ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネのデビュー50周年記念誌⑫

2021年11月20日 | ルネの活動記録

 紅葉や野山が日ごとに鮮やかになってまいりました。ルネ友のみなさまは、秋の夜長をいかが過ごしていらっしゃるでしょうか。昨夜の月食はご覧になりましたか?

 デビュー50周年を迎えたルネは、各メディアで引っ張り凧symbol1 facebookの公式ページにも出演番組に関する投稿が増え、ファンとしては嬉しい限りです♪ 

<facebookの公式ページの投稿>


Je vous donne rendez-vous pour souligner mon 50e anniversaire de carrière en compagnie de Marie-Claude Barrette. 😁😍
📌 Dimanche 5 décembre | 19h30 | À TVA et TVA+

マリー・クロード・バレットとのキャリア50周年を記念して、ぜひお会いしましょう。 😁😍
📌12月5日日曜日| 午後7時30分| VATおよびVAT +で

https://www.facebook.com/renesimard2016/videos/924417651800058


▲LaSemaineの表紙より「私の孫娘は私の太陽です」
ルネ・シマールは祖父としての役割においてこれまで以上に幸せです。

▲LaSemaineの記事より(Johanneさん提供❤)


 ルネの53枚目のアルバムCondorコンドル」のデジタル版はもう購入されましたか? 私は少しでも日本からルネを応援したくて、パソコン用にAmazonMusicで、iPad用にiTunesで購入したルネ馬鹿です。

▲Merci beaucoup, Josef Wheelersymbol1

 CDと記念誌のセットは残念ながら、以前紹介した通販サイトではカナダとアメリカにしか発送されません。日本のAmazonでは扱わないことが分かっています。今のところカナダとアメリカのAmazonでも取り扱われていません。ebayに出品されることを期待しています。情報が入り次第報告いたしますね。 


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 ルネのデビュー50周年記念誌紹介の12回目です。

 今回の内容には、日本のファンが知らなかった、変声後のルネが陥ったスランプについて、シビアに書かれていました。訳していて私は大変ショックでした。

 私がインターネットでルネの検索を始めたのは、1996年以降。1996年はルネのデビュー25周年の年で、CD集や記念誌が発売されていました。ここで書かれているのは1993年に発売されたアルバム”E=MC2”の前後までです。

 ちなみにこのアルバムは、ルネが33歳の時(1994年夏)、日本のバラエティー番組「明石家多国籍軍」で、視聴者のリクエストから外国人スターを捜索するレポーターが自宅を訪問した際、結婚記念のDVDと一緒にプレゼントしたものでした。その場面は下のYouTube映像で6分40秒からご覧いただけます。



 「ルネ・シマール・ショー」をはじめとするYouTube映像を見る限り、ルネはとても明るくはつらつとしていて、そんなことは微塵も感じさせません。しかし、天使の声を失い思春期を抜け出した頃から、ルネの成功は下降線をたどっていったのでした。

 変声後、可愛い少年歌手から成長した青年歌手に移行するため、ヴォイス・トレーニングやダンス・レッスンに取り組んでいたことは知っていました。自分の声質やイメージに合った選曲、ステージ衣装もジャンプスーツから紳士的なスーツに変えて、イメージ・チェンジを図っていました。しかし、全ての聴衆から(熱烈なファン以外から)は、以前のように認められず、芸能活動を休止して、様々なスキルを身に付ける努力を積んでいたことが、このページで分かりました。

 そんな辛い時期を乗り越えたからこそ、現在のケベックでの成功があるのですね。



TOUT sur l'enfant star
René Simard
L'IDOLE d'un PEUPLE




 彼は彼の外見と音楽スタイルを変えた
Un image d'enfant qu'il veut faire oublier
 忘れたい子供のイメージ

 時間が経てば、スターチャイルドもティーンエイジャーになり、若い男性になります。成人期への移行は必要な道です。
 彼の成功はかつてほど大きくはありませんが、彼はあきらめていませんでした。


中央:フルパフォーマンスで ルネ!
 左下:妹のNthalieと一緒に、彼は「Tourne la pageページをめくる」で成功し始めた



 彼の声は変わりましたが、ルネは歌手としてのキャリアを続けたいと思っており、思春期から抜け出すにつれて、彼の成功が失速するのを見るのは残念でした。20代前半に、彼は世間の目から少しの間姿を消しました。 しかし、彼のマネージャーであるギィ・クルティエは、それを以前の栄光に戻すために可能な限りのことをしました。 彼の戦略の1つは、20代の青年を身体的に変容させ、子供としての彼のイメージを一般の人々に忘れさせることでした。


▲41分38秒から”René Simard Show”42分18秒から紹介ページの映像 歌っている歌は、当時ショーン・キャシディが歌ってヒットしていた THE CRYSTALSザ・クリスタルズの“Da Doo Ron Ronダ・ドゥ・ロン・ロン”

