おもしろきこともなき世を おもしろく すみなすものは・・・

セロ弾き 呑み鉄 蕎麦打ち~趣味とともに楽しく過ごしたい今日この頃

「第二阿房列車」 内田 百著

2015-12-13 20:49:48 | 旅行
 「第一阿房列車」に引き続き、「第二阿房列車」を読んだ。

  

 今回、百鬼園先生は、「ヒマラヤ山系君」と新潟、横手。八代に行った。

 新潟に行くとき、急行列車は快適。

 「余りに快適なので、乗っていて色色の事を思う。大きな、飛んでもない大きなソナタを、この急行列車が走りながら演奏している。線路が東京から新潟に跨る巨大な楽器の弦である。清水隧道のある清水峠はその弦を支えた駒である。雄渾無比な旋律を奏しながら走っていく。レールの切れ目を刻む音にアクセントがある。・・・」

 列車の中で聴く音が伝わってくるようだ。

 そして、陸軍教授時代の行。
 仙台出張であったが、どうしても京都に行きたい百鬼園先生、東京に戻らず京都に行く方法を考える。

 「それで鉄道地図を按じて、道順を研究した。仙台から常磐線で平へ出る。平から磐越東線で郡山に出て、磐越西線を通って、新潟に行く。・・・右の順路で京都に行くとしても、もっと倹約することが出来た。常磐線の平なぞへ行かないで、東北本線の郡山から磐越西線に乗ることにすればいい。仙台から平へ出て郡山へ行くのは三角形の二辺であり、すぐに郡山へ行けば、その一辺ですむ。・・・・それを知っていながら平へ出たのは、一日の内に、太平洋岸の平から、日本海岸の新潟へ出て見たかったのと、もう一つには、その少し前に開通した磐越東線と云う新線路を通りたかったからである。」

 百鬼園先生は、平で乗り換えをしていた。大正時代だが。大正時代の平は、常磐炭坑の関係で東北の大阪などといわれていた時期だ。勧業博覧会も開かれている。

 そして、百鬼園先生が乗り鉄である行。

 「汽車が好きだから乗りに来て乗っているのであって、心地、走り工合、窓の外の景色等が一一気になって、目なぞつぶっていられない。・・・・何でもなくても、時時の旅行の走り出しに見馴れた家並みや道路や立ち樹が、すっすっと窓外を辷って行く趣きは、矢張り目を離すことが出来ない。だから、眠い事は解っているけど、眠たくても眠るわけにはいかない。」

 二巻まで読んで、百鬼園先生は、阿房列車で横手と八代には複数回行っているようである。

 三巻に乗り換え完了。
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「第一阿房列車」 内田百著

2015-12-04 21:09:03 | 旅行
 外山滋比古著「50代から始める知的生活術 人生二毛作の生き方」で、内田百の随筆に関する行があった。

 『百の「阿房列車」は一種の紀行文ですが、古来まれというか、かつてなかった名文です。「なんにも用事がないけど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思ふ」という書き出しです。』

 これを読んだとき、乗り鉄気味の小生にとっては、目から鱗、瓢箪から駒。無性に読んでみたくなった。ネットで出版元を検索し、早速購入。

  

 「第一阿房列車」である。「用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい。・・・・これからは一等でなければ乗らないときめた。そうきめても、お金がなくて用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るかも知れない。しかしどっちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗っている人の顔附きは嫌いである。」

 前に書いた「なんにも用事がないけれど・・・」とこのフレーズで、この本にのめり込んでしまった。

 どうしても「旅行」となると、折角来たのだから、あれも、これも、観よう、食おう、といった感じで、めいっぱい日程を組んでしまう。百が出発するのは、ほとんど正午過ぎ。朝出発する日程は、不機嫌のようだ。「なんにも用事がない」ので、ゆったりとした「自由な旅」が出来るのかもしれない。

 「旅」には、いつも「ヒマラヤ山系」君が同行している。同君は、国鉄の鉄道管理局に知り合いが多いようで、というか国鉄職員らしく、百は、いつもホームで各地の管理局職員や駅長の出迎えを受ける。夜、酒宴を共にすることもある。

 百について、事前にどういう人なのかというリサーチはしていなかった。調べてみると、夏目漱石の弟子とのこと。そして、黒澤明監督の作品「まあだだよ」、この原案は百の随筆であり、松村達雄演じる主人公は、内田百そのものである。

