この度は、以下のような大変なご迷惑をかけて済ませんでした。
「>歌と言えば、一時期長渕剛の「RUN」を弁証法の唄と狂ったように聞きまくりました。家内から「キチガイになるから、もうやめて!と言われていました」。 最近は、中島みゆきand吉田拓郎の「永遠の嘘をついてくれ」と吉田拓郎「流星」に嵌っています。その理由は、これらが現在の私の認識・感情にしっくり きている、から。」
↑
これは引用ではなく、全て私事であり私の体験・経験の言葉です。
tadaさん本当に感謝・校正を感謝。 雲海上人and南郷師範、誠に失礼しました。
雲海上人は さて置き、師範・〇〇会の顔に泥を塗ってしまいました。
また、南郷・継正自由びとの顔にもドロですね。
×「>歌と言えば、…」
〇「歌と言えば、…」
「>歌と言えば、一時期長渕剛の「RUN」を弁証法の唄と狂ったように聞きまくりました。家内から「キチガイになるから、もうやめて!と言われていました」。 最近は、中島みゆきand吉田拓郎の「永遠の嘘をついてくれ」と吉田拓郎「流星」に嵌っています。その理由は、これらが現在の私の認識・感情にしっくり きている、から。」
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これは引用ではなく、全て私事であり私の体験・経験の言葉です。
tadaさん本当に感謝・校正を感謝。 雲海上人and南郷師範、誠に失礼しました。
雲海上人は さて置き、師範・〇〇会の顔に泥を塗ってしまいました。
また、南郷・継正自由びとの顔にもドロですね。
×「>歌と言えば、…」
〇「歌と言えば、…」
そんな30年分の修業ノートなんて特に知りたいとも思っていない私に勿体つけるよりも他に学びたい人がいるやも知れませんでしょう?
随分と前に精神科医の先生が書いた武士の本を読んだんですが、貴族と違って武士というのは独立心が強くて人に付き従うより独立して己の城を築くことを望んだらしいです。
つい先日も私が所属していた大流派の初代チャンピオンで伝説的な師範が独立して自分の流派を興しましてね。
南郷先生も埼玉大学空手部の初代師範の高橋さんや祝嶺先生から独立して自分の流派を立ち上げたわけですし、才覚があれば成功するでしょう。
極真のチャンピオンだった数見さんが独立して数見道場を立ち上げたとき『もののふの血』という本を出して、私は意味深なタイトルだと思ったんですよ。というのも「もののふ」に似た言葉に「さむらい」というのがありますけど、「さむらい」は「貴人に従う人」なのに対して「もののふ」は「物部一族」で天皇家に反旗を翻した武人たちですから。
だから「もののふの血」というタイトルが師匠であった広重さんに付いて行かなかったことを示唆しているようで意味深だと感じたわけですけど、武士としての実力で名を上げようと欲するならば自然な成り行きだったのかも知れませんね。
蕎麦屋なんかも何時迄も師匠に付き従うようなのはいませんし、自由びとさんも開業というか道場を開けば収入の足しになるでしょう?
それなくして黒帯だとか金帯だとか関係ありませんよ(笑)
私は武道でなく格闘技のジムでも汗を流してましたけど、ジムだと先輩後輩の先に入ったとか後から入ったとかの式たりみたいなのもないし、そっちのほうが気楽でいいという人は特に年齢が高い人に多かったですよ。
社会的な地位が高くて社長なんかやってる人が、後から入ったというので先輩にヘイコラさせられるのも嫌でしょうし。
もっとも…時には重苦しくなる事もありますが
それは、武道的な雰囲気なのか?と思っています。
また、普通の空手ではない「[護身空手」を習いたいのです。
自分より年下でも、その道の先輩なら、私は当然に後輩です。
ですが30年も続けていれば既に「習う」という次元でなく、昔の武人でいったら「免許皆伝」でしょうから後は自分の工夫と努力で更なる道を拓いていくものではないかと考えますけどね。
だから敢えて言えば「習う」ではなく「他者に教える」という次元の人で、私は歩いている道が自由びとさんとは違いますけど、自由びとさんが歩いてきた道を求める後進を前にして何時迄も「南郷先生から教わる、教わる」なんて言ってたら示しがつかないのではないか?という気もするのですが如何です?
南郷先生も書いていましたけど「師は弟子に抜かれるもの、弟子は師を追い越すもの」でしょうから、30年以上も学んだ人なら「魚ばかりか釣り方」までも会得しているはずでしょう。そこから先は「守破離」で離れて独自の道を行くのでは?
私も色々なものを見てきましたから、自分の中に目利きというか鑑定眼のようなものが作られていて、飲んだときに高級なワインなのか安物のワインなのかを判断できる自分でいたいんですね。
私が 始めたいのは、武道空手ではなく、武道護身空手です。
それを専門家から習って何が悪いの?
もし…私が、私の中途半端にな空手を他人に教えたら、その人に「悪い!」でしょうが…
何からの「守破離」なの?か、が重要ですね。
空手は、「守」のままで~。
新たに「護身空手」の習得を目指したい!。
目的は、「自己の為の護身」技の習得ですね。
でも…私の場合は、「空手技の使い方・技」や「崩し技」がいいな~
因みに「私の悟りへの道」は「私の人生を歩む過程での道」ですね。
南郷先生は「ファーブルの学習法」とかいって「学びながら教え、教えながら学ぶ」ことを奨励していて、大学の空手部でも2年生になったら一年生に自分が一年生の時に習ったことだけは教えられると指導することを勧めていたはずですよ。
それが30年以上も学んで「中途半端な空手」なら南郷先生の上達論のほうが否定される問題でしょう?30年もかけて初心者一人教えられない弟子しか育てられない、と。
自由びとさんの言ってることは何か変、ホント、空手をやってない寄筆さんだとしか思えませんね。
2023-04-12 07:48:29
>自由びとさんの言ってることは南郷先生が書いてることと全然ちがうように思うんですよね。
↑
確かに、違うようですね…
>南郷先生は「ファーブルの学習法」とかいって「学びながら教え、教えながら学ぶ」ことを奨励していて、大学の空手部でも2年生になったら一年生に自分が一年生の時に習ったことだけは教えられると指導することを勧めていたはずですよ。
↑
>これが30年以上も学んで「中途半端な空手」なら南郷先生の上達論のほうが否定される問題でしょう?30年もかけて初心者一人教えられない弟子しか育てられない、と。
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記録を調べたら、七年かかかって初段をとり…
その数年数年後に玄〇会を仕事の都合で退会していました。
だからお宅の「30年」という認識は私の事実とは異なっています。
そもそも…頼まれれば教えとも思いますが…
自分からすすんで教えたいとは、思いません。
>自由びとさんの言ってることは何か変、ホント、空手をやってない寄筆さんだとしか思えませんね。
↑
「何か変」とお宅に思えるのは、私という人間理解不足なのでしょうね…