三田市議会議員 肥後淳三のウェルビーイング(幸せ)日記

幸せな出来事、その日の思いをブログにしたためます。        皆さんと一緒に幸せを追求しましょう!

フィリピンの活動報告~未来ある子どもたちのために~

2013年07月03日 | 活動報告
 今日は、午前9時~夕方6時30分まで平成24年度の企業会計(水道事業、市民病院事業)決算審査等を実施。帰宅後に急いで食事をとり、今年3回目(7月13日開催)となるゆりのき台小学校の「体育館に泊まろう!避難体験」の話し合いで20時30分に小学校へ。
 小学校に集まったのは、ゆりのき台地域の防災リーダーの皆さん。応急担架づくりや当日のスケジュールなどの打ち合わせをして22時前に帰宅しました。
 さて、昨日2日午後1時30分~三田市まちづくり協働センターで開催されたフィリピンのスラム街で活動するお二人の女史の話を聞かせていただきました。本日のブログは、日本人女性が展開している心温まるお話を掲載します。

 お話は、冨田江里子氏と倉本陽子氏。
 冨田氏は、フィリピンへ夫の仕事の関係で行かれたのが縁となり「診療所」の開設を始めました。それも貧困地域での開設。冨田氏はもともと助産師でもあり、当初はお産を助けることを手掛ける予定だったが、子どもや男性も病気を診てもらうために並び始め、今では診れるものはなんでも診るクリニックとして開設している。
 もちろん医師免許がないので、手術などは、できませんが・・・。
 フィリピンのお産は、寝たらだめ座ったらだめ、「立って産みなさい」が慣例となっており、助産師さんは妊婦のお腹を強く押して出産をさせる。これが逆に死産につながっている。
 
 また、貧困がもたらすものは「売春」によって生きるしかない女性が多く、父親の違う兄弟はざらにいる。また、兄弟、姉妹が多く満足に食事も与えられないために、子を簡単に養子に出してしまう。養子に出された子は、どちらかと言うと家の手伝いを中心にやらされており、育ての親はもちろん、実母からも満足な愛情を注がれて育っていないため、心が歪んだ成長をしてしまう子が育ってしまう。

 そのような状況のクリニックにボランティアで手伝ったのが倉本氏、冨田氏は兼ねてから親の愛情を受けられずに間違った行動をとってしまう子どのたちに何とか「考える力」を付けたいと思っていた。倉本氏は、冨田氏の意向を受ける中でクリニックの近くにWISH HOUSEを開設。ここは、満足に学校に行けない子どもたちのたまり場。一緒に遊んだり、叱ったり、ほめたりするうちに子どもらしい心を取り戻し大人としての考える力を身につけさせていくと言う。
 
 
 冨田氏や倉本氏は言います。「1週間でも2週間でもこのハウスに来てください。何も特別なことは要りません。子どもたちと一緒に遊び、ふれ合ってくれるだけで十分なのです」「子どもたちは、大人とふれ合うことで大きく成長してくる」と言うのです。

 また、子どもたちが「かわいそう」などの感情は一切不要。
 貧乏だけど彼らは精いっぱい生きています。昔の日本も戦後食べ物がなかった時代がそうでした。特に近代の栄養学は、この国には、当てはまりません。牛肉が食べられなくても土地のものを食べている限り生きていけます。しかし、最近、フィリピンも経済のグローバル化で害のあるミルクや食品が入り込み、これまで子どもや大人に見られなかったアトピーや癌が多くなってきているとのことでした。
 「日本に時折帰ってきて思うことがあります。日本人は冷たくなった。他人を思いやる気持ちがなくなってきている」とも。日本の電車に乗り込み赤ちゃんが泣いていると「うるさい!」と言う方がいます。しかし、フィリピンでは、誰かれなしに泣く子を代わる代わる子をあやしてくれる。この姿、一昔前の日本では当たり前の姿だったに違いありません。
 日本人は、経済成長とともに大切な心を何処かに置き去りにしてきたようです。

 冨田氏や倉本氏のこれらの活動。未来ある子どもたちのための実践活動に心を打たれました。
 

 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする