以下のコメントは、ネット界の一般常識を遺脱した、
非常識な行為を含むモノである。
もっとも…お宅的・特殊な雲海お宅の個人的常識は遺脱していない、ようですね。
だから、ネットのコメント欄に投稿できるのでしょうが…
この雲海お宅のように、特殊な個人的・雲海お宅の常識が、
ここネット界の一般常識と一致している…という思い込みが、
ここでの雲海お宅くの根本・根源的な矛盾なのでしょう。
以下↓が、その矛盾コメント。
・コメントが届いた記事
家内と私
・コメントを書いた人
雲海
・コメント
>>その内容の通りの生き様が、できたなら、人生を楽しめるものです。
>私はそれは御免こうむりますので、自由びとさんがご自分でなさることを願います
↑南郷氏は言葉は、「大志ある人間達へのモノ」なのに…
お宅のように、大志でなく、ただの自己満足を目的として、
ネットで「大志ある人々」を叩いて喜び楽しんでいる者達にとっては、
読む事自体が無意味なのに…
そんな仲間・お宅自身の無味乾燥・無意味な感情を、
「大志・悟りを求めている」自由びと記述を分かる筈ない…のに…
なのに、その言葉をお宅自身の人生に当て嵌めて
「…御免こうむります…」とは、全くの場違いの言葉・認識です。
そんな言葉は、⒉チャンネル玄和会スレッドで書いて下さい。
ある者が、「自分的に正しい常識・思考(非一般社会的)」を社会で実践した結果、犯罪者の烙印を押されてしまう、ような行為です。
自由びとも南郷氏も、お宅に、そんなモノ求めていません。
私へのお宅のコメント内容が、自由びとブログの目的・認識と相違しているからの私コメントです。
実社会で、赤の他人が、窓から聞こえた家の中の言動が気に食わないからといって、その家にわざわざ訪問して、自分の感想・考えを伝えようとしますか?
「訪問」なら確かに法律違反にはなり得ませんが…
非常に変な御仁・不審者には、なり得ます。
>この本で南郷先生は「合宿生活での闘論」を必須のものと説いていますから、自由びとさんは志願してそこに参加されるべきでしょう。
↑
お宅には、事実と論理の区別と連関には、全く無知で分ってもいません。
家族達の家庭内での生活が「合宿生活での闘論」ともなり得まい。
例えば、息子・娘達が、一人前の成人になって、彼・彼女達の将来設計を親に話した時、その方向性に両親が納得できなかった場合…そこに話し合いが発生し得ます。
そこで、母と父の意見が一致しない。息子と母は一致、息子と父は不一致…とう状況があり得ます。
これを互いが納得できるように徹底的に話しあったなら、それは論理的には「合宿生活での闘論」になり得ます。
>もっとも、むかし私が在籍していた頃も「年寄りは来なくていい」と若者の足手まといになるような老害は排除する傾向がありましたから自由びとさんが志願しても受け入れてもらえる保証は有りませんけどね。
↑
対象の本質を全く「分かっていない」のに、「分かっているつもり」の馬鹿お宅です。
玄和会の求める「若さ・若者」とは、肉体的な若さ・若者でなく、認識・精神的な若さ、精神的な若者です。
それは、頭脳の柔軟性を維持し続けられた者達、
若き心を持ち続けられている者達、
または、老いた心・体でも、若き心だけでも…求める者達…
そんな者たちです。
お宅の肉体年齢は知り得ませんが…
精神が、とても老い果てています。
だから、「自由学藝」の直接購入を拒否され、
あのとても勉強になり得る「オマケ」の入手不能なのですよ。
>私は自分はやらないのに他人にやらせようとする「口先だけ人間」が好きではありません。
↑
分かっていないね!
真摯な教員達が、教師として、
教え子達に、偉そうな事を言える自分を創る為に、どれ程の学び・実践があるか?
お宅は、その「口先だけ人間」の人生・24時間の生活を、どれだけ知っていますか?
私からすれば、「口先だけの人間」って、
言語不一致の矛盾お宅、
雲海お宅その者のように思えて仕方ないのですが…
>ちなみに膵臓ガンは生活習慣病の可能性が高いとされています。「ストレス」よりも「何を食べてきたのか?」という食生活への反省が先にくるのが南郷流であり玄◯流だと思いますが、自由びとさんにはそうした観点がありません。
↑
家庭が一緒でも、とても忙しかった家内と私の食生活・現実の仕事・活動は大きく異なっいました。
彼女は、お酒が大好きで毎晩ビールは必ず飲んでいました。
また、お酒を飲んで、太るから「白米・胚芽押し麦・五分付き米・玄米・雑穀」をミックスし特製ご飯は、食べませんでした。
>奥さまが膵臓ガンになったなら、同じ食生活をしてきた自由びとさんもなる可能性があるかも知れません。
↑
確かに、可能性は零ではありません。
しかし、努力に努力を重ねて結果が違っていた時には、父の口癖「運命」と納得するでしょう。
だから、私は絶対に「抗がん剤治療」は受けません。
運命に任せて、「どうぞ・そのまま、どうぞ・そもままに…」ですね。
>苦しむことを楽しむという言葉遊びが好きな自由びとさんには馬の耳に念仏なんでしょうけどね。
↑
分かっていないね!
