2月下旬。ライトが出場する地域対抗のバレーボール大会を見にいった。
65歳以下はアタック禁止、という変なルールがあるため、まだ17歳のライトが得点を決めるということはほぼなかったけれど、よく動いてボールを拾いまくり、キレイなトスを上げて点数獲得につなぎ……とにかく大活躍でチームを優勝に導いたため、文句なしでMVPに選ばれた。
「慶君のおかげだよーありがとー」
「いや、お前が頑張ったからだよ」
抱きついてきたライトを、珍しく押し返さずに、ポンポンと背中を叩いてあげている慶。ちょっとモヤッとするけれども、ライトが慶の鬼の特訓に耐えて頑張ったのは事実だから我慢我慢……。
「渋谷さんのおかげって?」
「なんか相当しごかれたって言ってたぞ」
「え、渋谷さんってバレー部だったんですか?」
同じく応援にきていた、泉優真君・高瀬諒君カップルに聞かれ、「ううん」と首を振る。
「元々はバスケ部なんだけど、スポーツ全般なんでも得意なんだよ。高校の時もバレー部に間違えられるくらいバレーも上手だった」
「へえ……」
運動に縁なさそうな顔してるのに意外。
背小さいのにね。
コソコソと言っている二人の声が、慶の耳に入らないことを祈るばかりだ……
「これで心置きなく出発できるよー」
「おお。頑張れよ」
ライトが今度は慶の手をぎゅーぎゅー掴んでいるので、さすがに我慢の限界で二人の間に割って入る。
「ライト、出発はいつ?」
「明後日!月曜日だし、見送りは無しで大丈夫だよ?」
ニコニコのライト。その吹っ切れたような表情にホッとする。
昨年の11月、ライトは父親に会うために渡米した。
「10年以上ぶりに会ったのに、全然懐かしくなかったんだよねー」
一ヶ月後、帰国してすぐに報告にきてくれたライトは、嬉しそうに笑って言った。
「新しい奥さん、父ちゃんよりも年上のデップリ太ったオバサンでさー、なんかやたら陽気な人で」
「へえ」
「会った途端に『My sun!』とか言ってギューギューしてきてさー。えーオレ、オバサンの息子じゃないしー!ってメチャメチャ引いたー」
そう言いながらも、顔は笑ったままだ。
「それで父ちゃん、一緒に住もうって言ってるんだよねえ」
「アメリカに?」
「うん。子供いないらしくて、それでってのもあるみたい。でも、ねえ? ほらおれ、2月のバレーボール大会も出なくちゃいけないしね?」
「…………」
せっかく母親の再婚相手ともうまくいって、一緒に暮らしはじめたところだったのだ。
でも、アメリカでの出来事を話すライトはいまだかつてないほど楽しそうで……。本当はアメリカで暮らしたいのではないか、という感じがする。
父親ともすっかり意気投合したらしい。いまだに父とは恐怖心からろくに話もできないおれとは大違いだ。
日本の母親の元に残るか、アメリカの父親のところに行くか。ライトの心は揺れ動いているようだ。でも、オレが言ってあげられることは一つだけ。
「誰か、じゃなくて、自分がどうしたいか、で決めなよ?」
「うん………」
珍しく真面目な顔をして肯いていたライトだったけれども……
冬休みが明けてから、ライトは「決めたよ!」と、ケロリと言ってきた。
「失恋したから、アメリカに行くことにしたよ!」
「…………え?」
一緒に話を聞いていた慶も、「はあ?」と眉を寄せた。
「なんだそりゃ?」
「え!?知らないの!?ユーナちゃん、泉君のお兄さんと付き合うことになったんだよ!オレがアメリカに行ってる間に、急接近したらしくてさー、いやーもー超ショック!」
「…………」
全然ショックを受けているようには見えない。
「ライト……」
ようは、アメリカ行きの理由を「失恋」だと周りに思わせたい、ということだ。父を選んだ、ではなく、失恋したから日本にいたくないのだと……。残される母親のことを思っての、無理矢理な理由付けだ。
(優しいな……ライト)
「でね、二人にお願いがあるんだけど」
パンっと手を合わせたライトが言ったことは、「バレーボールの練習」と「英語とスワヒリ語の練習」だった。
『スワヒリ語は、おじいちゃんおばあちゃんに会いに行く時のためにね』
そうスワヒリ語で言って笑ったライトの瞳からは、以前のような鬱屈した光はまったく感じられず……
「母ちゃんと日村さんがね、いつでも帰っておいでって言ってくれたんだよ」
その漆黒の瞳はキラキラしている。
「だからオレ、行ってくるよ」
「……うん」
帰る場所がある。行く場所がある。それは人に勇気をくれる。
おれは……おれには、帰る場所はない。
***
その日の夜、慶がうちに泊まりにきてくれた。翌日の研修会の会場がうちからの方が近いらしい。
「もー! お前しつこい! さっさとしろ!」
「………」
最近、どうしても前戯が長くなる。慶の体中に唇を落として、慶のすべてにしるしをつけたくなるのだ。慶のことを閉じ込めておきたい、自分だけのものにしたい、という欲求の現れなのかもしれない。でも、そんな暗いおれの欲求なんか知らない慶は、ムードも何もない言い方でその先を求めてくる。
「だいたいなあ、おれ明日研修会なんだから、さっさと寝ないと、居眠り……っ、あ…んっ」
「………」
慶を口に含めると、文句を言う声に喘ぎ声が混ざりはじめた。口で扱きあげながら、指での侵入をはじめる。
「バカ、浩……っ、そんな……、んん」
「…………」
感度よく声をあげる慶……。今、この瞬間、この人を支配しているのはおれだ、と思える。
