おもしろきこともなき世を おもしろく すみなすものは・・・

セロ弾き 呑み鉄 蕎麦打ち~趣味とともに楽しく過ごしたい今日この頃

秋の気配を感じる一こま

2017-08-20 19:43:45 | 雑感
 東京では、8月に入って20日間連続で雨が降っているそうだ。

 今日のいわきは曇り空、時折、晴れ間も観られた。

 いつものように、小川町へ水汲みへ。途中、秋の気配を感じる一こま。





 栗が落ちてきている。まだまだ小ぶりで、茶色に色づいていないが、日も徐々に短くなってきた。


 明日から3日間、人間ドック、健康チェックをしてこよう。
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東日本大震災 6回目の命日

2017-03-11 19:36:16 | 雑感
 3月11日 追悼の日

 いわき芸術文化交流館・アリオスで、東日本大震災犠牲者追悼式が執り行われた。





 以前にも書きコしたが、小生、2011年3月11日、スーパーひたち(当時)で江戸に向かっていた。羽鳥駅約1キロ手前で急停車、電車の車体が弾むように揺れ、そこから羽鳥駅まで線路上を歩き、その日は小美玉市の小学校で避難生活であった。携帯のテレビで、津波の状況が刻一刻と入ってきた。ただ、あれほどの被害者になるとは、その時点では想定もできなかった。避難所となった体育館ではラジオが流され、津波被害もさることながら、原発の非常事態宣言が、より大きな情報として流されてきた記憶がある。いわきまで戻るとき、タクシーの運ちゃんが「爆発したよ」と何気に言ったことを思い出す。


 あれから6年、復旧・復興は進む。原発の避難区域でも避難解除されてきている。

 残すところは「心」だ。「心」が復興しなければ、真の復興ではない。


 6年目の命日  合掌
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「旅の終りは個室寝台車」 宮脇俊三著

2017-01-26 20:45:36 | 雑感
 この本の著者によるあとがきには、「『小説新潮』の昭和57年1月号から昭和59年7月号にかけて飛び飛びに掲載されたものである。」と記されている。10編で構成されており、最後のタイトルが「旅の終りは個室寝台車」である。1987年に国鉄が民営化されたので、この紀行文は、国鉄時代のものである。


   


 この旅に同行したのが新潮社編集部の「藍色の小鬼」こと藍孝夫氏である。最初のエッセイ「にっぽん最長鈍行列車の旅」から、藍色の小鬼と著者とのやりとりが面白い。ちなみに、当時の最長鈍行列車は、門司発5:22、山陰本線経由、福知山23:51。約18時間半の旅である。単線区間であることから、特急や急行の待ち合わせなど、停車時間も長い。最後には、編集者の藍さん「なんだか名残惜しくなってきました、この汽車が」、小鬼の目に涙である。
 第二編は「東京-大阪・国鉄のない旅」、東京から国鉄(国鉄バス含む)を使わずに大阪まで行く旅である。使えるのは私鉄とバス、これに類するような路線バスの番組もあったような。小生も、本書を眺めながら、今現在、これが可能か確かめながら読んでみた。調べた限りでは、不可。やはり、バス路線が消失している。
 第四編「東京-札幌・孤独な二人旅」、鉄道が敷設されてから、東京・札幌は「車中一泊」の壁が破れなかった。しかし、昭和57年の東北新幹線開業(大宮・盛岡間)でその日の内うちに到着可能に。ただし、上野発7:17のリレー号で大宮まで、大宮発8:00で札幌着は23:25。で、まだ青函連絡船である。盛岡駅、「新幹線の駅は空港とおなじように個性も味もない。「盛岡」と書いてあるから盛岡に着いたなと思うけど、盛岡の臭いは漂ってこない。」確かにそうである、というか、「まち」そのものが、全国チェーンの看板で埋め尽くされており、かろうじて遠目に見える借景で、その土地を知ることになる。都市化はまちの個性を崩壊させるのかもしれない。一方で「それにくらべると、在来線はちばう。といっても、駅の機能上、あまり個性的になるわけにいかないのだが、やはり長く使いこんできただけに、その土地の香がする。新幹線から在来線のホームに下りると、よそ行きから普段着に着替えたような気がする。」。ただ、その土地の香がする駅も、無人化、老朽化で、簡易的な、プレハブのような駅舎に建て替えられてしまっている。地域で頑張って保存活動をしている所もあるが、極マレである。機能論が先んじ、「土地の香り」は置き去りになってしまっている。そして、やはり新幹線との比較となっているが、「乗りものには、それぞれの分相応の速度というものがあるように思えてならない。在来線の幹線なら90キロぐらい、ローカル線で約50キロ、東海道新幹線も150キロぐらいのときが、一番自然である。」。引き続き第五編では、札幌から遠軽経由で稚内まで。これまた、遠軽から稚内は既に廃線。日本の風景について、「雄大な風景となると、地勢の規模が小さいので、これといって世界に誇示するものがない。」としながら、「その中にあっての例外は冬のオホーツク海岸を埋める流氷」としている。日本にいることを忘れさせる風景。
 第八編は「雪を見るなら飯山・只見線」、ちょうど、ここ数日、大雪に見舞われていると思われる。只見線は、会津若松から新潟県の小出。ちなみに、小出には、緑川酒造がある。そこから上越線に乗り換え、越後川口から長野県・豊野まで。いずれも豪雪地帯だ。只見線は、平成23年の台風で鉄橋が崩壊するなど、会津川口・只見間が代行バス輸送となっているが、先ごろ、地元負担有りで鉄道復旧されることになった。著者は、冷静に、端的に言っている。「地元の人たちは鉄道の開通に狂喜乱舞するが、乗るのはマイカーである。」。これに尽きる。
 第九編は「九州行・一直線は乗りものづくし」、渥美半島から鳥羽、紀ノ川沿いに和歌山、四国を横断し佐田岬から大分・佐賀関、阿蘇経由・熊本。中央構造線の旅である。これは面白い。何が面白いか、著者も記しているが、「だいたい、旅行は計画が楽しい。その楽しさは、しばしば実際の旅行を凌駕する。」。実は、小生もいくつか計画を立て、データがパソコンに入っている。今の職場では、行きたくてもなかなか行けない状況、せめて計画だけでも、と思っていたら、時間の経過を早く感じる。
第十編「旅の終わりは個室寝台車」、この頃になると、藍色の小鬼と著者の掛け合いも堂に入った感じだ。中央構造線の旅を終え、人吉泊。翌日は、西鹿児島(現:鹿児島中央)へ。「はやぶさ」の個室寝台に乗るため。約22時間かけて東京まで。〆の文章がいい。「東京行きの寝台特急「はやぶさ」は不知火海の岸辺を走っている。その向うには天草の島々が霞んでいた。」
 そこから東京まで、それぞれの読者が想像することになる。
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ノラや (内田百閒著)

