あかねとそういう関係になったのは、私が大学3年、あかねが大学1年の冬のことだった。
「私なんかのどこが好きなの?」
そう聞いた私に「なんかっていうのはおかしいでしょ」と口をとがらせてから、あかねは言った。
「全部」
却下。具体的に。
言うと、あかねはふっと笑って、私の手を取り、指先に軽くキスをした。
「まず、手。なんでもできちゃう魔法の手。お料理もお裁縫も綾さんの手にかかると魔法みたい」
「…………」
「それから目」
「目って……」
誰もが羨ましがる完璧な形の目をした人に言われたくない。
言うと、あかねは「わかってないな~」と言いながら私の眼鏡を取り上げ、素早く瞼にキスをした。
「綾さんの目。とっても魅力的」
「どこが?」
「世の中全部気に食わない。お前ら全員ぶっ殺してやる。……って光を帯びる時あるでしょ? そこがすっごく好き」
「……………なにそれ」
変なの。
でも………ちょっと気に入った。その理由。
「あと、唇。こんな小さくて可愛い口してて、すっごい毒舌なときあるでしょ? そこが好き」
「あかねって………」
マゾなの?
言うと、あかねは、うふふ、と笑って、私の頬に優しく自分の頬をすり寄せた。
「大好き。綾さん。大好きだよ」
「…………」
あかね……あかね。
私もあなたが大好きよ。
でも、言わない。絶対に言わない。言ったらあなたは…………。
「綾さん!」
鋭い声にビクッと体を震わせる。あかねが呼んでくれる『綾さん』と同じ4文字なのに、まったく違う単語のようだ。
「早くお紅茶入れてちょうだい。なにボーっとしてるの」
「………すみません。お義母さん」
うるせえババア自分では何もしないくせにっ………って言葉を飲み込み、キッチンに下がる。
「わあ、ここのケーキおいしいよね。おばあちゃんありがと~」
調子の良い美咲の声が聞こえてくる。美咲と義母は仲が良い。
「ねえ、今日の個人面談、ママが行ったのね。美咲、おばあちゃんに行ってほしかったな~」
「ごめんね、みいちゃん。どうしても外せないお仕事があったのよ」
「じゃあ来月の運動会は絶対来てね。あかね先生紹介するから!」
美咲の声がはしゃいでいる。美咲はあかねの『大ファン』らしい。
「おばあちゃんも絶対あかね先生のファンになるよ! 女優さんみたいに綺麗でかっこいいんだから。ねえ、ママ、綺麗だったでしょう?」
「………そうね。綺麗な方ね」
紅茶を出しながら答える。そう。あかねは綺麗よ。今も昔も。なんて言えないけど。
「おいくつなの?」
「39、だって。でね、背もすっごく高いんだよ!」
8月で40歳。身長は174cm。と心の中でツッコミをいれてみる。
「ご結婚は?」
「してないよ! だって、去年、あかね先生のクラスだった先輩がいってたんだけどね!」
美咲の目がキラキラしている。
「大学の時に好きだった人のことが忘れられなくて、それで結婚してないんだって。もう20年だよ! 20年も一人の人のこと好きなんて一途でしょ~素敵でしょ~」
「……っ」
動揺してケーキを落としそうになったけれど、なんとか持ちこたえた。
20年? あれ?19年だと思ったけど……ああ、そうか、別れてから19年、付き合ってたのは1年3ヶ月くらいだから20年ってことか………
…………………。
なんて冷静に計算してる場合じゃなくて。
『いつでも私のところに帰ってきて』
19年前に言ってくれたあかね。
今日抱きしめられた感触を思い出す。キスされた指先が熱くなる。
記憶のあかねに浸りそうになったところを、義母の声で引き戻された。
「それで? 個人面談では何て? 成績はどう?」
「はい……成績は何も問題ないそうです。委員会活動なども頑張っていると褒めていただきました」
「へへー」
得意そうな顔の美咲。この子がイジメなんて……
「ただ、昨今、子供たちの間でネット上でのトラブルが多いので、携帯電話の使い方を……」
「ああ、ライン、とかそういうのね? 大丈夫? みいちゃん。ネットイジメとかされてない?」
「されてないよ! みんな仲良しだもん!」
悪びれることもなく、よどみもなく美咲が答える。
