ポリティコス・コメント
>プラトンやデカルトのやった仕事は子供の遊びで大人のやるこっちゃないというわけですか(笑)。
奴は、
↓以下の月研ぎ氏の「外に連れ出す」を読んで、
どうして、↑のように理解するのだろうか?
>
月研ぎ
・タイトル
外に連れ出す
・コメント
マラソンの高橋尚子を育てた
小出監督があるテレビ番組で
「子供は大人の言葉は聞かないけれど、
態度の方はちゃんと見ていて、
それを学ぶ」と言っていて、
本当にそうだと共感します。
偏差値教育・詰め込み教育に
染まっている子供たちは、
学校という枠から離れているという
実感を得るためにも、
正解の見つけられない問題を
いつまでも考えることを欲しています。
考えるという本質的にゴールが無い
トンネル堀りは、
彫り進んだ壁面のすべてが、
次に掘る=考える手掛かりになります。
これって面白いですよね。
ひとりでああでもないこうでもないと、
なかば思考しなかば空想したりしている
状態を一日中生きているのが子供で、
そういうトンネル堀りの状態に
耐えられなくなった人から
順番に大人になっていきます。
プラトンやデカルトのような哲学者は、
生涯トンネル堀を続けた人でなのです。
OK君と自由びとさんのやりとりの
「わからない」部分は、
人間を通常の安定した言葉の領域の
外に連れ出すから、とても面白いのです。
<
↑
上記の月研コメントの、
どこにも「子供の遊び」とは書いていない。
当然に、「大人のやるこっちゃない」とも書いていない。
なのに…奴は
>プラトンやデカルトのやった仕事は子供の遊びで大人のやるこっちゃないというわけですか(笑)。
と言い切っている。
どうして?
なぜに?
私は以下のように理解した。
学校の教科書は、子供たちの身近な現実から目を逸らし、
大人の現実(子供のとっては非現実)へと目を向かせ、羽ばたかせるモノ。
大人にとっての現実・社会と子供にとっての現実・社会は異なっている。
子供達の課題は、
学校で教えられた、子供達にとっては、非現実的な大人の現実を、
如何に自分の思考・空想の世界の中で、自己の現実と結びつけられる事。
「プラトンやデカルトのような哲学者は」、
普通の大人にとっては非現実的な「理想・社会」を、
現実的なモノとして、思考・空想し続ける人達…
他人の思考・理想と自分の思考・理想の一致を求めてこそ、
己の成長・発展が起こり得る、と私は考える。
相手との一致とは、
相手を理解した上で、
その一致・不一致を認識し得てこそ、ある。
その根底には、
相手への信頼感、
相手も自分の世界の一部と言う体感・一体感、
しかし、
「信頼感」も「一体感」も感情であり移り変わるモノ、
時には唯の思い込みでさえあり得るモノ、
だからこそ、
人類すべてに共通な哲学・学問が、
いつの世も求められていく、のだろう。
当然に、
このブログでも、
求め続けらてゆく
そんなモノである。