デイミアン・チャゼル監督、ライアン・ゴズリング主演、『ラ・ラ・ランド』、2/25、Tジョイ久留米にて鑑賞。2017年3本目。
ミュージカル映画はあまり好きじゃありません。
その理由は、登場人物が突然歌い出したり、踊り出したりするから、、、というのもありますが、ミュージカル映画特有の、登場人物が歌い出したり、踊り出したりすれば見ている人はそれで満足でしょ?という作り手の甘えみたいなものが見て取れることがあるからです。
ホラー映画についても似たようなことが言えます。
ホラー映画なんだから、血飛沫がドパドバ飛んだり、人がバンバン殺されたりすればそれでいいでしょ?というような作りのホラー映画は好きじゃありません。
不死身の殺人鬼が出てきて人を殺しまくるだけのホラー映画なんて見ていて退屈なんだよ!
自分はホラー映画にこそ緻密な脚本と冴えた演出を求めます。
そういった意味で『ラ・ラ・ランド』は典型的なミュージカル映画でした。脚本が非常に雑に思えました。
どこら辺が雑と思ったのか、例えば、映画のオーディションに落ちまくったヒロインのミアは、心機一転、一人芝居の舞台をすることを思い立ちます。自らが脚本を書いたお芝居の主人公を彼女自身が演じるのです。自作自演って奴ですね。
まぁそこまではいいんですよ。
でも、いくら一人芝居とはいえ、何もかも一人では出来ないはずですよね。
演出は誰がやるの?小道具や舞台セットを作るのは誰?音楽や照明の打ち合わせはしないでいいの?何より宣伝は?芝居って、芝居を打つのと同じぐらい宣伝をすることが重要なんだよ?誰も見に来てくれない芝居なんて興行をする価値はないもの。
作中そういったことは一切描かれることなく、いつの間にか公演日を迎えるのです。
そして芝居は無残な結果となります。
客席はほとんど埋まることなく、そのわずかな客からも「ひどい出来だった」と酷評される始末。さらに恋人のセバスチャンはダブルブッキングによりドタキャン!
失意の彼女は故郷に帰ることにするのです…。
故郷に帰った彼女にセバスチャンが嬉しい知らせをもたらします。
無残な結果となったと思われた彼女の芝居を映画のプロデューサーが観に来ていて、絶賛し、彼女に映画出演のオファーをするのです。
ここで疑問が生じます。
おそらく恐ろしく忙しいであろう映画のプロデューサーがどうして無名の女優の一人芝居なんて観に来たのか?プロデューサーもそんなに暇じゃあないだろうに。
っていうか、芝居が終わった後、客席が映し出されたけど、それらしき人物は見当たらなかったけど?隠れていたの?
さらに言えば、一般客が「ひどい出来」と称した芝居の、何がよかったというのか?
だいたい自らが関わる映画に出演して欲しいと思うぐらい感動したのであれば、その芝居を演じたミアがオーディションにやって来たら直接芝居の感想を伝えそうなものだけどね。「君のあの舞台はとてもよかったよ!」というふうに。
そのようなシーンはもちろんなく、それどころか芝居を観たと思われる人物すら登場しないのです。
う~~~ん、雑な脚本だなぁ…。
しかしまぁ『ラ・ラ・ランド』はミュージカル映画ですからね。雑な脚本も問題ないのでしょう。
そして『ラ・ラ・ランド』はミュージカル映画としては水準以上の出来映えだと思います。
何といっても冒頭の渋滞した高速道でのダンスシーンは目を奪われました。
この場合の「目を奪われた」というのはOKGoのミュージックビデオを見たときの感覚に似ていますね。
感動ではなく、感心。
そういったダンスシーンを大スクリーンで観ること自体に意義があるのかもしれません。
お気に入り度★★★、お薦め度★★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
ミュージカル映画はあまり好きじゃありません。
その理由は、登場人物が突然歌い出したり、踊り出したりするから、、、というのもありますが、ミュージカル映画特有の、登場人物が歌い出したり、踊り出したりすれば見ている人はそれで満足でしょ?という作り手の甘えみたいなものが見て取れることがあるからです。
ホラー映画についても似たようなことが言えます。
ホラー映画なんだから、血飛沫がドパドバ飛んだり、人がバンバン殺されたりすればそれでいいでしょ?というような作りのホラー映画は好きじゃありません。
不死身の殺人鬼が出てきて人を殺しまくるだけのホラー映画なんて見ていて退屈なんだよ!
自分はホラー映画にこそ緻密な脚本と冴えた演出を求めます。
そういった意味で『ラ・ラ・ランド』は典型的なミュージカル映画でした。脚本が非常に雑に思えました。
どこら辺が雑と思ったのか、例えば、映画のオーディションに落ちまくったヒロインのミアは、心機一転、一人芝居の舞台をすることを思い立ちます。自らが脚本を書いたお芝居の主人公を彼女自身が演じるのです。自作自演って奴ですね。
まぁそこまではいいんですよ。
でも、いくら一人芝居とはいえ、何もかも一人では出来ないはずですよね。
演出は誰がやるの?小道具や舞台セットを作るのは誰?音楽や照明の打ち合わせはしないでいいの?何より宣伝は?芝居って、芝居を打つのと同じぐらい宣伝をすることが重要なんだよ?誰も見に来てくれない芝居なんて興行をする価値はないもの。
作中そういったことは一切描かれることなく、いつの間にか公演日を迎えるのです。
そして芝居は無残な結果となります。
客席はほとんど埋まることなく、そのわずかな客からも「ひどい出来だった」と酷評される始末。さらに恋人のセバスチャンはダブルブッキングによりドタキャン!
失意の彼女は故郷に帰ることにするのです…。
故郷に帰った彼女にセバスチャンが嬉しい知らせをもたらします。
無残な結果となったと思われた彼女の芝居を映画のプロデューサーが観に来ていて、絶賛し、彼女に映画出演のオファーをするのです。
ここで疑問が生じます。
おそらく恐ろしく忙しいであろう映画のプロデューサーがどうして無名の女優の一人芝居なんて観に来たのか?プロデューサーもそんなに暇じゃあないだろうに。
っていうか、芝居が終わった後、客席が映し出されたけど、それらしき人物は見当たらなかったけど?隠れていたの?
さらに言えば、一般客が「ひどい出来」と称した芝居の、何がよかったというのか?
だいたい自らが関わる映画に出演して欲しいと思うぐらい感動したのであれば、その芝居を演じたミアがオーディションにやって来たら直接芝居の感想を伝えそうなものだけどね。「君のあの舞台はとてもよかったよ!」というふうに。
そのようなシーンはもちろんなく、それどころか芝居を観たと思われる人物すら登場しないのです。
う~~~ん、雑な脚本だなぁ…。
しかしまぁ『ラ・ラ・ランド』はミュージカル映画ですからね。雑な脚本も問題ないのでしょう。
そして『ラ・ラ・ランド』はミュージカル映画としては水準以上の出来映えだと思います。
何といっても冒頭の渋滞した高速道でのダンスシーンは目を奪われました。
この場合の「目を奪われた」というのはOKGoのミュージックビデオを見たときの感覚に似ていますね。
感動ではなく、感心。
そういったダンスシーンを大スクリーンで観ること自体に意義があるのかもしれません。
お気に入り度★★★、お薦め度★★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。