もうすぐ2学期が終わる。
2年生には進路希望調査の紙が配られたのだけれども……
「もーー!桜井先生!こいつなんとかしてー!」
他には誰もいない社会科準備室に、泉優真君の叫び声が響き渡った。「こいつ」と指さされた高瀬諒君は隣でプーッと頬を膨らませている。
「なんとかして、って?」
「こいつ、美容師の専門学校に行くとか言ってるんだよー!」
「?」
それがどうして「なんとかして」なんだ?
「なんで? いいんじゃない? 美容師。高瀬君似合いそう」
「いやそりゃ似合うけどさ! 理由がおかしいんだよ!」
プンプン怒っている泉君の話によると……
泉君が小さい頃から通っている床屋さんは、かなり高齢のおじいさんが一人で経営していて、今年いっぱいで店じまいをするらしく……
「だから他の床屋か美容院を探そうと思ってるんだけど、こいつが他の人にオレの髪の毛触らせるの嫌だっていって」
「だから、自分が美容師になって泉君の髪を切るってこと?」
「はい」
こっくりと力強く肯く高瀬君。
「床屋のオジサンには、オレが美容師になるまでは、優真の髪だけは切ってってお願いしました」
「で?」
「いいよって快諾してくれました」
「そ、そっか……」
すごいな高瀬君……
確かに気持ちは分からないでもない。髪の毛を触らせるって何だか特別な感じがするもんな……
「ねーおかしいでしょ? こんなことで将来決めるなんて」
「こんなこと、じゃない! 大問題!」
「何が大問題だよっ。だから同じようなジジイのやってる床屋探すって言ってんだろ」
「だからダメだって!おじいさんでもゲイはいる!」
「ちゃんと奥さんがいるジジイを……」
「そんなの奥さんいたって信用できない!カモフラージュかもしれないし!桜井先生のあかね先生みたいに!」
「そんなこと言ってたら、どこにも行けないだろっ」
「だからオレが切るっていってるんだよ!」
わーわー怒鳴り合っている二人……
「だいたい、お前、自分は美容院の綺麗なお姉さんに切ってもらってるくせに!」
「オレはどうでもいいんだよっ。優真はダメ!」
「なんで!?」
「全然タイプじゃない女子に告白されて、大喜びしてたくせに!」
「おっ前!それは初めてだったんだからしょうがないだろー!」
「………………」
ああ、いいなあ……若いなあ……
って、おれも10歳しか変わらないんだけどなあ……なんだろうこの初々しさ……
「桜井先生! ぽやーっとしてないで何とか言ってよ!」
「え、ああ……」
泉君のツッコミに我に返る。
「いや……別にいいんじゃないかな、と思うけど? 高瀬君がなりたいなら、キッカケや目的なんかなんでも。あとは自分がどれだけ頑張れるかだよ」
「先生ー!」
「ですよねー?」
ほらいったじゃん、と恋人を肘で小突く高瀬君も、しょうがねえなあ、と呆れた表情をした泉君も、とても幸せそうだ。ただの惚気話に付き合わされた感満載……
「そういう泉君は? 進路希望どうした?」
「あーオレは大学行ってもいいけどできれば国立って言われてるから、国公立クラスかなあって」
うちの学校は、大学付属なので上に大学が付いている。そこそこレベルの高い大学だけれども、他学を受験する生徒の方が多く、学校側もそれを推奨している。(高瀬君のように専門学校に進むという生徒はすごく珍しい)
「おうちの和菓子屋さん継がないんだ?」
「兄ちゃんが継ぐからオレは用無し。店舗数増やすとかそういうことまったく考えてないから、二人も後継ぎいらないんだよ」
「そっか……」
その家庭その家庭、色々あるんだな……
うちの母も後継ぎがどうのと言うなら、あと2、3人子供を作ればよかったんだ。父はすぐにこんな出来の悪い息子は見限って、父の下でずっと働いてくれている庄司さんを後継ぎにって言っているのに、母は陰でくどくどくどくどと……
などと黒い感情に支配されそうになるのを、寸前で引き返す。ここは職場。おれの居場所……
「あ、いいこと思いついた!」
急に高瀬君がパチンと手をたたいた。
「オレも国公立で調査書出す! その方が一緒のクラスになれる確率上がるし!」
「あ……なるほど……」
それは言えてる。
「国公立は毎年2クラスくらいだからね。二分の一の確率になるね」
「ねー先生、裏で手回して一緒のクラスにしてもらえないー?」
「それはさすがに無理だなあ」
「そこを何とか」
二人に拝まれて笑ってしまう。
「二人は同じクラスになったことないの?」