「苦しむ事を楽しめる」までに至る過程の努力・苦痛を…
貧しかった時代の人々は、生きる為のどれだけ大変で苦痛の連続だったか?
彼らにとっては、生きる・生活できるのが喜び、だから、
その為の苦痛は当たり前のモノ、その当たり前を日々楽しむ姿勢…
それは、生きる喜びの為に、苦痛を楽しむ、努力なのです。
そもそも…「苦痛だからやらない・逃げる…だったら」彼らは、餓死への人生ですよ。
また、逃れられない苦痛を耐えきれない・ダメだ…と感じ続けやり続けたら「精神病への道」ですよ。
>自由びとさんは〇〇〇という〇〇〇だと聞かされましたけど、それは本当ですか?私が青空塾にいたとき〇〇〇という会員に会ったことはありませんけど。
↑
この○○○記述が、ネット界で、当人との信頼関係もなく、顔も生活の知り得ない・当人の承認・確認もせず、他人の名前を掲載してしまう行為。
そして、それを間違っている・場違い…と認識不能の能力?
または、ある他人の批判・否定に、別の他人の実名・虚名を掲載し続ける恥知らずな破廉恥行為の数々…全く持って…非常識な糞怪お宅ですね♪♪♪
因みに、過去の「ドラGON拳ちゃん」の私には、お宅のコメントが苦痛で苦痛でたまりませんでした。
一時期、家内から「そんな相手は無視して、ネットへの書き込みもやめたら…」と言われました。
しかし、私にとっては、その苦痛に耐えて書き続ける事が苦行・修行でした。
だから、今は、あ宅の糞怪コメントには、結構な楽しさを感じているし…
とても、矛盾・弁証法の修行にもなり、
また「悟りへの道程」とも、位置付けられていて…
かなりの勉強になっています。
そして、りっかりと大きく目を開けて読んで下さい!
確かに「合宿」ではありません。
でも、「ネット界」で数年・数十年…の間、
互いに相手を否定し続けてのコメントの応酬を
「同じ世界で逃げずに闘論し続ける」が、
お宅の指摘、>この本で南郷先生は「合宿生活での闘論」を必須のものと説いていますから、自由びとさんは志願してそこに参加されるべきでしょう。<
事実的「合宿生活での討論」はなくても、
「ネット界での日々の書き込み生活での闘論」になり得ています。
だから、私が「口先だけ人間」でないのてす。
私は、「論理的」に「合宿生活での闘論」を主体性をもって主体的に実践し続けています。
論理的事実を分からずに、現実的な判断だけで、他人「口先だけの人間」と罵っている、
この事を言動不一致の矛盾の雲海お宅こそ、客観的には「口先だけの嘘つき人間」となりえます。
まあ~「お宅の観念的事実=現実的事実」と確信・認識している雲海お宅自身にとってのお宅は「口先だけの人間」とは、認識不能でしょうが…
非常識な行為を含むモノである。
もっとも…お宅的・特殊な雲海お宅の個人的常識は遺脱していない、ようですね。
だから、ネットのコメント欄に投稿できるのでしょうが…
この雲海お宅のように、特殊な個人的・雲海お宅の常識が、
ここネット界の一般常識と一致している…という思い込みが、
ここでの雲海お宅くの根本・根源的な矛盾なのでしょう。
以下↓が、その矛盾コメント。
・コメントが届いた記事
家内と私
・コメントを書いた人
雲海
・コメント
>>その内容の通りの生き様が、できたなら、人生を楽しめるものです。
>私はそれは御免こうむりますので、自由びとさんがご自分でなさることを願います
↑南郷氏は言葉は、「大志ある人間達へのモノ」なのに…
お宅のように、大志でなく、ただの自己満足を目的として、
ネットで「大志ある人々」を叩いて喜び楽しんでいる者達にとっては、
読む事自体が無意味なのに…
そんな仲間・お宅自身の無味乾燥・無意味な感情を、
「大志・悟りを求めている」自由びと記述を分かる筈ない…のに…
なのに、その言葉をお宅自身の人生に当て嵌めて
「…御免こうむります…」とは、全くの場違いの言葉・認識です。
そんな言葉は、⒉チャンネル玄和会スレッドで書いて下さい。
ある者が、「自分的に正しい常識・思考(非一般社会的)」を社会で実践した結果、犯罪者の烙印を押されてしまう、ような行為です。
自由びとも南郷氏も、お宅に、そんなモノ求めていません。
私へのお宅のコメント内容が、自由びとブログの目的・認識と相違しているからの私コメントです。
実社会で、赤の他人が、窓から聞こえた家の中の言動が気に食わないからといって、その家にわざわざ訪問して、自分の感想・考えを伝えようとしますか?