自覚がないイジメ……というやつなんだろうか。
あかねからは、対象になっている子を美咲のいるグループから引き離す対応をしつつ、注意喚起を続けています。ご家庭でも機会をみてそういう話を……と言われたが……
「あのね」
美咲がピッと一本指を立てた。
「あかね先生が言ってたの。『自分の大切な人に胸を張って言える行動かどうか考えなさい』って」
「…………」
「なんかね、みんなすごい納得しちゃったんだよ。ほら、大人はさ、相手の気持ちになって、とかよくいうじゃない? でも相手の気持ちなんか分かんないじゃん。でも、好きな人に言えるかどうか、だったら分かる」
「あら、みいちゃん、好きな人いるの?」
義母がびっくりしたように言うと、美咲はまた、へへへーと笑って、
「今はあかね先生に夢中!あかね先生かっこいいんだもーん」
「それなら良かった。変な男に引っかかったのかと思って焦っちゃったわ」
「……」
なんだか色々な意味でフクザツ……。
でも、あかねの話が心に響いているのなら良かった。
美咲は中学二年生にしては精神的に幼い。もしかしたら、悪気なく相手を傷つけるような言葉を言っているのかもしれない。注意していかないと……。
「あ! お兄ちゃん! ケーキあるよー」
「いらない」
息子の健人が携帯をいじりながら入ってきた。お前の手は携帯か?と疑いたくなるほど、手と携帯が常に一体化している。
今年大学に入学したばかりの健人は、数年前から必要なこと以外の会話を拒むようになった。難しい年頃だから、と見守ってきたが、いい加減そろそろまともに話くらいしてほしい。唯一美咲とは仲が良いので、健人に関しては何かあると美咲頼りになってしまっている。
「せっかくおいしいケーキなのにもったいなーい。美咲食べちゃうよー?」
「ダメよ、みいちゃん。それじゃ、健ちゃんはお父さんと一緒に明日食べたら?」
「は……」
義母の言葉をきいて、健人が鼻で笑った。ぎくりとするほど冷たい笑い。
「あいつ今日はあっちの家の日だもんな? 律儀に一日おきに帰ってこないで、一生あっちにいってりゃいいのに」
「健ちゃん、みいちゃんの前で……」
「本当のことだろ」
「健人」
さすがにたしなめると、健人がこちらを振り返った。
「お母さんもよく平気だよな? じいちゃんだって死んだんだし、もう離婚して……」
「健人」
義母の目が気になって、話を遮ると、
「離婚なんて無理に決まってるじゃなーい」
明るくケロリと美咲が言った。
「だってママ、ずーーーっと専業主婦だったんだよ? 働いたことない人がどうやって食べていくの?」
「あはははは、それはそうね」
「!」
義母の高らな笑いに怒りを覚えたがどうにか押し込める。
こっちの気持ちも事情も知らないで、美咲が明るく続ける。
「美咲はねーおばあちゃんやあかね先生みたいに自立したカッコいい女になるの!」
「じゃあ、お勉強もっと頑張らないとね」
「えー頑張ってるもーん」
美咲と義母がケーキを頬張りながら笑っている。……紅茶のお替りを用意しなくては。
「健人、紅茶飲む?」
「…………」
息子はこちらを一瞥すると、冷蔵庫からペットボトルを取り出しまた二階に上がって行ってしまった。
あの目……。軽蔑?侮蔑? いつからあの子は私のことをあんな目で見るようになってしまったのだろう。
ため息を押し殺して、紅茶のポットに手を伸ばす。
『綾さんの手は本当に魔法の手だね』
ふいにあかねの声が脳内に響く。
『同じ珈琲でも、綾さんが淹れてくれたほうが断然おいしい』
あかねの漆黒の瞳。心地の良い声。温かい手。涙が出そうだ。
「綾さん、お紅茶」
「……はい」
義母の声に反射的に返事をする。
あかね……。私は……私は、『自分の大切な人に胸を張って言える行動』なんて、ずっとできていないわ。
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このくらいで。
綾さん視点とりあえずいったん終わり。
次から、あかね視点。
前半の綾さんとあかねのやり取り……
あかね遊び人だなー口説き慣れてるなー
……って思いません?
