よく通るこの県道80号線で、この案内板はいつも気になっていたのです…
🚙はハザードを付けて路肩に寄せて駐車しました。
この県道は「奈良市と名張市」を結ぶ主要地方道なので交通量が比較的多い、
できるだけ遠慮?して止めた方がいいと思いました、
きっと、止まり難さもあって(ワタシハ)敬遠していたかもしれない…と。(止まってみて思う)
案内板通りに進みます、
さて、山道を入りますが、その先はなんと「茶畑」だった…
案内板はとても親切、
道からは絶対見えない隠れ茶畑
人一人通れる、枯葉で被われたふかふかの道を歩きますが、
傍らは崖!落ちたらけがをしそうです、気を付けて歩きます。
ほんの少し歩けば目の前に、巨石出現!

先に見たのは「裏側」でした、表にはちゃんとお地蔵様がおられました。
酔ってるように斜めになってますが、これは人間がまっすぐ立って見ると
巨岩に角度がついているので「斜めに」見えてしまうんです
なので写真を撮るには足場の確保が重要! けっこう難しいもんです(笑)。

できるだけ真っ直ぐに撮れるように、と努力はしましたが、
素人目には「厳しいお顔」のように見えましたが、、、
では、「説明版」を
≪山添村指定文化財
(昭和41年9月20日指定)
法楽地藏立像
建武5年(1338年) 北野区
「建武五年戊寅七月十□日□大夫」 の造像銘の磨崖地蔵像で、
鎌倉時代 (南北朝)のすぐれた石仏である。像高75cm である。
ホーラクというのは、ホーラクを割って(しまったことを)悲観して死んだ炮烙(ほうらく)売りを
供養するために造立した(ことから出る)といわれる。
また、ホーラクは法楽の意で、法楽は神に向かって誦経(しょうけい)し、
陀羅尼(だらに)を唱えることをいう。
あたかも、ここは伊勢参宮街道に面して、伊勢神宮に奉謝の本願から
造立されたともみられる。 山添村 ≫
茶畑から見る「地蔵様」への道
茶畑と杉林、そして空
名阪山添IC方面からの案内板
(往復すると矢印の方向が違う、当たり前ですけど
)
大和高原にはこうした磨崖石仏が数多く残されていて、
奈良の都に近いという地理的条件と(県道80号線は「ならまち」に向かいます)
山岳(巨石)宗教に根ざした信仰が折り重なっているのでしょうか?
伊賀ではそこかしこで「役行者(エンノギョウジャ)」様にお会いしますが、
そういえば、役行者さまも「山岳修行」してますよねぇ、奈良との「縁の」行者さま?
「鬼行列」絡みの思考回路なので、あしからず…
ではまた、
🚙はハザードを付けて路肩に寄せて駐車しました。
この県道は「奈良市と名張市」を結ぶ主要地方道なので交通量が比較的多い、
できるだけ遠慮?して止めた方がいいと思いました、
きっと、止まり難さもあって(ワタシハ)敬遠していたかもしれない…と。(止まってみて思う)

さて、山道を入りますが、その先はなんと「茶畑」だった…
案内板はとても親切、



人一人通れる、枯葉で被われたふかふかの道を歩きますが、
傍らは崖!落ちたらけがをしそうです、気を付けて歩きます。
ほんの少し歩けば目の前に、巨石出現!


先に見たのは「裏側」でした、表にはちゃんとお地蔵様がおられました。
酔ってるように斜めになってますが、これは人間がまっすぐ立って見ると
巨岩に角度がついているので「斜めに」見えてしまうんです

なので写真を撮るには足場の確保が重要! けっこう難しいもんです(笑)。




できるだけ真っ直ぐに撮れるように、と努力はしましたが、
素人目には「厳しいお顔」のように見えましたが、、、
では、「説明版」を
≪山添村指定文化財
(昭和41年9月20日指定)
法楽地藏立像
建武5年(1338年) 北野区
「建武五年戊寅七月十□日□大夫」 の造像銘の磨崖地蔵像で、
鎌倉時代 (南北朝)のすぐれた石仏である。像高75cm である。
ホーラクというのは、ホーラクを割って(しまったことを)悲観して死んだ炮烙(ほうらく)売りを
供養するために造立した(ことから出る)といわれる。
また、ホーラクは法楽の意で、法楽は神に向かって誦経(しょうけい)し、
陀羅尼(だらに)を唱えることをいう。
あたかも、ここは伊勢参宮街道に面して、伊勢神宮に奉謝の本願から
造立されたともみられる。 山添村 ≫



(往復すると矢印の方向が違う、当たり前ですけど

大和高原にはこうした磨崖石仏が数多く残されていて、
奈良の都に近いという地理的条件と(県道80号線は「ならまち」に向かいます)
山岳(巨石)宗教に根ざした信仰が折り重なっているのでしょうか?
伊賀ではそこかしこで「役行者(エンノギョウジャ)」様にお会いしますが、
そういえば、役行者さまも「山岳修行」してますよねぇ、奈良との「縁の」行者さま?
「鬼行列」絡みの思考回路なので、あしからず…

ではまた、