2017-01-12 20:51:31 | 雑感
 内田百閒著「ノラや」


   


 世の中は「猫ブーム」といわれている。いつだったか、BSだったと思うが、「ノラや」が放映された。その時は、あまり気に留めなかったのだが、本書を読んで内田が迷い込んだ猫に対する思い入れの変遷がひしひしと感じられる。
 
 何となくやってきた猫にご飯をやることが癖になり、「この野良猫を野良猫として飼つてやらう。」そして、「飼ふ以上名前があった方がいい。」ということでつけた名が「ノラ」、イプセンの「人形の家」の「ノラ」は女性だが、この猫「彼」は雄である。

 この本には、「阿房列車」に登場する面々も実名で登場している。例えば、「平山君」、「ヒマラヤ山系君」のことである。そして、当時の「法政大学総長大内さん」は経済学者の大内兵衛と思われる。

 ところがある日、「ノラ」が行方不明になってしまう。ノラ失踪後、ノラに関わる日記としての記載が続く。それからの内田の心理状態が文章ににじみ出ているし、本書の解説を担った「ヒマラヤ山系君」こと平山三郎氏は、その中で「ノラが居なくなった当座、先生の日常は全く支離滅裂だった。」と書いている。ポスターや新聞折り込み、あらゆる手段を使い、似た猫が居ると聞けばどこへでも向かい「ノラ」捜索を行うのだが、能わず。「寝る前になって、よさうと思つても制する能わず、風呂場に這入りノラのゐない座布団に顔をつけてノラやノラやと呼ぶ」、田山花袋の「蒲団」のごとくである。

 その後、「ノラ」に似た猫「クルツ」が迷い込んでくる。ただ、病気がちの「クル」、高齢であったこともあり、専門のお医者に来てもらい治療するも、薬石効なく病死。

 「ノラ、それからクル、その後に私のところでは猫は一切飼わない」、しかし、「そこえらに捨てられた子猫が、寒くて腹がへつて、ヒイヒイ泣いてゐるのであったら、どうしよう」と猫を飼うことに対する迷いも感じられる。


 小生も、一昨年、愛犬を亡くした。「一切飼わない」と思いつつも、ペットショップに足を向け、なにげに狭い空間に横たわる犬を眺めてしまう。内田と同じ症状なのだろうか。
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日本百名山 深田久弥著

2016-08-11 08:02:50 | 雑感
 今日は初めての「山の日」

 深田久弥著「日本百名山」、昨日の書き込みであるように、読破した2冊のうちの1冊が、これである。


   


 BSプレミアムで放映されている「グレートトラバース」で、本書の引用があり、その表現が、それぞれの山を彷彿とさせる。先日、江戸に出奔したときに、たまたま見つけて購入、いままで「積んどく」状態であったが、時間的余裕がある人間ドック期間中に目を通した。

 1座5ページ程度、500ページを超える文庫本であり、集中して短時間で、非常に読み応えがあるモノであった。

 そして、山々を我々読者に、描写的に、時には情緒的に、経験談を交えながら伝えてくれる。

 そしてなにより、深田の造詣に感服した。あたかも、山に関する古典や文芸、そして絵画を全て咀嚼しているがごとく(いや、しているかもしれない)、山名の由来や当時の登山道、宗教的背景など、我々に教示してくれる。

 ちなみに、随所に出てきた「小林秀雄」とは、あの方だろうか。


 この手のものを読んでしまうと、また、山歩き(登山ではない)をしたくなってしまう。
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