ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネのインタビュー2014

2014年08月08日 | ルネ・シマール
Un joyeux anniversaire de mariage     à René et Marie-Joséesymbol1
 ルネとマリー=ジョゼ、結婚記念日おめでとうございます!
 ▲芸能新聞の特集記事の見開き

 今日、8月8日はルネ・シマールと妻マリー=ジョゼの27回目の結婚記念日です。
 ケベックの人気スター同士の結婚は、各メディアで大々的に取り上げられ、その結婚式の様子は新聞や雑誌の特集記事になっただけでなく、記念ビデオや記念誌が発売されたほどです。

 ケベックでは恋人時代から可愛いカップルとしてずっと見守られてきたルネとマリー=ジョゼ。
 ルネは自分のルーツを探すスペシャル番組の取材旅行から帰って来たばかり。昨年に続き司会を務めるジェモー賞の番組製作や、デビュー45周年を迎える来年3月に発売を予定しているニュー・アルバムの準備で、ますます忙しくなります。ルネが、この記念すべき日を妻マリーと二人で幸せに過ごしていることを、遠く離れた日本から願っています。

Montage René Simard-Marie-Josée Taillefer




 さて今回は、デビュー45周年を迎えるにあたり「今まで起こった出来事の真相」として、自分の想いを語っているルネの最新のインタビュー記事を紹介いたします。
 ここで『賢者』と評されたルネは、9歳でデビューしてからの波乱万丈の人生を振り返りながら、今後このようなインタビューはもう行わないと、笑いながら話しています。この記事では、ルネのどんな真実が語られているのでしょうか。


René Simard : l'homme des gémaux
ルネ・シマール:ジェモーの人

http://plus.lapresse.ca/screens/7a1d6723-a7dc-4be4-a137-859976688fbe%7CiM5ifK-l6hYm.html

     ルネ・シマール:賢者

 肉体的にはさほど変わっていないが、ルネ・シマールは円熟し、知識を得ることで彼の心は老成している。「Petit Simardプティ・シマール」から遠く離れ、私の前にいる男性は、もうすぐデビュー45周年を祝うことになる。彼は2人の成長した子供たちの父親であり、彼にとって人生は、いつも長く穏やかな河ではなかった。故に彼は、苦難を人の助けによって克服し、時間をもまた克服した。

 我々は、まるでこのインタビューが前日から行われていたかのように座り、長い間会っていなかった旧友と話すように会話を再開し、私は幾度もインタビューを行った。
 「私に起こった全ての真相について、このような会見をもつことはもうないでしょう。」と、ルネ・シマールは笑って言った。

 そして彼は、私が質問しなくとも話を進めた。

 「私は今、良い事や肯定的なことを糧としています。私は言葉の回復力を知っています。そうは言っても、必然的に現実というものがあります。過去を変えることはできない、だから私は、今この瞬間を生きているのです。そして、私は楽しい未来が、私のためだけのものか、私の家族、母やマリー、子供たちのためだけのものかを見極めなければならないのです。」

 「『失敗は人を強くする』という、私が嫌いな平凡な格言があります。それは本当のことかもしれません。しかし私はそのいまいましい格言を実践しなければなりませんでした。そのことは、言うは易し、されど行うは難しなのです。」--ルネ・シマール

 人間としてのルネ・シマールのために、敏感に 距離を置いた期間は大変だった。彼は確実に恐怖感を取り除くために、拠点を作る必要があった。

 「マリー=ジョゼは全てにおいて導いてくれる人でした。最も困難だったことは、他人の視線でした。私たちにはその仕事をする時間がありました。時に時間はゆっくりと進みましたが、今は自分のリズムを取り戻し、早いペースで進めています。」

 ルネは彼の祖先を探すヨーロッパの旅から1週間で戻った。彼は"Air de famille"のショーの撮影を引き継ぎ、その準備段階にある。
 「私はオーディションをすることが好きです。出場者は純真で、本当に一生懸命です。」と彼は言う。そしてその仕事だけでは十分ではなかったかのように、彼は既にジェモーに取り組んでいる。

