父は、私の祖母が亡くなった時奄美大島を訪れて以来、奄美大島に足を踏み入れていません。実に35年以上になると思います。
父は、この奄美で母と出会いました。そして、ここで、橋梁や築港の建設に携わったのでした。
自分が仕事をした「跡」がどうなっているのか?これは、職人としては、当たり前の心の動きかも知れませんが、30年以上になるのに母の故郷の奄美大島に行くことがなかったのが不思議なくらいです。
父は、数年前に母が帰省した折、自分の関わった工事現場がどうなっているのか見てみたいとつぶやくようになっていました。昨年は、私の選挙の年に当たっていたため、この春に帰省のタイミングを調整していました。
明日、83歳になった父と奄美大島へ帰省します。
奄美空港ではレンタカーを手配、また長時間歩くことが負担になっている父用に簡易車いすを積み込む予定です。
私も父が関わった工事現場を実際に確認していたわけではありません。既に取り壊されたところもあると聞いていますが、父の指定した場所には行くつもりです。
奄美大島では、親戚の叔父さんらも待ち受けています。
父との珍道中?をスマホで画像を添付(できたら)しお届けします。
父は、この奄美で母と出会いました。そして、ここで、橋梁や築港の建設に携わったのでした。
自分が仕事をした「跡」がどうなっているのか?これは、職人としては、当たり前の心の動きかも知れませんが、30年以上になるのに母の故郷の奄美大島に行くことがなかったのが不思議なくらいです。
父は、数年前に母が帰省した折、自分の関わった工事現場がどうなっているのか見てみたいとつぶやくようになっていました。昨年は、私の選挙の年に当たっていたため、この春に帰省のタイミングを調整していました。
明日、83歳になった父と奄美大島へ帰省します。
奄美空港ではレンタカーを手配、また長時間歩くことが負担になっている父用に簡易車いすを積み込む予定です。
私も父が関わった工事現場を実際に確認していたわけではありません。既に取り壊されたところもあると聞いていますが、父の指定した場所には行くつもりです。
奄美大島では、親戚の叔父さんらも待ち受けています。
父との珍道中?をスマホで画像を添付(できたら)しお届けします。