「浩……っ、指じゃなくて……、んっ」
要望に応える形で一気に貫くと、慶がぎゅうっとしがみついてきた。
「浩介……っ」
背中に立てられた爪の痛み。慶の中に入りこんで一つになる……。
「慶……」
この瞬間だけは、おれだけのものだ、と思える。
***
(ホント……綺麗な顔してるな……)
寝ている慶の頬をそっと撫でる。白い肌。スッとした鼻梁。小さめの口。長めの睫毛。完璧な美貌。このまま閉じ込めて、どこにも行かせたくない……
(……なんて、できるわけがない)
そんなことは分かっている。医者になるという夢に向かって頑張っている慶。それを応援したい気持ちに嘘はない。嘘はないけれど……
(おれは……)
ふいに、今日のライトの様子が目に浮かんできた。
バレーボール大会は夕方に終わり、その後、ライトは祝勝会があるから、と、チームメートのおじさん達と連れだって行ってしまった。すっかり地域の方にも可愛がられているようだ。新しい家族とも、ずっと前からの家族のように仲が良くて……
「浩介先生、ありがとうございました」
嬉しそうに、ライトの母がおれにお礼を言ってくれた。
「先生のおかげで、ライト、心を決められたって」
「いえ、そんな。僕は何も……」
それはおれなんかのおかげじゃなくて、ライト自身が決めた道。そしてそれを信じて支えてくれるお母さんのおかげ……
「あっちで高校に通うって張り切ってて。侑奈ちゃんより可愛い女の子ゲットするんだって」
「それは難しいなー」
横で聞いていた泉君が、ハハハッと笑った。
「まず、ユーナより可愛い女の子なんて、そうそういないし!」
「それは優真の好みの話でしょ」
ムッとしたように言った高瀬君に、「あ」とライトの母が手を打つ。
「そうだ。侑奈ちゃんの彼って、泉君のお兄さんなんだよね?」
「そうそう。泉兄弟はあの手の顔が好きって話です」
「あらー、じゃあ、泉弟君もお兄さんに侑奈ちゃんを取られちゃったってことだ?」
「いやいや」
冷やかすように言ったライト母に、泉君は楽しそうに手を振ってから、ぐっと高瀬君の腰を引き寄せた。
「オレには後にも先にも諒しかいないから」
「え」
きょとんとしたライト母。パッと顔を赤らめた高瀬君。
「え、そうなの?」
「そうだよ?」
「え、ホントに?」
「うん。ホントに」
ニコニコで肯く泉君。
「ライトもユーナより可愛い女の子、とか言ってないで、ちゃんと好きな子ができるといいな」
「………そう、ね。うん、そうだね……」
ライト母は、自分を納得させるように、しばらくうんうん言っていたけれども、
「みんな、幸せにならないとね」
そう結論つけるように言って、ふわりとほほ笑んだ。
「………」
母の顔だな、と思う。子供を見守ってくれる母。意思を尊重してくれる母。おれの母親とは大違いだ。
『今からでも遅くないから弁護士の資格を取りなさい』
頭に蘇る、母の言葉……
正月に実家に行った際にも、くどくどといつもと同じ話をされた。
『勉強する時間がないというなら、先生なんかやめてうちに戻ってきなさい。あなた一人養うくらい出来るんだから』
『あなたには先生なんて向いてないわ。中学にまともに通えてない子が先生なんて無理に決まってるでしょう?』
『あの頃、私がどれだけ苦労したか……毎日勉強教えてあげて、テストの時は学校まで送ってあげて……覚えてないの?』
『あなたのためを思って、毎日毎日……』
言われる度に、昇華できているはずの小学校中学校時代の黒い記憶がよみがえってきてしまう。クラスメートに罵詈雑言をあびせられ、腹とか太腿とか目立たないところを集中的に殴られたり、モノを投げつけられたり……家に帰れば、母に部屋に閉じ込められて、勉強させられて……
『お前は本当にできそこないだな』
登校拒否を起こしたおれの元に面談にきた担任の先生が帰った直後、おれに向かって吐き捨てるように言った父の刃のような言葉は、今でもおれの胸に刺さったままで……
二度と、あの場所には行きたくない。あの人達には会いたくない。でも行かなければ、何をされるか分からない……だからおれは、小さく小さくなって、嵐が過ぎるのをただ耐える……
(帰る場所があるから、旅立てる……)
そんなライトを羨ましく思う。おれには帰る場所はない。慶が帰る場所だと、思えていた時期もあったけれど、それは違う。
(慶には自分の場所がある)
そこはおれがいる場所ではない……
翌朝、まどろみの中で、慶が準備している気配を感じた。でも、目を開けることができなかった。出て行く慶の後ろ姿を見送るのは辛い……ということもあるけれど、昨晩涙が止まらなかったので、おそらく目が腫れているからだ。こんな顔、慶に見せるわけにはいかない。
「じゃあ、行ってくる」
「………」
枕元で聞こえる慶の声にも気が付かないふりをする。仕事に行く恋人を見送ることもしないなんて最低だ。
しばらくして、ドアが開く音、鍵が閉まる音がした。部屋の中が静まり返る……
「………」
天井を見上げ、大きくため息をつく。
(いってらっしゃいってキスをして、慶が恥ずかしそうに笑って……って、どうしてそういうことができないかなあ、おれ……)
でも、笑顔で見送る演技をするには、精神的余裕がなさすぎて……と、ますます凹みながら天井をボーっと眺めて……数分後のことだった。
「!」
いきなり鍵が開く音がして、慌ててまた横を向く。忘れ物だろうか?