 文庫本で「第二阿房列車」、「第三阿房列車」も出版されているので、早速購入。

 現在、「第二阿房列車」に乗車中。読破したら、「第三阿房列車」に乗り換え予定。

 しかし、何度でも読んでみたくなる本である。
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今日は、会津若松へ

2015-08-29 21:35:04 | 旅行
 叔父夫妻が瀬戸市からやって来た。

 昨日は、常磐道を北上、浪江ICで降りて、原発事故の避難区域を南下してきた。以前は、取り壊されていない傾いた家屋が見られたが、その数は少なくなってきている。国道6号線から富岡駅方面に入ると、4年前の震災直後のままである。来週、区域が解除される楢葉町に入ると、生活感を感じられるようになる。
 いわき市内に入ってから、海岸線を走った。叔父も、薄磯や豊間の変容には、絶句していた。

 今日は、会津若松へ。義叔母は行ったことがないということで、武家屋敷、飯森山、鶴ヶ城(外観のみ)へ。

  

  

  

 昼は、「本場」の喜多方ラーメンを食したいとのことで、喜多方まで。喜多方市役所近くの「松食堂」へ。おとなりの「坂内食堂」は大行列。小生は、「松食堂」の味、好きである。

 で、喜多方市役所の庁舎、新しくなっていた。
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大人の休日倶楽部 旅行記

2015-07-04 21:32:44 | 旅行
 大人の休日倶楽部 東日本フリーパス 今回も、いい旅をした。

 金曜日、取り急ぎ目的地直近の長岡まで。夕方だったので、噂の潮目の弁当を食した。

  

  

  

 当然、のどを潤すものもある。時間帯も夕方だったので、弁当に対する評価は控えておく。

 長岡は朝早めに出発、小出駅から「緑川酒造」へ。芳林堂で「地酒ケーキ緑川」を購入。

  

 越後川口から長野まで、飯山線で3時間。途中、十日町市で十日町博物館へ、国宝の火焔土器を眺めてきた。

  

  

 長野に着いたのは午後7時過ぎ、長野のY子にメールをしたら、いわきに戻る途中とのこと。行き違い。次回は、長野の旨い蕎麦を食わせてもらうことにする。

 今日は、朝5時半にホテルを出て、善光寺まで。途中、ポツポツきたので、ホテルに戻り傘を借りて善光寺。ホテルから約2キロくらい合った。

  

  

 早朝から、年回忌と思われるご祈祷が行われていた。

 その後、長野から甲府へ。武田神社参拝。御朱印をいただいた。

  

 甲府のまち歩きも堪能、本日、合計10キロ以上歩いた。汗がすごい。
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北近畿タンゴ鉄道

2014-10-01 21:33:18 | 旅行
 福井を基地にして、若狭湾を西へ。北陸本線で敦賀まで。乗り換えて小浜線で東舞鶴、ここで又乗り換えて舞鶴線で西舞鶴。ここから、北近畿タンゴ鉄道が始まる。目的地は天橋立

 北近畿タンゴ鉄道は、JR宮津線(西舞鶴~豊岡)と宮福線(宮津~福知山)を引き継いだ。ローカル線の旅である。

 西舞鶴発10:15 この電車は、なぜかほかの電車よりも時間がかかる。しかし、車両を見て納得。観光電車であった。

 
 
 偶然がなせるワザ。沿線のガイドを聞きながら旅をすることができた。車両は「タンゴあかまつ号」、ラウンジになっている。

 

 JR九州の電車を設計している水戸岡鋭治さんのデザインである。2両編成で、あかまつ号は2両目、1両目は「丹後」

 

 車内もいいデザインである。

 

 観光電車につき、減速して風景を眺めたりすることができた。

 

 この沿線は、山椒大夫の舞台となったところ。解説の中で「安寿と厨子王は、奥州岩城国から母親を捜してこの地にやって来て・・・」と解説が。小生も、岩城から来たんだよ。つながりを感じた。

 

 天橋立駅からは遊覧船で対岸の一の宮桟橋へ。傘松公園から、天橋立を眺めた。

 

 帰りの天橋立駅、懐かしい電車が停車。
 
 

 ローカル線の旅、GOODです。

 
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