山添村北野「法楽地蔵立像摩崖仏」、やっと会えました

2021-09-07 23:33:21 | 神社仏閣など
よく通るこの県道80号線で、この案内板はいつも気になっていたのです…
🚙はハザードを付けて路肩に寄せて駐車しました。
この県道は「奈良市と名張市」を結ぶ主要地方道なので交通量が比較的多い、
できるだけ遠慮?して止めた方がいいと思いました、
きっと、止まり難さもあって(ワタシハ)敬遠していたかもしれない…と。(止まってみて思う)
 案内板通りに進みます、

さて、山道を入りますが、その先はなんと「茶畑」だった…
案内板はとても親切、
   道からは絶対見えない隠れ茶畑
人一人通れる、枯葉で被われたふかふかの道を歩きますが、
傍らは崖!落ちたらけがをしそうです、気を付けて歩きます。

ほんの少し歩けば目の前に、巨石出現!
 
先に見たのは「裏側」でした、表にはちゃんとお地蔵様がおられました。
酔ってるように斜めになってますが、これは人間がまっすぐ立って見ると
巨岩に角度がついているので「斜めに」見えてしまうんです
なので写真を撮るには足場の確保が重要! けっこう難しいもんです(笑)。
 

  
できるだけ真っ直ぐに撮れるように、と努力はしましたが、
素人目には「厳しいお顔」のように見えましたが、、、

では、「説明版」を
≪山添村指定文化財
  (昭和41年9月20日指定)
法楽地藏立像
  建武5年(1338年) 北野区
「建武五年戊寅七月十□日□大夫」 の造像銘の磨崖地蔵像で、
鎌倉時代 (南北朝)のすぐれた石仏である。像高75cm である。
ホーラクというのは、ホーラクを割って(しまったことを)悲観して死んだ炮烙(ほうらく)売りを
供養するために造立した(ことから出る)といわれる。
また、ホーラクは法楽の意で、法楽は神に向かって誦経(しょうけい)し、
陀羅尼(だらに)を唱えることをいう。
あたかも、ここは伊勢参宮街道に面して、伊勢神宮に奉謝の本願から
造立されたともみられる。    山添村 ≫

 茶畑から見る「地蔵様」への道

 茶畑と杉林、そして空

 名阪山添IC方面からの案内板
(往復すると矢印の方向が違う、当たり前ですけど

大和高原にはこうした磨崖石仏が数多く残されていて、
奈良の都に近いという地理的条件と(県道80号線は「ならまち」に向かいます)
山岳(巨石)宗教に根ざした信仰が折り重なっているのでしょうか?

伊賀ではそこかしこで「役行者(エンノギョウジャ)」様にお会いしますが、
そういえば、役行者さまも「山岳修行」してますよねぇ、奈良との「縁の」行者さま?
「鬼行列」絡みの思考回路なので、あしからず…

ではまた、
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山添村桐山「戸隠神社」へ、そして「鳥ヶ淵の地蔵」様に会う

2021-09-07 00:17:32 | 神社仏閣など
google地図上で見つけた「戸隠神社」(桐山)、本殿の色彩や石段や紅葉が綺麗との噂。
こういうところへ行ってみたい!と思うのがワタシの常(笑)。

布目川の橋の🚥から「わんぱくどうぶつえん」が見えます、今日はお休み(笑)。
その🚥を右へ、少し走ると「布目まごころ市」という地場産市場や「桐山公民館」、
そして「布目ダム湖」が目の前です。
 
そのダム湖の前にこの神社はあります。
では、wakuwakuお参りです。
戸隠神社(山添村桐山)
  苔生す石段と(まだまだ)青もみじの景色

   
(あわてんぼうの)彼岸花一輪と小さな滝が見え、
ご神体かもしれない山からの清水が冷たく気持ち良かったです。
小さな滝の手前に、小さな仏様
  (ワタシにはどなたなのかわかりません アシカラズ)
石段の途中から綺麗な拝殿や朱色の本殿が垣間見えます
  
周りの緑のグラデーションにやがて来る秋が楽しみです
本殿を右から
  
木造の覆屋に囲まれた本殿
  
摂社は左から「秋葉神社」「杵築(きづき)神社」「春日若宮神社」。

木々の霊気をいただきながら下りますが、
目の前の布目のダム湖の安全も見守ってくれている神社なんだなぁと、
詳しい経緯はわかりませんが心落ち着く穏やかな場所でした。
  きっと紅葉も綺麗ですよ

※参考:山添村語り部のはなし「三か村縁組みご法度

さて、目的はココだけのつもりが、ダム湖を見たら心躍ります…
ほんの少しだけ周りを歩くと
  岩の並ぶミニ公園っぽいところ
よく見ると「鯉」さんも泳ぐ、何か謂れのありそうな雰囲気です
   
かなり古いのか、水の中にでもいらしたのかよくわかりませんが、
きちんとした説明書きがありましたので転書いたします…

【烏ヶ淵阿弥陀地藏二尊磨崖仏
≪村指定史跡
阿弥陀像と地蔵像を淵の中にある巨石に彫った磨崖仏で他に類例がなく、
寛政の年号と法名が刻まれています。 二尊とも像高は87cmあります。
島ヶ淵の堰を築造した故人の供養と度重なる水害を逃れるために
切りつけたと考えられます。
なお、布目ダムの建設による水没を免れるため、巨岩を切断して移築し、
ここに復元した。移転前の状態を維持するよう、池を設けて安置している。
山添村教育委員会(てんまる) ≫

荒ぶる川とダムの歴史に翻弄されつつも
村を見守り続けてくれた摩崖仏様たち かもしれませんね。

さて、帰り道の寄り道先は、また次回。
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