「訪問」なら確かに法律違反にはなり得ませんが…
非常に変な御仁・不審者には、なり得ます。
>この本で南郷先生は「合宿生活での闘論」を必須のものと説いていますから、自由びとさんは志願してそこに参加されるべきでしょう。
↑
お宅には、事実と論理の区別と連関には、全く無知で分ってもいません。
家族達の家庭内での生活が「合宿生活での闘論」ともなり得まい。
例えば、息子・娘達が、一人前の成人になって、彼・彼女達の将来設計を親に話した時、その方向性に両親が納得できなかった場合…そこに話し合いが発生し得ます。
そこで、母と父の意見が一致しない。息子と母は一致、息子と父は不一致…とう状況があり得ます。
これを互いが納得できるように徹底的に話しあったなら、それは論理的には「合宿生活での闘論」になり得ます。
>もっとも、むかし私が在籍していた頃も「年寄りは来なくていい」と若者の足手まといになるような老害は排除する傾向がありましたから自由びとさんが志願しても受け入れてもらえる保証は有りませんけどね。
↑
対象の本質を全く「分かっていない」のに、「分かっているつもり」の馬鹿お宅です。
玄和会の求める「若さ・若者」とは、肉体的な若さ・若者でなく、認識・精神的な若さ、精神的な若者です。
それは、頭脳の柔軟性を維持し続けられた者達、
若き心を持ち続けられている者達、
または、老いた心・体でも、若き心だけでも…求める者達…
そんな者たちです。
お宅の肉体年齢は知り得ませんが…
精神が、とても老い果てています。
だから、「自由学藝」の直接購入を拒否され、
あのとても勉強になり得る「オマケ」の入手不能なのですよ。
>私は自分はやらないのに他人にやらせようとする「口先だけ人間」が好きではありません。
↑
分かっていないね!
真摯な教員達が、教師として、
教え子達に、偉そうな事を言える自分を創る為に、どれ程の学び・実践があるか?
お宅は、その「口先だけ人間」の人生・24時間の生活を、どれだけ知っていますか?
私からすれば、「口先だけの人間」って、
言語不一致の矛盾お宅、
雲海お宅その者のように思えて仕方ないのですが…
>ちなみに膵臓ガンは生活習慣病の可能性が高いとされています。「ストレス」よりも「何を食べてきたのか?」という食生活への反省が先にくるのが南郷流であり玄◯流だと思いますが、自由びとさんにはそうした観点がありません。
↑
家庭が一緒でも、とても忙しかった家内と私の食生活・現実の仕事・活動は大きく異なっいました。
彼女は、お酒が大好きで毎晩ビールは必ず飲んでいました。
また、お酒を飲んで、太るから「白米・胚芽押し麦・五分付き米・玄米・雑穀」をミックスし特製ご飯は、食べませんでした。
>奥さまが膵臓ガンになったなら、同じ食生活をしてきた自由びとさんもなる可能性があるかも知れません。
↑
確かに、可能性は零ではありません。
しかし、努力に努力を重ねて結果が違っていた時には、父の口癖「運命」と納得するでしょう。
だから、私は絶対に「抗がん剤治療」は受けません。
運命に任せて、「どうぞ・そのまま、どうぞ・そもままに…」ですね。
>苦しむことを楽しむという言葉遊びが好きな自由びとさんには馬の耳に念仏なんでしょうけどね。
↑
分かっていないね!
「苦しむ事を楽しめる」までに至る過程の努力・苦痛を…
貧しかった時代の人々は、生きる為のどれだけ大変で苦痛の連続だったか?
彼らにとっては、生きる・生活できるのが喜び、だから、
その為の苦痛は当たり前のモノ、その当たり前を日々楽しむ姿勢…
それは、生きる喜びの為に、苦痛を楽しむ、努力なのです。
そもそも…「苦痛だからやらない・逃げる…だったら」彼らは、餓死への人生ですよ。
また、逃れられない苦痛を耐えきれない・ダメだ…と感じ続けやり続けたら「精神病への道」ですよ。
>自由びとさんは〇〇〇という〇〇〇だと聞かされましたけど、それは本当ですか?私が青空塾にいたとき〇〇〇という会員に会ったことはありませんけど。
↑
この○○○記述が、ネット界で、当人との信頼関係もなく、顔も生活の知り得ない・当人の承認・確認もせず、他人の名前を掲載してしまう行為。
そして、それを間違っている・場違い…と認識不能の能力?
