昨日の午後の便で奄美大島から関西に戻ってきました。
2泊3日の旅でしたが、父にはこの旅をどうのように感じたでしょうか。
下記の写真は、父の造った(監督した)橋のたもとで撮影したものです。
この橋に残念ながら名前すらありません。この橋の下を流れる川は「名音川」と言います。私が生まれ3歳ごろまで暮らした村落に通じる川でもあります。
この橋から少し下流に戻ったところにダムを建設したようですが、土砂崩れのために現場に行く事はできませんでした。
この村落には、昔から地域の電力を水力に頼っていました。
しばらくすると大きな発電所の建設が始まり、取り壊される運命の地域発電所も見てきました。
口径500ミリ程のパイプの水で発電しています。
また、この発電所に行く途中で2匹の猪の子供も見る事ができました。車の音に気が付き、近くの山に逃げ込んでいました。
村落には、私と妹が生まれたという場所があります。伯父さんに案内していただき写真を撮影しました。朽ち果てているこの家は、私の生まれた家そのものではありません。とっくの昔になくなっています。でも、この場所(地)で生まれたと言う事実を知ると感慨深げとなります。
さて、宿泊施設は、名音から車で北に向かって1時間30分ばかり走った笠利町にあります。朝方に撮影した風景。そして毎日浜辺で行われている「カニ」の隠れ家を撮影しました。この巣を掘るとカニが出てきます。
自然に抱かれた奄美大島。昨日はジェットに乗る前に50歳の時に奄美大島に渡り、絵を残したと言う「田中一村氏」の絵画を美術館で鑑賞しました。
奄美大島の生活で一村氏の画風も大きく変ったと言うことです。南国の動植物をモチーフに色合いも鮮やかでした。
奄美に来て、私なりに「生きている」ことを実感した気がします。
これからも、時折帰省したいと思います。
2泊3日の旅でしたが、父にはこの旅をどうのように感じたでしょうか。
下記の写真は、父の造った(監督した)橋のたもとで撮影したものです。
この橋に残念ながら名前すらありません。この橋の下を流れる川は「名音川」と言います。私が生まれ3歳ごろまで暮らした村落に通じる川でもあります。
この橋から少し下流に戻ったところにダムを建設したようですが、土砂崩れのために現場に行く事はできませんでした。
この村落には、昔から地域の電力を水力に頼っていました。
しばらくすると大きな発電所の建設が始まり、取り壊される運命の地域発電所も見てきました。
口径500ミリ程のパイプの水で発電しています。
また、この発電所に行く途中で2匹の猪の子供も見る事ができました。車の音に気が付き、近くの山に逃げ込んでいました。
村落には、私と妹が生まれたという場所があります。伯父さんに案内していただき写真を撮影しました。朽ち果てているこの家は、私の生まれた家そのものではありません。とっくの昔になくなっています。でも、この場所(地)で生まれたと言う事実を知ると感慨深げとなります。
さて、宿泊施設は、名音から車で北に向かって1時間30分ばかり走った笠利町にあります。朝方に撮影した風景。そして毎日浜辺で行われている「カニ」の隠れ家を撮影しました。この巣を掘るとカニが出てきます。
自然に抱かれた奄美大島。昨日はジェットに乗る前に50歳の時に奄美大島に渡り、絵を残したと言う「田中一村氏」の絵画を美術館で鑑賞しました。
奄美大島の生活で一村氏の画風も大きく変ったと言うことです。南国の動植物をモチーフに色合いも鮮やかでした。
奄美に来て、私なりに「生きている」ことを実感した気がします。
これからも、時折帰省したいと思います。