また来週。
「私なんかのどこが好きなの?」
そう聞いた私に「なんかっていうのはおかしいでしょ」と口をとがらせてから、あかねは言った。
「全部」
却下。具体的に。
言うと、あかねはふっと笑って、私の手を取り、指先に軽くキスをした。
「まず、手。なんでもできちゃう魔法の手。お料理もお裁縫も綾さんの手にかかると魔法みたい」
「…………」
「それから目」
「目って……」
誰もが羨ましがる完璧な形の目をした人に言われたくない。
言うと、あかねは「わかってないな~」と言いながら私の眼鏡を取り上げ、素早く瞼にキスをした。
「綾さんの目。とっても魅力的」
「どこが?」
「世の中全部気に食わない。お前ら全員ぶっ殺してやる。……って光を帯びる時あるでしょ? そこがすっごく好き」
「……………なにそれ」
変なの。
でも………ちょっと気に入った。その理由。
「あと、唇。こんな小さくて可愛い口してて、すっごい毒舌なときあるでしょ? そこが好き」
「あかねって………」
マゾなの?
言うと、あかねは、うふふ、と笑って、私の頬に優しく自分の頬をすり寄せた。
「大好き。綾さん。大好きだよ」
「…………」
あかね……あかね。
私もあなたが大好きよ。
でも、言わない。絶対に言わない。言ったらあなたは…………。
「綾さん!」
鋭い声にビクッと体を震わせる。あかねが呼んでくれる『綾さん』と同じ4文字なのに、まったく違う単語のようだ。
「早くお紅茶入れてちょうだい。なにボーっとしてるの」
「………すみません。お義母さん」
うるせえババア自分では何もしないくせにっ………って言葉を飲み込み、キッチンに下がる。
「わあ、ここのケーキおいしいよね。おばあちゃんありがと~」
調子の良い美咲の声が聞こえてくる。美咲と義母は仲が良い。
「ねえ、今日の個人面談、ママが行ったのね。美咲、おばあちゃんに行ってほしかったな~」
「ごめんね、みいちゃん。どうしても外せないお仕事があったのよ」
「じゃあ来月の運動会は絶対来てね。あかね先生紹介するから!」
美咲の声がはしゃいでいる。美咲はあかねの『大ファン』らしい。
「おばあちゃんも絶対あかね先生のファンになるよ! 女優さんみたいに綺麗でかっこいいんだから。ねえ、ママ、綺麗だったでしょう?」
「………そうね。綺麗な方ね」
紅茶を出しながら答える。そう。あかねは綺麗よ。今も昔も。なんて言えないけど。
「おいくつなの?」
「39、だって。でね、背もすっごく高いんだよ!」
8月で40歳。身長は174cm。と心の中でツッコミをいれてみる。
「ご結婚は?」
「してないよ! だって、去年、あかね先生のクラスだった先輩がいってたんだけどね!」
美咲の目がキラキラしている。
「大学の時に好きだった人のことが忘れられなくて、それで結婚してないんだって。もう20年だよ! 20年も一人の人のこと好きなんて一途でしょ~素敵でしょ~」
「……っ」
動揺してケーキを落としそうになったけれど、なんとか持ちこたえた。
20年? あれ?19年だと思ったけど……ああ、そうか、別れてから19年、付き合ってたのは1年3ヶ月くらいだから20年ってことか………
…………………。
なんて冷静に計算してる場合じゃなくて。
『いつでも私のところに帰ってきて』
19年前に言ってくれたあかね。
今日抱きしめられた感触を思い出す。キスされた指先が熱くなる。
記憶のあかねに浸りそうになったところを、義母の声で引き戻された。
「それで? 個人面談では何て? 成績はどう?」
「はい……成績は何も問題ないそうです。委員会活動なども頑張っていると褒めていただきました」
「へへー」
得意そうな顔の美咲。この子がイジメなんて……
「ただ、昨今、子供たちの間でネット上でのトラブルが多いので、携帯電話の使い方を……」
「ああ、ライン、とかそういうのね? 大丈夫? みいちゃん。ネットイジメとかされてない?」
「されてないよ! みんな仲良しだもん!」
悪びれることもなく、よどみもなく美咲が答える。
自覚がないイジメ……というやつなんだろうか。