ガサガサと人が入ってくる音がする。それから、なぜか手を洗う音、うがいをする音、カチャカチャとベルトを外すような音……
「????」
我慢できずにそちらを向くと……慶がスーツから部屋着に着替えているところだった。
「……慶?」
「あー……さみー……」
慶は着替え終わると、布団の中に入ってきて、おれの腕の中にすっぽりと収まった。
「外、結構寒いぞ」
「??? 慶? 今日研修会……」
「あー」
慶はぐりぐりとおれに抱きついてきながら、ボソッといった。
「サボりだサボり」
「え?!」
サボりだなんて、そんなこと初めて……っ
「どうして……っ」
「あー………」
慶は、うーん……と言いながら、おれの目にそっと触れてきた。そしてジッと見つめてくる……
「あ………」
もしかして、おれの目が腫れてることに気が付いて……。
そんなのダメだ。慶の迷惑になることだけは絶対したくなかったのに……っ
「あの、慶……っ」
「別にどうもこうもねえよ」
慶はおれの言葉を遮ってふっと笑うと、
「お前と一緒にいたかっただけだ。なんか文句あるか?」
「………っ」
慶の優しい声……
「たまには嘘ついたっていいだろ」
「慶……」
たまらなくて、ぎゅっと抱きしめる。また、涙が出てきてしまう。
慶が、いてくれる……
「慶……」
「ん」
指で涙を拭ってくれ、頬を撫でてくれる慶。
「おれ今日、腹の調子が悪いことにしたから、うちから一歩も出ないからな」
「うん」
「外、出歩いて誰かに会ったらマズイからな」
「うん」
こつんとオデコを合わせる。
「ずっとベッドの中にいるか」
「うん」
そっと唇を重ねる。
慶と一緒にいたい。慶を離したくない。どこにも行ってほしくない。おれだけを見ていてほしい。
そんな本音、奥に奥にしまいこんで、全然大丈夫。おれは慶のこと応援してるよ。忙しいことも理解してるよ。って顔をしないといけないけど。
「慶……」
「ん」
今日だけは、許して。本当の顔させて。
「慶、ずっと一緒にいて?」
明日からはちゃんと、嘘、つくから。
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お読みくださりありがとうございました!
「嘘の嘘の、嘘」終了でございます。最終回なのに安定の暗さの浩介!
作中2002年2月24日(日)。今からちょうど15年ほど前のお話でした。
この約半年後のお話が「その瞳に*R18」になります。
「その瞳に」の後の話も書きたいし、慶たちの同級生溝部君の恋物語も書きたいし、泉×諒の番外編も書きたいし、書きたいものは、まだまだまだたくさんあるのですが、諸々あり、しばしお休みしようと思います。
期限を決めないとダラダラしてしまうので、とりあえず3月1日には必ず何かしらアップします。
……と書いておけば自分を追い込めるので書いておきまーす^^
gooブログには、どのページを何人の方が読みにきてくださっているということを見られる機能がありまして。
それを見る度に、わー私以外でも読んでくださる方が!とものすごい感動しております。
私の中にしかいなかった彼らを知ってくださる方がいらっしゃる……なんて幸せ。なんて喜び。本当にありがとうございます!
私の中では彼らはリアルに存在しているもので、先日も慶実家→浩介実家のサイクリングロードを自転車で走りつつ、あー彼らは高校生の時にここの川べりに座ってたんだなーと一人ニヤニヤしている怪しい人と化しておりました。
なんて話はおいておいて。
「嘘の嘘の、嘘」お付き合いくださいましてありがとうございました!
今後とも「風のゆくえには」シリーズよろしくお願いいたします!
クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当にありがとうございます!!
よろしければ、次回3月1日に、どうぞお願いいたします!
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