今日はルネの兄レジス・シマールの65歳の誕生日です facebookのルネ・ファン・グループ「Condor, c'est toi : pour René Simard」にも、このレジスへのメッセージを投稿しました(^^♪
2月28日のルネの誕生日には、ルネ自身の公式ページ"René Simard ”の記事や、ファン・グループにたくさんのお祝いメッセージが寄せられました 数日過ぎてからもコメントが投稿され、ルネとレジスに直接メッセンジャーで送ったお祝いメッセージにも既読が付きましたよ
3月に入り、三寒四温を繰り返しながら春が近づいてまいりました。ここに来て関東地方の平野部にも3月4日と5日に雪が降り、寒波で開花が遅れていた梅や早咲きの河津桜に雪が積もっている様は風情が有りました。
「三寒四温」は本来は冬の季語として用いられ、冬の終わりから春にかけて、寒い日が3日ほど続くと、その後4日くらいは暖かい日が続くことを意味します。日本は冬よりも春にそれが起こりやすいため、2月の末から3月にかけて使われるようになったそうです。
今年の桜の開花は、3月20日に福岡と高知からスタートする見込みです。 東京では22日に、名古屋では23日に、大阪では25日に開花し、3月末までに九州から北陸にかけての広い範囲で開花する予報だそうです。
ルネは1975年3月19日から4月12日まで、「君のすべてがほしい」のプロモーションと全国縦断スプリング・コンサート、「ルネ・オン・メロディー」公開の劇場あいさつ廻りのために4度目の来日をしました。きっとこの時に日本の桜を目にする機会も有ったのではないでしょうか。(※ルネの4回目の来日についてはカテゴリ「4回目の来日」でご覧ください。)
できれば暖かくなり雪の心配がなくなったこの季節に、娘ロザリーと恋人のガブリエルも一緒に日本旅行を楽しんで欲しかったのですが、昨年11月の旅行では、カナダの紅葉とは趣の違う、日本の紅葉を満喫していただけていたら嬉しいですね(^^♪
・・・という訳で、今回は過去ログで予告していたとおり、ルネと妻マリー=ジョゼの昨年11月の日本旅行について書かれた記事を3回に分け、その前編を紹介いたします
50 ANS APRES SON TRIOMPHE À TOKYO 東京での勝利から50年
RENÉ SIMARD
RETOURNE AU JAPON
ルネ・シマールが日本に戻る
▲左:水上に浮かぶ厳島神社と赤い鳥居。 「彼らの信仰によれば、赤は悪霊や災害を遠ざける色です。」 右中央:金沢城の前で
Un premiere sejour pour Marie-Josee マリージョゼの初めての滞在
ENTRE RENÉ SIMARD ET LE JAPON:
50 ANS DE LOYAUTÉ ET DE RESPECT
ルネ・シマールと日本:50年にわたる忠誠と尊敬
ルネ・シマールは、1974年以来10年間に渡り定期的に日本を訪れ、昨年末に3週間を過ごしました。一方、マリー=ジョゼ・タイユフェにとっても初めての経験で、彼女もその控えめな魅力に魅了されてしまいました。ルネと日の出ずる国との間の物語は、愛、尊敬、そして忠誠の物語です。
ジャン=フランソワ・ブラサール
▲左:「この夕焼けの写真は修正されていません」とルネは注意深く指摘しました。この美しさは、国内南部の北九州県小倉で撮影されました。
右:マリージョゼは広島湾の聖地、宮島で休憩を取っています。
▲左:姫路城の前で。右:「1974年の私の初来日の50周年を記念したいと考えていた数人の政治家とお会いする機会に恵まれました。」
1974年以降、ルネ・シマールは定期的に日本を訪れました(別のレポートをご覧ください)。 「20代までは、年に2、3回の旅行で、30回くらいそこへ行きました。良い思い出しかありません。彼らはとても親切で寛大な人々です。彼(日本人)があなたを養子に迎えたら、それは一生の付き合いになります。」
しかし、彼がそこを訪れたのは約20年前のことであり、最後の訪問はエルヴィス・ストーリー・ショーの顧問としてでした。彼は微笑みながら思い出します。「面白かったのは、日本人がエルヴィスの格好をしていたことです。」彼らはこのアーティストの大ファンであり、彼に魅了されていました。
一方、マリー=ジョゼ・タイユフェは洗礼のすべての瞬間を楽しみました。「彼女が感じた最大の衝撃は、この人々に対して示された敬意でした。到着するとすぐに、これらの人々がどの程度まで自分自身を管理し、摩擦が起こらないようにするかを学んでいるかがわかります。すべては敬意を持って行われます。」 この特徴は日常生活のあらゆる分野で明らかです。彼は次のように説明しています。「若い女の子は世界を追いかけ髪を染めますが、常に他人を尊重します。」
