よく聞かれる言葉に「好き嫌いも個性」がある。
本当に、「好き嫌いは個性」なのだろうか?
そもそも…人間は個性を持って生まれてくるのだろうか?
それとも…人間の個性は、生後の生活の中で形成されるのだろうか?
全ての人間が、個性を持って生まれてくるのなら、
その個性は、人間一般の性質であり個性とは言い得ない。
個性とは、その個体特有の性質だろうから…
人間とは、「認識的実在」or「観念的実在」」と言われている。
認識と観念の相違は、
認識が、一瞬一瞬の現実・対象を(頭脳内に)反映した(静止)像なら、
観念は、その一瞬一瞬の像を(頭脳内)連続させた(運動)像、と私は考えている。
この「実在」とは、
人間の頭脳内の認識・観念が、
その人間の現実・存在のあり方を創り上げている事。
認識は五感情像であり、同じ対象に対する像でも、
その時々の五感覚バランスの違いで異なったモノを描いてしまう。
更に人間の認識は、問いかけ的な反映像であり、
その問い掛けの内容は、
過去から現在まで認識の運動像(観念)の全体像(認識)でなされる。
一つ一つの認識(像)の連続が観念でも、
その連続像を全体として一つの像で描かれたなら、それは認識。
認識から観念(静止像の連続で運動像)を創り、
その観念を全体として一つの認識(運動を一つ全体像)に創り上げる。
観念なき認識は、ありえても、認識なき観念はありえない。
もっとも…現代社会では、認識なき知識・観念像はあり得ているが…
人間の個性とは、
一つ、個性的な言動、個性的な感情表現、個性的な行為・行動…
二つ、人間の個性とは、個性的な問い掛け、個性的な認識…
言うなれば、個性的な運動表現と個性的な認識…の二重性が考えられる。
ここで個性的とは、多くの人間の共通な運動表現と問い掛け認識…
言うなれば、社会的なモノとの相違の大きさ、と言えよう。