、まるで末っ子のひめちゃんのようです。

ひめちゃんの本当の名前は、「衣通姫(そとおりひめ)」です。

衣からもその美しさがあふれ出たという、古代伝説の美女です。

 

お地蔵様も、七海ママの面影があるかなりの美形です

 

お墓そばの桜は、もうう葉桜になりかかってます。

ななちゃん、よかったね

ひめちゃんの桜・衣通姫(そとおりひめ)も咲き始めました

 

次の日は、つつがなく明けました

その次の日、あれえまた暴かれている

お地蔵様は倒れていませんでしたけど、そのすぐ前まで掘り返されママをくるんだ毛布が出ています。

明らかにママを狙っています。

ママはこの塚の中央ではなく、やや東寄りに眠ってます。

そこが何度も掘り返されているのです

いったい何やつだ

もう殺鼠剤でも撒くしかなさそう

でもそんなことしたら、七海ママが悲しむでしょう

 

草むしりをしながら、はたと思いつきました。

剪定したバラの枝で、ママのお墓を囲おう

ちょっと痛いから、あきらめて帰ってもらおう

ななちゃんのお地蔵様、「いばら地蔵」になってもらおう

 

昨日、一応控えめにおいてみました。

大丈夫だったかな?

 

今朝は、大島桜が満開に近くなってます

椿・名張(なばり)もきれいに咲きました

この和の雰囲気好きです

 

大丈夫かな?

ママのお墓は無事でした

お地蔵様、当分いばら地蔵だけど、よろしくお願いします

合掌

 

黒柴の先住犬、三四郎&サマンサのお地蔵様も確認です。

チューリップに埋もれています。

もうじき満開のチューリップに囲まれるね

合掌

 

ひめちゃんの桜も、満開になってます

大きな杏の木の下で、がんばって今年も咲きました

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白柴タバサちゃんの女渕観音堂参拝記

2021-04-01 17:26:48 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出ます。

アブラナも花が咲いてしまうと、さすがの獅子くんも食い付きません。

 

久しぶりに山上の薬師の道を歩きます。

春だねえ

赤城山は霞んで、その姿を見せません。

 

アブラナとナズナの花に囲まれた薬師さんたちです。

でも、アブラナがちょっと変

もう一ヶ所確認です。

もう少ししたら、花盛りのアブラナに囲まれるといいね。

菜の花に囲まれた薬師さんたちに逢いたいね

 

 

 

(3月24日)御霊神社から南に散策をして、女渕城(おなぶちじょう)の駐車場に戻りました

(『群馬県の中世城館跡』1988)

縄張り図の五霊神社の北が現在地です。

 

少し女渕城を歩いてみましょう

水の城に桜がいい雰囲気です

 

タバサねーちゃん、本丸跡に到着です。

伝説口碑に、高野辺家成、南淵秋郷、足利直義、荒井図書允、沼田平八郎等の名と共にこの城は古文書戦記に登場する城である。

荒井図書允は新井氏で、さっき訪問した龍光寺を龍光寺曲輪に移したという人で、新井白石のご先祖でしょうか?

女渕城のすぐ裏に、高野辺家成(たかのべのいえなり)の姫が沈められたという、史跡・魔住田ヶ淵(まずみだがふち)があります

沼田氏最後の人・沼田平八郎もここにいたのですか

 

いつもは適当に北の方に行って、西に廻ります。

この日は、タバちゃんがどうしても東に行くと主張します。

じゃあ、行ってみよう

 

あれえ、鳥居がある

お堂もあります。

史跡のポールは劣化しすぎて読めません

 

なんとも不思議な額です

「帰命観自在大慈徳林」?

 

粕川村時代のスタンプラリーの名残があります。

お寺の雰囲気だけどなあ

 

桜の木の下に、説明板があります。

群馬県指定の重要文化財・木造十一面観音があるのですか

60年に一度のご開帳ですか

所有者は応昌寺、管理者は女渕観音堂世話人会ですか

応昌寺って、大胡のお寺でしたよね。

 

ここは、観音堂なのですね

タバちゃんと一緒に、階段の下で合掌

 

左の方にもお堂があります。

子安観音堂とあります。

合掌

 

あれ、古い説明板があります

重さの都合で2枚でアップです。

かつては大いに賑わっていたのですね。

観音堂の別当多福寺が近年廃寺になって、観音様は応昌寺の持ち物になってしまったですね。

それを女渕村が管理という形で取り戻したんですね

いつまでもここに居て下さいね

 

改めて合掌

 

鳥居を出てふと見ると、道標です

南・深津伊勢崎、西・大胡大前田

観音堂前の道は、かつては幹線道路だったのです

 

ふと見上げると、天台宗の門柱があります

ええッ、多福寺跡

観音堂の隣は、多福寺だったのです

そういえば、女渕城の縄張り図、右上に卍が二つあります。

地元の人には、二つの寺なのです

 

 

南勢多郡の廃寺・多福寺といきたいところですけど、「南勢多郡の廃寺」(勢多中部仏教会)にはありません

『ぐんまのお寺 天台宗Ⅰ』(上毛新聞社 平成11)の応昌寺の所に、ちょっとだけ観音堂と多福寺がありました

当寺の寺宝としている秘仏聖観音(木造立像)は行基の作の伝承があるが平安時代後期の作と推定されている。この観音は、当寺境外仏堂の粕川村大字女渕の観音堂に安置されている(粕川村重要文化財)。観音堂には大般若経六百巻も収蔵されている。この観音堂は昭和43年に応昌寺に合併し廃寺となった女渕の多福寺にあった。多福寺は赤城南麓の古刹の一つであった。観音の縁日は1月18日と8月28日で、8月には六百巻の大般若経の読誦がある。

 

 

 

あたちの言うとおり来てよかったでしょ

 

南廻りで、御霊神社裏の駐車場に戻ります。

 

川を渡ります。

川は桂川(かつらがわ)、橋は殿原橋(とのはらはし)です。

 

あたちの史跡巡りの勘、冴えてるでしょう

タバちゃんの勘に脱帽

 

 

 

 

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