夫婦が驚いたのは、どんな状況でもその場所が清潔だったことでした。「そこには公共のゴミ箱がありません。朝コーヒーを飲む人は皆、コーヒーを置く場所に入るまでコーヒーを持ち歩いています。あらゆる場所を清潔に保つのに役立ちます。」
こうした不変の精神から、彼はこう言います。「私たちは豊かさの中で暮らしており、それに感謝しなければなりません。ここは広大で美しい場所です。私たちはもっと大切にし、お互いに助け合う必要があります。日本に行くと、それが当たり前のことなので、これらすべてを理解できます。」
今回紹介した中で「Jusque dans ma vingtaine, j’y suis alle une trentaine de fois, a coups de deux ou trois voyages par annee. (20代までは、年に2、3回の旅行で、30回くらいそこへ行きました。)」という文章が有るのですが、ルネが10代で来日したのは1974年に2回と1975に2回の計4回。その後は22歳の時、1983年3月に第12回東京音楽祭のプレゼンターとして、日本デビューする妹ナタリー・シマールと一緒に来日しました。「30回くらい(une trentaine de fois)」というのは、もしかすると記者の書き間違いで、日本の都市30か所に行ったということなのかもしれません。
また、ルネは日本を紹介するとき、「Japon 日本」ではなく、「le pays du soleil levant 日の出ずる国」という表現を使います。これは「日本の美称」とされ、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という聖徳太子の言葉とされる有名な一節から来ています。それにより、ルネが今でも日本を大切に思っていること、この記事からは、日本人の礼儀正しさや誠実さ、清潔に保たれた公共の場について、日本人が当たり前と思っていることに敬意を表してくれていることが分かって、とても嬉しく、大変光栄に思いました(^^♪
次回、中編で「日本に2500人のファンがいる」の謎が解けますよ! お楽しみにね(^^♪
<注意!>
最後に話は全く変わりますが、先日シマ姉家のNTTの固定電話に、「18247625788」という番号から電話がかかりました。もちろん受話器はとらず、ネットで番号を検索してみたら、「中華人民共和国 内蒙古省赤峰市(中国内モンゴル自治区東南部の都市)」から発信されたものでした★
ミャンマー東部の国境付近で中国人などによる詐欺犯罪組織の一大拠点が摘発され、日本人高校生2人が保護されたニュースはまだ記憶に新しいですが、次はモンゴルから直接電話をするような詐欺も出現したのか?・・・と、今まで以上に着信電話には注意が必要だということを再認識しました。電話には「はい、〇〇でございます。」と出るのが常識だった昭和生まれの私は、電話番号をきちんと覚えていない親類、知人からの電話に、警戒して「はい」のみで出てしまって失礼を詫びる日々です。
映画「スマホを落としただけなのに」を観て以来、意地でも「4Gガラホ」を持ち続けているシマ姉です(笑)。私は「ガラホ」はメールと通話のみ。外出時にインターネットを使いたいときには iPadを携帯し、家ではデスクトップ・パソコンなのに、「身代金要求メール」がガラホに定期的に(?)入ります。この間は受信BOXに「迷惑メール-ドコモ用」なるフォルダが出現し、以前のものとほとんど同じ文章の「身代金要求メール」が入っていました★ ちなみに、「カナダ旅行をする時に備えて、それまでにスマホに買い替えるべきなのかしら?」とオフ会で話題にしたら、海外旅行にはスマホをレンタルすればいいとアドバイスをいただきました(^^♪
パソコンに「トロイの木馬に感染しました」偽警告が出た時のことは過去ログで報告しました。犯罪組織の魔の手がどこに潜んでいるか分からないご時世ですので、ルネ友のみなさまも、特殊詐欺の種類や手口、その対処法について日頃から情報を収集して、いざという時に備えてくださいね!
そして来週3月11日は、東日本大震災の発生から14年になり、各地で追悼行事が行われることと思います。昨年の元日に起きた能登半島地震 、岩手県大船渡市の山林火災、今季の大雪による被害、そして南海トラフ地震をはじめとする今後予想される大地震など、私たちは過去の災害の記憶を風化させず、その教訓を生かして、日頃からの備えを怠らないようにしていかなければなりません。3月11日は防災について考え、防災グッズの点検や避難場所の確認など、家族で話し合う機会にしたいと思います。
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