昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

秩父吟行2018年3月(その壱)遍路

2018-04-02 23:30:41 | 秩父旅行2018年3月

かーたんと3月27日から29日まで秩父旅行に行ってきた。
3月の末の決算だ、新年度だ、新入社だ、だの糞忙しい時期に旅行など良い身分だなどと言う勿れ。
オカブ商会は5月末決算だし、官公庁関係のことは一切やっていないので、年度末、新年度はあまり関係ない。
吟行と言うほどのこともないのだが、そこはかの作句もなしてきた。
そこで、池袋から朝10時半のレッドアロー号に乗って秩父へ出発。
車中では、酒盛りをする間もあらばこそ、1時間40分であっという間に西武秩父に着いてしまった。


秩父に着いて、先ずは昼飯。
駅前の観光案内所で、「秩父そばの会」なるパンフレットを貰ってきた。
30余りの秩父の蕎麦屋がリストアップされている。
さあ、どこがいい?とかーたんに聞くと、『おお村』という店がいいという。
それでは、と秩父神社を目当てに、秩父鉄道御花畑駅を巡って、『おお村』に向かった。

秩父の街は戦災に遭わなかったのか、古色蒼然とした家並みが多い。
秩父神社への道すがら、そうした古い家々を眺めるのは、楽しかった。
しかし、今日は天気が良い。
汗ばんでくる。

秩父神社の神域は清浄だったが、どうもオカブは神社という所に興味が湧かない。
アニミズムの延長の社殿や境内が、仏寺に満ちている人間臭さを感じさせないためであろうか?
三々五々、観光客や地元の人が参拝していた。

かーたんが、数ある蕎麦屋の中で『おお村』を推したのは、バラエティに富んだセットメニューがあるから。
この人は、どこでもセットメニューが好きで、本格的な蕎麦には興味がないようだ。
しかし、『おお村』で味わった蕎麦と酒は美味かった。
奇をてらわない、いわゆる「町の蕎麦屋さん」の出す蕎麦の味わいにも好感が持てた。
飲んだ酒の『武甲』は甘口の酒。
しかし、甘ったるくない、きりりと締まった甘口の酒だった。

さて、お腹も出来て、秩父のお寺詣りと行くことにする。
目当ては四番の金昌寺で、ここの石仏群と慈母観音を見るのが、今回の秩父訪問の大きな目的の一つ。
その途中の幾つかの寺の札所を巡って、遍路の真似事をしようという寸法である。
秩父鉄道の線路を渡り返して、国道に出て、秩父道の駅などを過ぎて、まず十一番常楽寺へ詣る。
いかにも地元の人に支えられた田舎の山寺、といった佇まいである。
境内に山吹の花が咲いていた。
手向けの花のようでなにか哀しい。



十一番を詣り終えて、十番、大慈寺へ向かう。
国道に沿って歩くが、多分、秩父セメント関係の大型のトラックの往来がひっきりなしだった。
畑に出ていた地元の人が、危ないからこちらを通りなさいと裏道に案内してくれた。
大慈寺には、高い急な石段を登って行かなければならない。
かーたんは、そんなお付き合いは御免だ、とばかりに石段の途中に腰を下ろして、ギブアップ。
オカブ一人で詣でてきた。
凄い山寺である。



大慈寺を出て、五番、語歌堂に向かった。
横瀬川にかかる大きな橋を渡り、対岸へ出た。
それから、恐ろしく長く歩いたような気がする。
田園の中を長閑に歩くならまだしも、途中に自動車教習所や、大規模な近代的な幼稚園がある。
しかし、やはり田舎であった。
広い畑が風景の殆どを占めている。
秩父セメントの原料の石灰岩の採取で山体がえぐられた武甲山は無惨であった。
この山は、日本武尊東征の折、むこうに見える山、すなわち「向こう山」と名付けたのが「武甲山」に転化したものという。
だから、尊が山中に甲冑を納めたから「武甲山」となったというのは、後付けの尤もらしい俗説らしい。
「向こう」が地名になった例は他にもある。
関西の武庫川、武庫之荘などはそのケースと聞いている。



しかし、語歌堂は遠い。
しかし、なんとはなしに見てみたかった。
「語歌堂」という名称の響きに惹かれた。
なにか、ひどくメルヘンチックなものを感じた。
やっとのことで堂に着いた。
語歌堂は期待を裏切らなかった。
人家の裏手、畑の中にぽつねんと孤立して建つ、小堂宇。
想像していた祠のようなものよりも大きな建物だったが、愛らしい佇まいだった。
語歌堂は無住だった。
墓地を伴わない寺が、こんなにも清々しいものとは思わなかった。


金昌寺に向かう途中、愛らしい野辺の地蔵を見た。
懐かしかった。
日本人の原風景とも言うべきか・・・

語歌堂から金昌寺までは、それまで歩いた距離に比べれば、程なかった。
金昌寺で、初めて観光客に出くわした。
寂れた山寺であるにも関わらず、ひどく俗化したものを感じた。
「俗化」というのは、これまで巡ってきた小さな寺と比べてという意味であり、そうした色眼鏡で見れば、素朴な石仏群も、慈母観音も十分、観光資源としての役割を果たしていると言える。
金昌寺の山門には大草鞋が掛かっていた。
秩父遍路の道中、脚が健やかなようにという願のようだが、これは余計だ。
しかし金昌寺も、思い出深い。
境内の桜が美しかった。
七分咲きだった。
桜のせいで、金昌寺は鄙びた、というよりは華やかな印象が強くなった。



慈母観音は惜しげもなく胸を拡げて慈悲を垂れていた。
こうした感傷的なモチーフの中にも、昔の人は救いを求めたのであろうか?
慈母観音の脇には、たくさんの絵馬が掲げられていた。
不妊の人が子が授かりますようにといった内容が多い。
嬰児殺人や児童虐待のニュースが少なくないというのに世の無常を感じる。
どうも、金昌寺に来てネガティブな想念ばかりが湧いてくる。
金昌寺を出て、今夜の宿に向かう。
和銅鉱泉『湯の宿和どう』である。
ここから、宿までは、10キロ近くある。
とてもこれまでの疲労で歩けそうもない。
バスを利用することにする。
国道に出て、金昌寺前のバス停で、1時間以上バスを待って、皆野行きに乗る。
しかし運転手に聞いてみると、このバスは宿の最寄り駅、和銅黒谷には行かないという。
バスの終点皆野まで行って、秩父鉄道で和銅黒谷まで行くことにする。
皆野で30分ほど電車を待ち、和銅黒谷の駅に着いた時には、日はとっぷりと暮れかけていた。

宿に着き、先ずは、風呂。
残照を望む露天風呂に入り、心身を癒した。
風呂から上がり、ビールを飲む。
液体は、この上ない美味さで五臓六腑に染み渡った。
ほどなく食事の時間。
この宿は部屋食である。
膳に溢れるご馳走にひもじいお腹も満足した。



花なれば遍路の時のかざしかな   素閑

へんろみち野辺の仏の笑い顔   素閑

明るさや秩父遍路ののづら果て   素閑

遍路来て短き生の破片かな   素閑

我もまたいずれ泉下の遍路かな   素閑

なまぐさきことばかりなり遍路かな   素閑

盛名の輝ける友もいて遍路かな   素閑

このところ横着になり遍路出づ   素閑

仏心も仏性もなき遍路かな   素閑

春へんろ茫々たる野のほとけかな   素閑

(季題の「遍路」は、本来、四国八十八か所、ないしは小豆島八十八か所巡りを言うのであるが、ここでは秩父巡りも入れていただくお目こぼしを願って・・・)


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