「小学校は一クラスしかなかったからずっと一緒だったけど、中学高校ではなれなくて」
「一緒のクラスで文化祭とか球技大会とかやりたーい」
「こないだの修学旅行だって、クラス別コースだったから一回も会えなかったし……」
それは気の毒に……
おれは高校2年生の時だけ慶と一緒のクラスだったので、修学旅行も一緒にいけた。文化祭も球技大会も楽しかった……
「うーん……まあ、もしも、おれが3年生の担任を持てて、クラス編成に口出しできるようだったら……」
「うんうん!もしもそうなったらでいいから!」
「よろしくお願いします!」
二人は来た時とはうって変わって、明るい顔で社会科準備室から出て行った。ドアが閉まってもなお聞こえてくる、二人の楽しそうな話声に心が温まってくる。
「いいなあ……」
毎日一緒にいられる二人が羨ましくてたまらない。おれも高校の時はそうだったんだよなあ……
高校2年生の今頃は……ああ、そうだ。ちょうど慶への恋心に気が付いて苦しんでいた頃だ。そしてクリスマスイブの前日、とうとう打ち明けて、それで……。
それが10年前のこと。だから、明後日12月23日は、10回目の記念日なのだ。
***
10回目の記念日、だけど……
「帰ってこない……」
慶の部屋の中、ポツンと響く自分の声……
今日は休みを取ってくれているはずだった。
はずだったのに、どうしても出勤しなくてはならなくなった、と今朝連絡があり、そのまま音信不通……
(おれが慶を想うほどには、慶はおれのことを必要とはしていない)
それは昔から分かっていることだ。おれは慶に依存している。慶がいなくては生きていけない。でも、慶はそうじゃない。慶はおれに依存なんかしていない。慶はおれなんかいなくても笑ってる。友達もたくさんいる。
でも、慶がおれを好きなことは分かっているし、その愛は充分伝わってくる。おれはただ、慶に迷惑をかけているだけなのに。
(7年前だって……)
7年前、おれの母が、慶のアルバイト先に押しかけ、結果慶はアルバイトを辞めることになった。慶の家族の職場にも押しかけ迷惑をかけたらしい。これ以上迷惑をかけるわけにはいかないので、表面上は別れたことにして、友人のあかねと付き合っているという嘘をつくことにした。
でも、この作戦ももう限界だと思う。母は調子に乗って、祖母の告別式にも、夏の法事にも、あかねを呼びつけた。これ以上あかねに迷惑をかけるわけにもいかない。
『お正月にはあかねさんと一緒に帰ってきなさい』
喪中だから新年の用意はできないけど、と昨日も母から電話があった。喪中だから挨拶に行かないでいいと思っていたのに……
今もまた電話がかかってくるんじゃないかと思うと呼吸が苦しくなってくる。でも、慶から連絡があるかもしれないと思うと電源を切ることもできない。
「慶……終わっちゃうよ?」
10回目の記念日……もうすぐ終わりの時間だ……
「!」
にらんでいた携帯が震えてドキッとする。でも、電話ではなくメールだったので、あわてて開くと……
『ごめん。今から帰る』
ただそれだけの、慶らしい短い文。
どっと体の力が抜ける。涙が出てくる。
慶……慶。会いたい。会いたかったよ……
「…………。なんて言ってる場合じゃない!」
声に出して言って、自分にはっぱをかけた。慶の勤める病院の外門からここまでは徒歩5分。おそらくこのメールは更衣室で打ってる。そして、たぶん、慶は走って帰ってくる。そう考えると……
「5分、くらいか」
慌ててカバンから教科書や資料集を引っ張りだし、ローテーブルの上に並べる。そしてレポート用紙に問題を書きはじめる。
たぶん、慶は「ごめん」ってものすごい恐縮して謝ってくる。だから、「おれも仕事してたから大丈夫」って答える。全然、大丈夫って………
「ただいま!」
予想通り、5分弱で玄関の開く音がした。バタバタとあわてた様子が伝わってくる。
「お帰りーお疲れ様ー」
「ごめんっごめんな!全然連絡できなくて」
「ううん」
部屋に入ってきた慶に、ニッコリと手を振る。
「ケーキ買ってきてあるけど、今、きり悪いから、少しだけ待ってくれる?」
「お、おお。お前も大変だなあ」
慶はほっとしたように言うと、手を洗いに洗面台に向かった。その後ろ姿に気付かれないように、小さく息を吐く。
(大丈夫……大丈夫。上手に嘘つける……)
ずっと、ずっと待ってたなんて、絶対に思わせない。慶の負担になりたくない。