あかねからは、対象になっている子を美咲のいるグループから引き離す対応をしつつ、注意喚起を続けています。ご家庭でも機会をみてそういう話を……と言われたが……
「あのね」
美咲がピッと一本指を立てた。
「あかね先生が言ってたの。『自分の大切な人に胸を張って言える行動かどうか考えなさい』って」
「…………」
「なんかね、みんなすごい納得しちゃったんだよ。ほら、大人はさ、相手の気持ちになって、とかよくいうじゃない? でも相手の気持ちなんか分かんないじゃん。でも、好きな人に言えるかどうか、だったら分かる」
「あら、みいちゃん、好きな人いるの?」
義母がびっくりしたように言うと、美咲はまた、へへへーと笑って、
「今はあかね先生に夢中!あかね先生かっこいいんだもーん」
「それなら良かった。変な男に引っかかったのかと思って焦っちゃったわ」
「……」
なんだか色々な意味でフクザツ……。
でも、あかねの話が心に響いているのなら良かった。
美咲は中学二年生にしては精神的に幼い。もしかしたら、悪気なく相手を傷つけるような言葉を言っているのかもしれない。注意していかないと……。
「あ! お兄ちゃん! ケーキあるよー」
「いらない」
息子の健人が携帯をいじりながら入ってきた。お前の手は携帯か?と疑いたくなるほど、手と携帯が常に一体化している。
今年大学に入学したばかりの健人は、数年前から必要なこと以外の会話を拒むようになった。難しい年頃だから、と見守ってきたが、いい加減そろそろまともに話くらいしてほしい。唯一美咲とは仲が良いので、健人に関しては何かあると美咲頼りになってしまっている。
「せっかくおいしいケーキなのにもったいなーい。美咲食べちゃうよー?」
「ダメよ、みいちゃん。それじゃ、健ちゃんはお父さんと一緒に明日食べたら?」
「は……」
義母の言葉をきいて、健人が鼻で笑った。ぎくりとするほど冷たい笑い。
「あいつ今日はあっちの家の日だもんな? 律儀に一日おきに帰ってこないで、一生あっちにいってりゃいいのに」
「健ちゃん、みいちゃんの前で……」
「本当のことだろ」
「健人」
さすがにたしなめると、健人がこちらを振り返った。
「お母さんもよく平気だよな? じいちゃんだって死んだんだし、もう離婚して……」
「健人」
義母の目が気になって、話を遮ると、
「離婚なんて無理に決まってるじゃなーい」
明るくケロリと美咲が言った。
「だってママ、ずーーーっと専業主婦だったんだよ? 働いたことない人がどうやって食べていくの?」
「あはははは、それはそうね」
「!」
義母の高らな笑いに怒りを覚えたがどうにか押し込める。
こっちの気持ちも事情も知らないで、美咲が明るく続ける。
「美咲はねーおばあちゃんやあかね先生みたいに自立したカッコいい女になるの!」
「じゃあ、お勉強もっと頑張らないとね」
「えー頑張ってるもーん」
美咲と義母がケーキを頬張りながら笑っている。……紅茶のお替りを用意しなくては。
「健人、紅茶飲む?」
「…………」
息子はこちらを一瞥すると、冷蔵庫からペットボトルを取り出しまた二階に上がって行ってしまった。
あの目……。軽蔑?侮蔑? いつからあの子は私のことをあんな目で見るようになってしまったのだろう。
ため息を押し殺して、紅茶のポットに手を伸ばす。
『綾さんの手は本当に魔法の手だね』
ふいにあかねの声が脳内に響く。
『同じ珈琲でも、綾さんが淹れてくれたほうが断然おいしい』
あかねの漆黒の瞳。心地の良い声。温かい手。涙が出そうだ。
「綾さん、お紅茶」
「……はい」
義母の声に反射的に返事をする。
あかね……。私は……私は、『自分の大切な人に胸を張って言える行動』なんて、ずっとできていないわ。
----------------------------------------------------------
このくらいで。
綾さん視点とりあえずいったん終わり。
次から、あかね視点。
前半の綾さんとあかねのやり取り……
あかね遊び人だなー口説き慣れてるなー
……って思いません?
また来週。