中央:ルネが聴衆の目に留まることはますます少なくなっていました

7Joursより  2つの録音の間に、妹のナタリーと一緒にTourne la page(1988)のクリップを撮影しました。


La chanson ”Tourne la page”

 1988年、ナタリーは19歳、ルネは26歳でした。 彼らはアルバムRene et Nathalieをリリースし、“Tourne la page”という曲を歌って、その年のADISQガラでベストセラー曲のトロフィーを獲得しました。 ビデオクリップでは、ルネ・シマールがこれまで以上にセックスシンボルを示していました。彼の若い初見は少し反抗的で、大衆を大いに喜ばせました。 彼の子供のイメージはますます消されていました。 しかし、彼はもはやバラエティ番組に招待されていませんでした。 彼は忠実な支持者を保持していましたが、全員一致というわけではありませんでした。 聴衆は彼に時代遅れの歌手のレッテルを貼りました。 ルネのキャリアはまだ下降傾向にあったのでした。

困難な復活

▲アルバムE=MC2はそのキャリアを復活させることはできませんでした

 1993年、彼の歌のキャリアを復活させるために、ルネはアルバム“E = MC2”をリリースしました。“Corps à rever”や“Coups de tete”のような作品があります。 しかし、これは悲運(カタストロフィー)でした! レコードはほとんど売れず、コンセプトはあまり理解されませんでした。 その瞬間から、多くの人々はルネ・シマールのキャリアが終わったと信じました。 しかし、後で見るように、< p’tit Simard >はまだ彼の最後の言葉を言っていませんでした。

それでもなお自分自身を向上させる

 ルネが芸術分野での活動をやめることは間違いありませんでした。彼は実行する必要がありました。 1993年、彼のキャリアが伸び悩んだとき、彼はトロントに引っ越しました。彼はそこで演劇のクラスを受講し、さらにダンスのスキルを磨きました。彼は現在、ミュージカルを制作して演奏するためのすべてのスキルを手にしています。

歌手はトロントに引きこもることにした

▲トロントで 左から歌、ダンス、演技の先生と一緒に

 このプロとしてのスランプ期の数年後、彼は次のように説明していました。
 「私はこれらすべての年の間、あなた方と一緒にいませんでした。私は目立たずさらに勉強しました。奇妙です。この仕事。成功はそこにありますが、成功は永遠に続くわけではありません。浮き沈みがあります。しかし、私はおかしなやつです。たまに曲を落としても構わない。私は常に「前向き」である必要はないのです。チームと一緒に仕事をすることで、遅れをとることがとても楽しくなります。それは非常に満足のいくものです。
 ルネは少しずつ芸術的な成功を楽しんでおり、再びケベックの人々のお気に入りのひとりになっていました。



<le Journal de Montrealの記事からの追記>
ルネ・シマール・ショー
 1977年から1979年までの2年間、ルネはバンクーバーでルネ・シマール・ショーを主催しました。 バラエティ番組はCBCで放映され、カナダの評価を支配します。



▲▼”René Simard Show”より



<Da Doo Ron Ron>
 ルネが歌っている“Da Doo Ron Ronダ・ドゥ・ロン・ロン”は、THE CRYSTALSザ・クリスタルズのヒット曲で、当時 Shaun Cassidyショーン・キャシディがカバーした、日本でもよく知られている曲です。私はSylvie Vartanシルヴィ・バルタンの仏語版”Dadou Ron Ron”の方をレコード(『悲しみのアバンチュール』のB面)で聴いていましたので、てっきりシルヴィの曲だと思っていました。

 facebookのグループPassion René Nathalie et Régis Simardでこの曲について質問したところ、このステージを会場で直接ご覧になられたマイケル・ジェゼリナックさんから、曲名と「最高のショーだった」とコメントをいただきました。また、お友だちのドナ=マリー・ウェストさんからは、彼らがThe Hockey Rockersホッケー・ロッカーズと呼ばれていたことを教えていただきました。おふたりともイギリス系カナダの方のようです。また、YouTube映像では、「Marcel Dionne, “Boum Boum”Geoffrion, Rogatien Vachon」という字幕が入っていました。

 ルネが歌っているルネ・シマール・ショーの映像は、上のYouTube映像(42分18秒から)でご覧いただけます。歌詞の字幕付きのザ・クリスタルズと、ショーン・キャシディ・バージョンのYouTube映像も紹介いたしますのでお楽しみください♪






 明後日は11月22日で「いい夫婦の日」です。

 ルネが1993年にトロントに引っ越して演劇やダンスを学び直していた時、ルネの子どもたちオリヴィエとロザリーは先天性難聴のための療育が始まっていました。ですから、妻マリー=ジョゼの協力無くして、現在のアーティストとしてのルネは在り得ないでしょう。

▲妻マリーと一緒に(デビュー25周年記念誌より)


 ケベックでは『可愛いカップル』なおしどり夫婦のルネとマリー。今年4月に初孫のクロエちゃんが生まれ、祖父母になった2人が、これからもずっと仲睦まじい素敵なカップルでいることを願っています。

コメント
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