「何やってんだ?」
「冬休み明けのテスト。2学期の復習。明後日、他の先生と打ち合わせがあって」
「ふーん……」
慶はおれの横にストンと座ると、白い頬をおれの肩にピッタリとくっつけてきた。その温もりが果てしなく愛おしい。
「あ、フランス革命。おれ、マンガで読んだなー」
「そうそう。なにげにマンガも侮れないよね。同じ作者の人がロシア革命を題材にしたマンガも書いてるんだけど……、って、慶っ」
いきなり耳にキスをされ、体が震える。
「もー、邪魔しないでっ」
「気にするな。続けていいぞ?」
わざと音をたてて頬に首に唇を落としてくる慶……もう、泣きたくなってくる。
「もー、分かったから。続きは明日にするから」
「ん」
慶は満足そうにうなずくと、今度はチュッと唇にキスをくれた。
「今日はせっかく10回目の記念日だからな!」
「うん……そうだね」
うん。そうだよ……
「ケーキ、食べる?」
「おー。サンキューなー」
「コーヒーでいい?」
「うん」
慶は離れるのが惜しいかのように、コーヒーとケーキの用意をするおれの背中にぎゅーっとくっついたままだ。
「慶?」
「ん」
「どうしたの?」
「ん」
オデコをグリグリとしている感触がする。
「お前のこと堪能してんの」
「何それ」
笑ってしまう。
「堪能?」
「うん……」
前にまわった腕をポンポンと叩くと、ようやく腕の力を緩めた慶。
「おれ、明日も朝からで、そのまま泊まりだから……」
「…………」
今日は日曜日。振替休日で明日も休みだ。でも慶には日曜も祝日も関係ない。明日、今日出勤した分、休みになったりしないだろうか、と少し期待していたけれど、やはり仕事ということだ。
落ち込みそうになるところをどうにか踏みとどまって、明るく提案する。
「じゃあ、明日のお昼、お弁当作って届けようか?」
「え!ホントに?やった!」
慶はものすごく嬉しそうに叫ぶと、するりと前まで回ってきた。
「ハンバーグ!ハンバーグ!」
「うん」
「あとなーちくわのチーズ巻いてるやつ」
「うん」
「あとー……」
「うん……」
言いながら、軽く唇を重ね、それからコツンとおでこを合わせる。
「とりあえず、ケーキ食うか」
「うん」
「美味そうだな」
「うん」
「お前、うん、ばっかり」
くすくす笑いながら、二人分のコーヒーを運びはじめる慶の後ろ姿……。それを見つめるうちに、黒い気持ちが体中を渦巻いていく……
(仕事なんか休めばいいのに)
(今日一緒にいられなかったんだから、明日一緒にいてくれればいいのに)
(どうせおれなんかより、仕事の方が大事だもんね?)
「慶……」
閉じ込めて、どこにも行かせないようにしたい。おれだけのものになればいい。
「ん? なんだ?」
「…………」
振り返った笑顔。おれだけのものになればいい。なればいい……
「………。砂糖とミルクいる?」
「いやーさすがにこの時間にケーキ食うだけでも罪悪感あるのに、コーヒーに砂糖までは入れらんねえ」
「だね」
にっこりと笑って、ケーキをのせた皿をテーブルに運ぶ。
「10周年~~、これからもよろしくね」
「おーよろしくなー」
コーヒーカップを持ちあげて微笑みあう。
「うわーうめー、なんだこの濃厚なチョコ!」
「よかった。慶、こういうの好きかなって思ったんだ」
「さすが10年付き合ってるだけあるなーよく分かってる!」
「でしょー?」
嬉しそうな慶。愛しい慶。大好きな慶。
ほら、大丈夫。おれは上手に嘘がつけている。
この笑顔を守るためなら、あなたと一緒にいられるためなら、おれはどんな嘘でもついてみせる。
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お読みくださりありがとうございました!
浩介視点、安定の暗さ!
本当は、20諒視点、21浩介視点、で終わり、のはずでしたが、やっぱり一つ挟むことにしました。
続きは明後日、諒視点最終回(たぶん)です。その後にもう一回浩介視点、で終わる予定です。どうぞよろしくお願いいたします!
クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当にありがとうございます!!
よろしければ、次回もどうぞお願いいたします!
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