 ルネ・シマールは既にADISQで4回、Artisで4回司会をしている。現在テレビにおいてジェモー賞の2回目の司会者に抜擢され、そのオープニング曲は既に録音されている。責任重大である。バカンスは7月に最も多く取られ、8月は業界全体が資金に困窮しており、9月に行われる3時間半のショーのための準備を早急に開始する必要があるからだ。

 「番組構成については明らかになっていません。現在、例えばソーシャルネットワーク上でそれについて語られていますが、それを知りたくはないし、気にしないことにしています。私はとても若い頃、全ての人を喜ばせることができないことを学んだので。」

 彼はオープニングの歌と、経験上番組の中で最も難しいことを知っていた。それは番組のオープニングのスタートである。

 「スタートが不完全であれば、番組全体が不完全になってしまいます。ショーにはリズムがあります。それを素早くつかむことが重要なのです。」と、ルネ・シマール。

 そして彼は、アルティスとも、オリヴィエとも、ADISQのそれとも違う司会を心がけた。それはテレビ製作者、そしてテレビ視聴者によって褒め称えられた。黄金、それは彼の世界の内にある。彼は水を得た魚。ルネはライヴで歌うこと、ダンスをすることが好きだ。
 「司会者には、番組を祝祭にする手法が求められているのです。」 

 私は、9歳でビジネスの道に進む前後の、オルレアン島に移る前にシクーティミで幼少期を過ごした、人の子としてのルネについて繰り返すことはしない。現在、彼は自分の子供たちの話をすることが好きである。ボンバルディアの科学技術者として、世界を飛び回っている25歳のオリヴィエ。視覚芸術の学位を持ち、ダンスで奨学金を得(これは難聴を持つ若い女の子にはなかなかないこと)、オメル・ドゥスールのカウンセラーでもある23歳のロザリー。 

 ルネは瞳を輝かせながらそれらを語った。彼らは聴覚障がいにも関わらず、というより、私が言うべきは、子供たちがこの障がいを克服したことが、ルネの誇りであるということだ。
 「子供たちが小さかった頃、専門家から、彼らが自立できないだろうと告げられた時のことを思い出します。帰宅途中、ベビーシートの中のオリヴィエを見ると、彼は笑っていました。そして私はマリーに言ったのです。『この子たちが私たちを救ってくれるだろう』と。」

  
 それ以来、人工内耳を通して、オリヴィエとロザリーは自律的になり、おそらく無意識の内に自分たちの方法で、彼らの両親を救ったのだ。

 今私は、ルネ・シマールが2015年にデビュー45周年を迎えるにあたり、「鳥」について語ることなくこのインタビューを終了する訳にはいかない。この曲によってルネ・シマールの冒険が始まったのだから。
 「そう、もうすぐ45年…。それは1970年のこと。このことを話さずにこの週を過ごすことはできません。おかしなことに、人に『鳥』は青く見えたんです。鳥に色はなかったのに。」

 彼は6歳の時、テレビ・シリーズ「ベルとセバスチャン」でこの歌を覚えた。世代を超えて心に刻まれたこの歌は、彼の皮膚にも染み込んだ。そして彼が子役スターになれたのも、この曲のお陰だった。
 「それは美しい思い出です。しかし、私は子供にこの仕事(芸能活動)をさせたいと考えている全ての親に言うでしょう。子供のそばにいること、そして諦めないこと。これはとても素晴らしい仕事だけれど、子供に大損害を与えるかも知れないということを。」



 ケベックでは『鳥』、日本では『ミドリ色の屋根』で鮮烈なデビューを果たしたことや、華やかで目まぐるしいアイドル時代のことを若き日の美しい思い出とし、現在は新人発掘や聴覚障がい者のための活動をしながら、穏やかに生活することを望んでいるルネは、今の一瞬一瞬を精一杯生きようとしています。
 40年前に来日したあの頃のルネを追って、今も応援し続けている日本のファンの存在を、ルネはとても嬉しく思ってくれています。もちろん私たちは、54歳になったルネのことも愛していますが、日本のファンが、ルネの中では既に『美しい想い出』となっている天使の声のルネをずっと愛し続けていることをどう思っているのでしょう。また、幼くして『とても若い頃に、全ての人を喜ばせることができないことを学んだ。』と語るルネが、どんな経験をし、それを乗り越えてきたかを考えると、とても複雑な気持ちになるシマ姉です。

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