この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

マイケル・ムーアについて。

2006-11-10 23:59:17 | 戯言
 二年前、アメリカ大統領選でブッシュが再選したとき、自分はHPの掲示板で「これでこの世も終わりだ!」というような内容の板を立てました。
 無論、この世も終わりだ、なんていうのは言葉のあやにすぎませんが、以後のイラク戦争において罪のない、多くの民間人の命が奪われたことはすでに周知の事実であると思います。
 それでですね、板を立てた直後、「せぷはマイケル・ムーアに洗脳されている!(だからブッシュが再選されたことでこの世も終わりだなんて思うのだ)」という書き込みをしてきたヤツがいたんですよ。
 なんだ、そりゃ、と思いましたよ。確かに自分はマイケル・ムーアは好きですけど、だからといって彼の言動だけで板を立てたわけではなかったですからね。それで自分なりになぜそう思うに到ったか、根拠を挙げて反論したんですけど、一切無駄でした。まともな話し合いにならないんですよ。もう何だか別の星のヤツと論戦を交わしているような気分でした。自分が何か反論するとその三十分後ぐらいにはその倍ぐらいの書き込みがダダダーッとされるんです。恐怖すら覚えました。挙げ句のはてに「(オフ会で)一目見たときからお前のことは気に喰わなかった」(だったら最初から掲示板に来るなよ!!)とか「差別的な発言が許せん」(何の差別だよ!)とか「同じようにお前を嫌ってるヤツからメールをもらったことがある」(どーゆー知り合いだよ!)とか、散々言いたい放題言いまくって、よーやくそいつは去っていきました。
 掲示板は荒れるだけ荒れて、親しかった友人の何人かも去りました。
 今でもそいつがネットライフをエンジョイしてるかと思うとはらわたが煮えくり返る思いですが、まぁそれはどーでもいいんです。そいつが二度と自分の近くに現れなければそれでいい。
 今ここで取り上げたいのは他でもない、マイケル・ムーアその人です。
 マイケル・ムーアのことが好きだ、とはいいましたが、どれぐらい好きかというとアメリカ人の中で唯一友達になれるとしたら彼と友達になりたいと思ってるぐらいです、でも決して彼に洗脳されているわけではありません(洗脳されているヤツは大概そう言うでしょうけれど)。
 なぜなら自分はマイケル・ムーアの人柄は好きだけど、ジャーナリストとしては二流だと思っているからです。
 掲示板の件のヤツはムーアの『ボウリング・フォー・コロンバイン』を差して、「ドキュメンタリーとして偏った内容で感心できない」というようなことを述べてたんですが、これはまったくもって頓珍漢な感想です。
 なぜならドキュメンタリーというものはすべて偏っているからです。例えば『大自然紀行』みたいなドキュメンタリーで物質文明の利便性が説かれることは一切ありません。ひたすら大自然の偉大さを讃え、動植物の営みの面白さを取り上げています。無論それで構わないのです。ドキュメンタリーにおいて忌むべきは内容が偏っていることではなく、まず偽りの内容が語られること、つまりはヤラセですが、もう一つ、ジャーナリストの存在が過剰なまでに露出することです。
 映画『華氏911』で、イラク戦争で亡くなった息子のことを想って泣き崩れる女性にマイクを持ったムーアが駆け寄って支えるというシーンがあります。この行為は人として100%正しいのですが、一人のジャーナリストとしてみた場合、実は正しくありません。
 例えば『大自然紀行』というドキュメンタリーでアザラシの赤ちゃんが北極グマに襲われるシーンがあったとします。アザラシが北極グマに食い殺されようとするシーンを見て、視聴者は、大自然は残酷だとか、生きるということは大変なのだとか、赤ちゃんが可哀相だとか、様々な感想を持つに到ります。しかし今ここでレポーターがアザラシを助けに入ったらどうでしょう。そして実際助けてしまったら?視聴者の思考はその時点で止まってしまいます。
 幼い命が奪われようとしている、何とかして助けたい、そう思う感覚は正しいのです。しかし、ジャーナリストは時にカメラの前では冷酷にならなければいけません。そうでなければ作品はドキュメンタリーとして二級品になるか、もしくはドキュメンタリーですらなくなってしまいます。
 ムーアも同じ過ちを犯しています。ムーアは女性を助けるべきではなかった。少なくともカメラの前では。そうでなければ見ている側はこの行動を単なるパフォーマンスとして捉えてしまう危険性があるのです。
 思うに、ムーアのいっていることは正しい。イラク戦争に大義はない。この戦争を仕掛けたアメリカ軍、つまりブッシュ一派に正義は欠片ほどもない。
 しかしながら主張の正しさほどには彼の言葉は人々の心には届かない、彼の言葉では人々の心を揺り動かすには到らない、そう思うのです。
 なぜかというと彼が過剰に露出しすぎているから、わかりやすく言うとでしゃばり過ぎているのです。
 そのため見ている側は彼の映画を単なるパフォーマンスと取るか、もしくは(彼の映画を見て自分が動かずとも)彼にすべてを任せておけばいい、と丸投げしてしまう危険性があります。
 それでは決してそのドキュメンタリーは一級品とは呼べず、それを制作したジャーナリストもやはり一流とはいえないのです。

 これが自分のおおよそのマイケル・ムーア評ですが、これでも自分はやはりムーアに洗脳されているんですかね。笑。
 ともかく、洗脳といえば、アメリカの中間選挙において上下院で十二年ぶりに民主党が過半数を超えるのを見るにつけ、ようやくアメリカ国民もイラク戦争には大義があるという洗脳から解かれたのかなぁと思います。
 イラク戦争でアメリカを支持したすべての国が自らの過ちを認める日が来ればいいと思うんですけど、、、どうでしょうね?
コメント (2)
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