または、ある他人の批判・否定に、別の他人の実名・虚名を掲載し続ける恥知らずな破廉恥行為の数々…全く持って…非常識な糞怪お宅ですね♪♪♪
因みに、過去の「ドラGON拳ちゃん」の私には、お宅のコメントが苦痛で苦痛でたまりませんでした。
一時期、家内から「そんな相手は無視して、ネットへの書き込みもやめたら…」と言われました。
しかし、私にとっては、その苦痛に耐えて書き続ける事が苦行・修行でした。
だから、今は、あ宅の糞怪コメントには、結構な楽しさを感じているし…
とても、矛盾・弁証法の修行にもなり、
また「悟りへの道程」とも、位置付けられていて…
かなりの勉強になっています。
そして、りっかりと大きく目を開けて読んで下さい!
確かに「合宿」ではありません。
でも、「ネット界」で数年・数十年…の間、
互いに相手を否定し続けてのコメントの応酬を
「同じ世界で逃げずに闘論し続ける」が、
お宅の指摘、>この本で南郷先生は「合宿生活での闘論」を必須のものと説いていますから、自由びとさんは志願してそこに参加されるべきでしょう。<
事実的「合宿生活での討論」はなくても、
「ネット界での日々の書き込み生活での闘論」になり得ています。
だから、私が「口先だけ人間」でないのてす。
私は、「論理的」に「合宿生活での闘論」を主体性をもって主体的に実践し続けています。
論理的事実を分からずに、現実的な判断だけで、他人「口先だけの人間」と罵っている、
この事を言動不一致の矛盾の雲海お宅こそ、客観的には「口先だけの嘘つき人間」となりえます。
まあ~「お宅の観念的事実=現実的事実」と確信・認識している雲海お宅自身にとってのお宅は「口先だけの人間」とは、認識不能でしょうが…
もちろん力一杯に否定する気にもならないのですが、自由びとさんが「私は口先だけ人間ではない!」と言うのなら「ああ、そうですか」としか言いようがありませんね。
奥さまはビールがお好きだったんですか、それにしても60代で膵臓ガンは早すぎますね。自由びとさんと同世代なら60代でしょう?それとも、もっと若かったんですか?
自由びとさんの言っている「苦痛を楽しむ」というのって「ビールだって最初は苦いだけだったのが、次第に美味しくなったんだぞ」ぐらいの話しで、人間の欲求階層説にあるような持って当然の欲求や快感の過程に苦しい時があるぐらいの話しじゃないかと思いますよ。
「マラソンの最初の苦しい時期を抜けると脳内麻薬がでてランナーズハイという快感の時期に至る」みたいな、分かりやすく言ったらそういうことで、それを分かりにくく言ったら自由びとさんみたいな表現になるということじゃないかな?
自由びとさんには抗がん剤の苦しみを楽しく味わって欲しいですけどね、生死一如で。
「白米・胚芽押し麦・五分付き米・玄米・雑穀をミックスした特製ご飯」というのは何がいいんです?
私は随分と前から穀類は食べなくなりました。もちろん、たまには食べますけどね。主食は蛋白質と脂質です。
食事のメンターから聞いた話しだと以前のカロリー栄養学から分子栄養学に時代は変わってきてるとかで、糖質が様々な病気の原因になってるというんですね。
最近、YouTubeで動画を見た極真の盧山さんが75歳でものすごく若々しくて、本人が言うには「私は野菜が大好きで、野菜をツマミに酒を呑むのだ」と。
この辺りは自由びとさんと仲が良いタマゴ氏なんかが詳しいのでしょうけど、腸脳相関で腸を整えておくと脳が良くなるという、逆じゃないみたいですね。
私と一緒ですね。
「白米・胚芽押し麦・五分付き米・玄米・雑穀をミックスした特製ご飯」というのを食べると膵臓ガンにはならないのですか?
私は久しく穀類は食べなくなってますけどね。
ものの本だと、いきなり膵臓ガンにはならないで膵炎になってから膵臓ガンに移行するみたいに書いてありますけど、奥さまにその兆候はなかったんですか?
夫婦で食生活が違って、食生活について対話することもなく奥さまだけ亡くなって、旦那は苦しみを楽しみたいけど抗がん剤の苦しみは嫌だよ、と(笑)
それって「ビールだって最初は苦いだけだけど、そのうち美味しくなってくるんだぞ!」ぐらいの話しだと感じますね。